伏見宇治川筋絵図 

写本彩色  天保8年(1837年)
4舗 T図 48.0×65.5p U図 41.0×61.0p V図 55.5×80.0p W図 53.5×80.0p
※ 標題は書店カタログによる

 伏見宇治川筋絵図は縮尺が各々ことなる四枚の絵図群である。作成目的は天保7年(1836)7月また8月の洪水により発生した宇治川による向嶋村の破堤と被害状況を描いたもので、天保9年(1838)に実施された幕府役人による巡見に供するためのものと推察される。
 T図は宇治橋から淀小橋間の宇治川、伏見町と周辺の村域を示す広域図である。
 U図は宇治川左岸に位置する向嶋村の領内を示す。宇治川と槙島堤、小倉堤、村内の耕地を描く。村域の西には他領と記す方形の範囲があり、向島城跡の直轄領を示す。南西部には広い範囲で常水場(二の丸池)がみられる。槙島堤の直下に存在する大きな三つの池は形態から押堀(切れ所池)であり、ここで破堤が生じたことを示す。これら池沼から常水場にまっすぐのびる水路が五本描かれる。川中には三つの中島が描かれ、内二つは堀内村および六地蔵村と境を接している。
 V図は天保7年に発生した槙島堤の破堤とそれによる被害状況を示した災害絵図である。宇治川左岸の槙島堤には向嶋村で3ヶ所、葭島新田で5ヶ所、他領1ヶ所の計9ヶ所の破堤部が赤色で示される。さらに、破堤部から堤内に広がった砂入荒の範囲を白色で示す。砂入荒8ヶ所を17に細分し各々荒高および砂厚を詳細に記述している。砂厚は一尺二寸(0.36m)から七尺六寸(2.3m)までの値を記し、破堤部付近で最も厚く、そこから遠ざかるにしたがって薄くなっている。
 W図は向嶋村に生じた最大の砂入荒部を詳細に描いたもので、被災部の一筆ごとの地割りに小字名と地番を記す。堤防付近に切、川原、砂田、砂入など破堤にともなう環境を示す字名が多く見られる。

(引用・参考)
鈴木康久編(2022)『淀川水系 河川絵図集成』一般財団法人近畿地域づくり研究所 植村善博・鈴木康久・片山正彦(2020)「「伏見宇治川筋絵図」(天保期)による宇治川の破堤と被害状況」(『京都歴史災害研究』第二一号、立命館大学歴史都市防災研究所)