勢多川筋麁絵図 

写本彩色 江戸時代中期以降
一鋪  74.8×101.5cm
※ 書名は袋による

 琵琶湖(膳所御城)から伏見・京都五条橋に至るまでの瀬田川を描いた絵図である。絵図には瀬田川の名称はないが、東高瀬川、加茂川の名称は確認できる。川沿いには道筋が描かれており、桃山付近では山沿いのルートも示されている。絵図には濱の他、シマ、岩など川船航行上の障害となりそうな難所を詳細に描写がある。岩にはそれぞれに名が付けられ、水が逆巻く「逆流」との文字も見られる。近江と山城の国境では流入河川も忠実に描かれ、近江国では一箇所、山城国では2ヶ所の渡し場が確認できる。これらのことから、陸路や水路といった交通の把握に力点をおいた広域図といえよう。鹿飛渓谷では「米カシ」、下流の宇治では「下コメカシ」と記されている。宇治の米カシ(炊)は、享和2年(1802)に発行された京の名水番付「都名水視競相撲」でも上位に格付けされるほどの名所であった。上流の大戸川(大道川)合流部の八嶋は一つの島として描かれている。
 制作年代は、鴨川と高瀬川の間に「七条新地」との表記から宝永3年(1706)以後であり、対象の描き方や筆跡から江戸中期以降の絵図と推察される。

(引用・参考)
鈴木康久編(2022)『淀川水系 河川絵図集成』一般財団法人近畿地域づくり研究所