正戦論の現在 2021.03.02

戦争を考察する哲学の中には、戦争を正しいものとそうではないものに分ける考え方があります。正戦論と呼ばれます。近現代国際関係全般と同じく、この正戦論も西洋思想と深く結び付いています。 その起源は4-5世紀に遡ります。本来キリスト教は戦争とは距離を置く思想ですが、同教がローマ帝国の公認宗教になると、ローマはキリスト教によって戦争を正当化していきました。例えば、教父である同時代のアウグスティヌスは、帝国内の不正行為者を罰するように、支配者が外部の不正行為を罰する戦争は正しい戦争であると考えました。

中世から近代にかけては、トマス・アクィナスやグロティウスといったさまざまな人々が、スコラ哲学や自然法思想を用いて正戦論に解釈を与えていきました。その過程で正戦論は宗教思想から世俗思想へと変化していきます。そして、どういう条件があれば開戦は正しいといえるのかを定めたJus ad bellumと戦闘中における戦争の正しい戦い方を定めたjus in belloという2つの原理体系がやがて整備され、正戦論は現代に至っています。

近代における戦争の世俗化の中で、一時期、正戦論、特にjus ad bellumへの関心は下火になりました。しかし20世紀以降、ナチスの残虐行為、資本主義と社会主義のイデオロギー対立、そしてアメリカの軍事行動の正当性が内外から問われたベトナム戦争を経験し、20世紀後半には正しい戦争への関心が再び高まっていきました、そして21世紀のイラク戦争と新たなテロリズムの台頭によって、現在ではさらに正戦論への関心は膨らんでいます。

20世紀後半の正戦論への新たな関心においては、jus ad bellumの中の「正統な理由」(具体的には攻撃に対する反撃[自衛]であること)とjus in belloの中の「戦闘員と非戦闘員の区別」(戦闘員のみ意図的に攻撃してよいということ)という2つの原理を軸に議論が活発に行われてきました。

この現代版正戦論が当初唱え始められた1970-80年代の考え方では、不正な侵略国と正当な反撃国との間の戦争であったとしても、いったん戦争が開始されれば、どちらの側の戦闘員も戦闘員である以上、攻撃対象となりまた両者の関係はいわば決闘のように対等であるとされました。他方市民に関しては、彼らが非戦闘員である以上、どちらの側の市民に対しても攻撃は許されないというものでした。

しかし1990年代以降、特に21世紀に入って、この考え方にする反論が盛んに行われています。その考えてもみてください。侵略国は言わば不法侵入してきた泥棒のようなものです。泥棒と家の住人の立場のどこが対等でしょうか。住人は泥棒に対して(適切な範囲で)抵抗する権利を持っていますが、泥棒は住人の適切な抵抗に対して反撃する権利を持っていません。また、侵略国の兵士を個々に見た場合、自国の政府が家族を迫害することを恐れた結果、半ば強制的に戦場に駆り出された戦闘員もいるかもしれません。この戦闘員が持つ道義性は少なくとも泥棒と全く同じとは言えません。では侵略国の市民はどうでしょうか。侵略を扇動した市民には多少なりとも責任があるはずです。確かに、反撃国の戦闘員に殺害されるほどの罪ではないかもしれませんが、何らかの罰を受けるに値する者もいるかもしれません。このように、この反論の主眼は、戦闘員と非戦闘員として人々を機械的に分けるのではなく、個々人の責任の状態に応じて関係者を区別しなければならないというところにあります。

従来の主張は伝統主義、その批判は修正主義と呼ばれています。伝統主義は戦争の実際を考えれば現実的な考え方であり、現在の国際法とも近い立場です。これに対して、戦争中に戦闘員や市民を個別に識別し、その責任の大きさに合わせて対処を変えるということは、残念ながらほとんど不可能です。にもかかわらず、修正主義の主張を支持する人々は、ますます増えています。これはおそらく、国籍・戦闘員・性別・その他の「属性」ではなく、個々人そのものに基づいて、人々を判断しようと努める現代社会の趨勢に、修正主義の考え方が適合しているからでしょう(というよりも、そうした趨勢の影響を受けて修正主義の考え方が台頭してきたのでしょう)。

新たな正戦論が、戦争の責任を国家や組織にとどめずにこれまで免責されていたような人々にまで帰する点は重要です。近代における戦争は、あたかも個人とは直接関係のない国家の営みであるかのように扱われることが多くありました。しかし新たな正戦論は、21世紀の我々に対して、個人の問題として戦争に向き合うことを今後より強く求めていくことでしょう。現代正戦論の両者の立場は以下の2冊に集約されています。

  • Michael Walzer, 2015 (1977), Just and Unjust Wars, fifth edition, Basic Books.
  • Jeff McMahan, 2009, Killing in War, Oxford University Press.

山本 和也 准教授

政策科学(主に国際政治を対象)

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