西高瀬川繪圖面控

写本彩色 明治2年頃(1869年頃)
1舗   28×195cm

 本絵図は三条通沿いに南北に接する西京村と西院村の、東は千本通から西は山ノ内村との境界までの川や水路が描かれている。本図は明治維新の西高瀬川改修工事の計画段階のものと推測される。西高瀬川は、文久3年(1863)に開削された運河で桂川(大堰川)の渡月橋付近から取水して東に流れ、千本通の西側から南下し、下鳥羽で鴨川に注ぐ運河である。幕末に開通した西高瀬川は、嵯峨からの東西の流路には高低差がほとんどないことなどから逆流や溢水等が懸念されたため、明治維新後、新政府が改修工事に着手し、途中で京都府に引き継がれ、文久時と同様、河村与三右衛門が京都府に雇われて工事を担当した。改修工事は、御室川と交差する付近から千本通の西までの流路を三条通沿いに付け替えるもので、明治3年(1870)6月に竣工し、7月から通船が開始された。(『京都府布令書』)
 制作年代は、本絵図が計画段階を示す図であることから、明治維新(1868年)から工事竣工の1870年までになる。

(引用・参考)
鈴木康久編(2022)『淀川水系 河川絵図集成』一般財団法人近畿地域づくり研究所
寺尾宏二(1973)「西高瀬川考」(『経済経営論叢』第八巻第二号、京都産業大学)
寺尾宏二(1974)「西高瀬川続考」(『経済経営論叢』第八巻第四号、京都産業大学)