Ⅱ 怪異学と怪異

董仲舒
(明) 王圻 纂集[他]『三才圖會』106巻[7](人物巻4)、萬暦37年(1609) 序刊
国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)より転載
異学とは、西山克(京都教育大学名誉教授)が平成13年(2001)に、東アジア恠異学会の創設とともに提唱した新しい学問です。中世史を専門とする西山は、前近代の国家や社会の動向が、「怪異」——超自然的で非合理的な現象や観念と不可分の関係にありながら、現代の歴史学がその研究をないがしろにしてきたことから、怪異の研究の重要性を説きました。そして、前近代の王権が危機管理のために蓄積した先端知識が、やがて社会に拡散・浸透していくと考え、王権と怪異の研究を進めました。
その「先端知識」が、中国古代の祥瑞災異思想、天人相関説です。『漢書』巻56董仲舒伝には、……『春秋』によって過去に照らし合わせてみますと、天と人が互いに関係しあうことは大変に畏れるべきものです。国家が今にも道を失う過ちを犯そうという時には、天はそこで先ず災害を出すことで過ちを咎めます。それを君主が省みないのであれば、次に怪異を出して驚かせ戒めます。さらにそれでも君主が態度を改めないのであれば、そこでとうとう破滅がやって来るのです。このことから、天の心が君主を思いやって世の中が乱れるのを防ごうとしている様子が窺えます。……とあります。天が皇帝の治政の過ちを「災害」「怪異」によって警告するのです。ここでの「怪異」は、怪談やホラー映画に描かれる怖い体験、あるいはアニメや漫画に登場するお化け・妖怪などとは異なります。
史書に見える「恠異」の二文『怪異学入門』(岩田書院)表紙より

この知識を受容した日本では「天」にかわって、神仏の意思(祟り等)として解釈しました。古代では、国家が「不思議なコト」を卜占や宗教的儀礼も含む行政処理により説明し、その一部を「怪異」と名づけて、対処を行うことで危機管理を行いました。特定の現象を国家が「怪異」と認定するものであり、社会で日常的に用いられる言葉ではなかったのです。
中世になると、「怪異」は朝廷・幕府・寺社などの勢力がそれぞれ説明するようになります。ところが、室町時代には、社会の大きな変革とともに、それらの勢力は「怪異」を説明する機能を喪失し、「怪異」が社会に噴出します。江戸時代になると、知識人たちが「怪異」を再解釈するとともに、娯楽化していきます。明治時代以降は、科学的知識と「怪異」が拮抗し、やがて個人的な恐怖の対象となり、現在私たちが用いる意味での「怪異」となっていきます。
このように怪異学では「怪異」という言葉への厳密なアプローチと時代や社会によって異なる意味を内包していることを明らかにしてきました。

(大江 篤)


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