大坂川口より淀川筋城州伏見近邊迄 川筋之繪圖

写本彩色 江戸時代中期(宝永年間頃)
巻子本 一巻  26.2×396.9cm(本紙: 26.2×345.1cm:料紙8枚継ぎ)
※ 書名は見返による。題簽の書名: 淀川筋之繪圖

 本絵図は、大坂湾から伏見の上板橋までの川筋と両岸の村等を描いており、特に橋梁については詳細に記している。大坂における44ヶ所の橋梁の位置と、本流に架かる「天満橋」や「天神橋」、曽根崎川に架かる「難波小橋」、「汐津橋」など多くの橋梁の名称が記されている。伏見においても12ヶ所の橋梁が描かれており、宇治川派流に架かる「京橋」、濠川に架かる「丹波橋」や「森橋」など10橋の名称が記されている。他には、大坂湾の川口に「湊堀」とあり、港湾があったことがわかる。三川合流部においては木津川を「山城川」、桂川を「鳥羽川」と記している。
 制作年代は、河村瑞賢が行った安治川の開削(1684年)の残土で盛られた瑞賢山の南側に開発された新田(宝暦年間)が描かれているように見える。その一方で、明和元年(1764)に開発された石田新田が描かれてないことから1750年頃から1764年までの制作と推察される。宝暦6年(1756)の落雷により焼失した淀城の天守が描かれることで作成年を1756年までとすることもできるが、焼失後の絵図にも天守が描かれることもあり留意が必要である。

(引用・参考)
鈴木康久編(2022)『淀川水系 河川絵図集成』一般財団法人近畿地域づくり研究所