Ⅴ 祥瑞と年号

養老改元の由来となった「養老の滝」好華堂野亭 著[他] 『扶桑皇統記図会』国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)より転載
年号(元号)を変更することを「改元」といいます。そのうち、日本最初の年号「大化」や、「平成」「令和」のように天皇の即位とともに行われたものは「即位改元」(代始改元)と呼ばれ、「白雉」「大宝」などのように珍しい事物が発見・献上されたことによる改元は「祥瑞改元」と称されます。また災害に際して年号を改めることを「災異改元」、暦学で変革が起こるとされる年の改元を「革年改元」と呼びます。
「祥瑞改元」は中国の「祥瑞災異思想」にもとづくもので、皇帝がよい政治を行っていた場合は、この世界の支配者である「天」から祥瑞が下され、悪い政治を行えば災害・怪異が示されるというものです。日本でも7世紀から8世紀にかけて、天皇の徳を示すものとして、珍しい動物(白雉)や金属(和銅)、自然現象(養老)などの祥瑞の出現による改元が行われました。ただ、その場合は、中国本来の「天」ではなく、神仏が示すものとされていました。年号はそれ自体が、未来をよきものとして寿(ことほ)ぐ役割を持っていたのです。

しかし、祥瑞改元は平安時代以降、重視されなくなります。その一方で、年号をよき未来を約束し、悪しき過去を払拭するものとして、文字の選択に公卿・学者たちの知識が動員される傾向が強くなってきました。「年号定(ねんごうさだめ)」は公卿たちによる年号の文字を決定する会議であり、そこで行われる議論は「難陳(なんちん)」と呼ばれます。年号定と難陳は、「明治」改元の際に廃止されるまで続いてゆくことになります。

(久禮 旦雄)


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