おもてなし文化論「第2の我が家を理念に。老舗柊家旅館から学ぶおもてなし術!」

2020.02.25

11月6日、文化学部「おもてなし文化論」の授業が開講されました。今回は柊家旅館6代目女将 西村明美氏をお招きし、「京のおもてなし」について学びました。

柊家の先祖は文政元年(1818年)に上京し、現在地の麩屋町通姉小路に居を構えました。下鴨神社の境内にある出雲井於神社(いづもいのへのじんじゃ)に植えられた木は、どんなものでも柊の葉のようにギザギザになるため、比良木神社(ひらきじんじゃ)とも呼ばれています。柊家はその比良木神社を信仰していたため、屋号を柊家と名付けたそうです。

そのような旅館で育った西村氏は、幼少時代は男勝りな性格でした。しかし、旅館を訪れたお客様と接するうちに、「和の空間でもっとくつろいでいただくために、女将として何ができるのか」と考えるようになり、女将としての所作を身につけたそうです。「所作は自分のためでもありますが、相手に想いをどう伝えるかという役割もある」とお話してくださいました。また、旅館には京都にあこがれを持ったお客様もいらっしゃるため、京都について質問をされる機会があり、その際に上手く説明することができず、自分が無知であることを実感し、京都について学ぶようになったそうです。そこで、今回の講義では、京都について理解を深めるために、旧暦の暦や、街の歴史について話されました。

柊家旅館の玄関には「来者如帰」(らいしゃにょき:来たる者、帰るが如し)と書かれた額が飾られています。この言葉は、「旅館に訪れたお客様が、まるで我が家に帰られた様にくつろいでいただく」という、柊家旅館のおもてなしの理念です。たびたび旅館を訪れていた川端康成は、旅の行き帰りや他の宿で泊まった後でも柊家旅館に寄って休み、「来者如帰の額が目につくが、私にはさうである。」と語るほど、まるで自分の家の様にくつろぐことができる柊家旅館のおもてなしに魅了されていました。

「ぶぶ漬けでもどうどす?」という言葉を聞いたことがありますか?ぶぶ漬けとはお茶漬けのことを言いあらわしており、近畿地方で主に演じられる「上方落語」ではこんな話があります。京都での用事を済ませたお客に、店主が「何もないけれど、ぶぶ漬けでもどうですか?」と勧めたところ、お客は「はい。」と返事をしてしまい、厚かましいと思われたという話です。この話の影響もあり、一般的に「早く帰ってほしい」など、悪いイメージを持つ人も多いと思います。

しかし、本来は京都の暮らしの中での微妙なお互いの気遣いを含んだ言葉でした。京都に住む人にとって、おもてなしをすることは重要なことであり、お客様に対して質の良い物を使ったり、お出ししたりして、良い空間を作ることができて初めておもてなしができると考えていました。そこで、「本当はお迎えしたい気持ちはあるが、きちんとしたものはお出しできないので」という意味を込めて、「ぶぶ漬けでもどうどす?」という言葉を使っていたそうです。西村氏は「相手を想う心が、おもてなしにとって一番大事だ」と話されました。


私は今年からこの京都に住み始め、様々な場所やお店を訪れました。格式高く、入ることに少し躊躇してしまうようなお店もありましたが、店主は心優しく迎え入れてくれました。この温かく、どこか懐かしいと感じさせるようなおもてなし術は、長い年月を重ねて作り上げられた京都でしか学べないと思いました。

(学生ライター 現代社会学部1年次 水方 葵)

柊家旅館6代目女将 西村 明美氏
西村氏の講義を熱心に聞く学生ら
学生からの質問にも答えてくださいました
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