宇治川堤実測図 

写本彩色 江戸時代中期
折本 一帖  28.5×431cm(折りたたみ: 28.5×10.8cm)
※ 書名は目録作成者による 

 本絵図は槙島村から淀小橋までの宇治川左岸の地盤高 (堤高)と水面高について、測量をした結果を記した図である。測量は槙島村を一番杭として、一番杭の高さを基準に、各測点での堤上高と水上高とを示している。測点については、一町を基準に杭を打ち、その本数は百本となる。拾町毎を基準に、一一番杭、二一番杭、三一番杭と十刻みで九一番杭までの九箇所の測点については、一番杭の高さと各測点の堤上高の差を示しており、堤と水面の勾配を知ることができる。また、豊後橋下流の最初の杭である五一番杭までは堤上面と水面の高さを記しており、測定時の堤高も知ることができる。具体の堤高は、一一番杭が「一丈一寸下」、豊後橋上流の四一番杭が「七尺五寸下」と記されている。このことから槙島村から豊後橋までは堤防であったことがわかる。
 豊後橋から下流の五四番杭から六一番杭までについては、水面と地盤高が同じであることから、巨椋池から宇治川へと流れる河川があったことがわかる。この河川については、本図書館が所蔵する「伏見川之圖」には「元宇治川」と記されている。
 豊後橋から淀小橋までの下流についても、堤上面と水面の高さが約一丈であることが記され堤があるように見えるが、豊後橋上流部と異なり、「合」、「○水垂」、「△」の下に数値の記載が見られない。この相違点も踏まえ、堤の有無を判断するには他の絵図との整合が必要となる。
 同時に図書館が入手した、石川堤を測量した同手の実測図には享保3年(1718)とあり、本実測図も同時代に制作されたと考えられる。また、豊後橋下流で宇治川に流れる込む河川は、享保7年(1722)から享保14年(1729)に開発された葭島新田後は存在しないことから、1729年までに描かれた絵図である。

(引用・参考)
鈴木康久編(2022)『淀川水系 河川絵図集成』一般財団法人近畿地域づくり研究所