Ⅳ 白沢からクタベへ

白沢 戸隠山白沢避恠図 個人蔵
「白沢」は神獣であり、話すことができ、天下の11520種の鬼神(悪鬼やもののけ)のことを知り、それを黄帝に教えたとされます(『軒轅本紀』)。鬼神のことに通じた白沢に「辟邪」の力を信じて描かれたのが白沢の図であり、中国では唐代のころから定着していきました。日本では『延喜式』(平安時代中期編纂)に祥瑞の一つとして上げられたのが初出ですが、特に江戸時代中期以降に流行します。例えば、戸隠山や八海山などで参詣客等へ頒布された「白沢避怪図」や、悪い夢を見ないため、諸々の邪気を避けるために枕元に掲げられた白沢の図などがありました。また、旅の心得を記した『旅行用心集』(文化7年〈1810〉出版)所収の「白沢の図」では、懐中すれば「山海の災難病患をまぬがれ開運昇進の祥瑞ある」と招福・攘災をうたうなど、魔除けとして民間に流布しました。
白沢は古くは獣の形であったものが、後に人面獣身が主流となりました(右図)。同様に人面獣身の姿から白沢とよく混同されるのが「クダン(件)」です。本来、クダンは文書などに用いられる「如件(件の如し)」の語句から、「まちがいないこと、ただしいこと」の象徴とされ、クダンの言うことは必ず当るとされました。同じく人面で予言する存在として「神社姫」がいます。文政2年(1819)に疫病が蔓延する中、流行した瓦版において、神社姫は吉事と凶事を予言し、凶事を逃れる対処方法を示しています。これは護符的機能を有するものでした。しかし、同時期によく似た予言をしたクダンは、対処方法を語ったかどうかは不明です(『密局日乗』文政2年5月13日条)。
クタベ『保古帖』
大阪府立中之島図書館所蔵

これ以降、クダンは予言という属性を取得しますが、文政10年(1827)から翌年に掛けて、人面獣身の「クタベ(クタヘ、クダベ、ドダクとも)」が流行します。これらを掲載した瓦版は「件」を唐名(中国風の名前)とし、「クタベ」などは和名と主張しました。クタベは疫病を予言した上、その姿を見ることにより難を逃れると教示しました。高力猿猴庵の日記によると、尾張ではその姿を描き、家の壁などに貼り置く人が多くいたといいます。クタベのパロディ的な存在として「スカ屁(べ)」の瓦版がありますが、それはクタベ自身がクダンから派生した存在であったことを示唆します。
白沢とクダンは姿の類似性から混同されました。予言をするクダンは本来難を逃れる方法を教えるという要素を持っていませんでしたが、既に魔除けとして流布していた白沢の存在があったからこそ、難を避ける属性を持つクタベがそこから生まれたのでしょう。

(笹方政紀)


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