瀬田川上流絵図

写本彩色 江戸時代中期以降
一鋪  39.3×214.5cm
※ 書名は目録作成者による
※ 料紙は左右8枚を貼付

 左岸側は大江村、右岸側は粟津付近から、琵琶湖から流れ出る瀬田川を「獅々飛」(鹿跳渓谷)付近まで描いている。凡例は「(黄色)此色田地」「(緑色)同山林」「(橙色)同道村」「(青色)同水」「(白色)同土砂」とある。
 地物の表現は全体的に簡略であるが、河道、とくに瀬田川に流入する河川の河口部周辺には、土砂が堆積した状況が細かく描かれている。それらのほとんどには坪数が記され、堆積した土砂の面積がわかるよう表現されている。
 また、河道内には、ある距離を進むごとに標高がいくら下がったのかが注記されている。例えば、瀬田唐橋のやや南では、「大橋ゟ五町之間五尺一寸下ル」の要領で記され、およその勾配が示されている。
 制作年代は、八島が2つ島に整備されていることから、河村瑞賢が指導した元禄12年(1699)の大規模な川浚え後の江戸中期以降の絵図と推察される。

(引用・参考)
鈴木康久編(2022)『淀川水系 河川絵図集成』一般財団法人近畿地域づくり研究所