Ⅲ 吉兆と祥瑞

「祥瑞」は、「瑞祥」や「瑞応」などとも言い、帝王の徳治(徳による教化で世を治めること)や天下太平などに応じて、天が下す吉兆、つまりおめでたいきざしのことです。具体的に言えば、めずらしい天文・気象現象や珍奇な動植物の出現などといった稀有なモノゴトを指します。例えば、今回展示している神獣白沢(左図)なども、『瑞応図』に「賢君の徳 幽遐に及べば則ち出づ」とあるように、本来は祥瑞の一種(瑞獣)でした。
また、祥瑞が吉兆を意味するのに対して、凶兆を意味する災異(災害・怪異)があります。前漢の董仲舒によれば、災異は天が君主に下す警告とされますが、不吉な未来を告げる予兆とも考えられました。
このように正反対の意味を持つ祥瑞と災異ですが、実は表裏一体の概念とも言えます。なぜなら、稀有なモノゴトに遭遇したとき、人はそれを吉兆とも凶兆とも判断しうるからです。吉兆と凶兆の境界は曖昧であり、ときに一つの現象をめぐって、それを吉兆と捉えるか、あるいは凶兆と見なすかで議論が起こることもありました。例えば、災異記録である『漢書』五行志をひもとけば、凶兆を吉兆と解釈して後世のそしりを受けた例が見られます。また、後漢の王充などは、一つの怪異をめぐって、当事者の立場により凶兆と吉兆が両立する事例を挙げていますし、「それ瑞応は災変(災異)のごとし」(『論衡』講瑞篇)とも述べています。
こうした事情からか、六朝時代に入ると、『宋書』符瑞志や『瑞応図』など、祥瑞を見極めるための書物が作られるようになりました。さらに『唐六典』巻4では、祥瑞はその種類に基づき、大瑞・上瑞・中瑞・下瑞にランク分けされました。大瑞が現れた場合には即座に上奏し、それ以外は年末にまとめて報告するきまりになっていました。先の白沢も大瑞の一つに数えられます。ただし大瑞すべてが必ずしも実際に現れ、史書に記録されたわけではありません。史書に見出されるのは、同じく大瑞に含まれる慶雲(五色に輝く雲の出現)や河水清(黄河の水が澄みわたる)といった一部の現象でした。これらは稀有ですが、ときおり起こりうる自然現象と言えます。

さて、漢代以来、祥瑞は儒教理念に包括され、国家制度の中で機能してゆくことになりました。とはいえ、祥瑞自体は決して儒教理念や国家制度の中にのみ位置づけられるわけではなく、その思想・文化は道教や仏教の中にも見いだすことができます。今回展示している『妙法蓮華経』の口絵(右図)は、序品の一場面を描いたものですが、仏教における祥瑞文化の一例を示すものと言えます。また同じく展示品の『明史稿』范衷伝では、一官吏が実践した孝行に対し、天が二つの祥瑞を下したことが述べられています。つまり祥瑞は、天命を受けた帝王のみならず、一個人の元にも現れると考えられたということになります。これなども儒教を背景として社会通念化された祥瑞文化の一例と言えるでしょう。

(佐々木 聡)

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