マネジメント研究科 マネジメント専攻 諏澤 吉彦 教授

変化のなかでのリスクマネジメントの役割は何か

変化のなかでのリスクマネジメントの役割は何か

保険実務からリスクマネジメント研究へ

現在、複数の研究テーマに同時に取り組んでいます。一つは、情報通信技術と大量のデータを活用した革新的保険商品・技術であるInsurtechに関する競争と規制のあり方、また生活保障システムにおける保険産業の役割、そして大規模自然災害リスクファイナンスのあり方を、保険経済学とファイナンスの視点から検討しています。これらは、世界的に少子高齢化が進展し、また、自然災害が頻発するなか、保険・リスクマネジメント学術研究において重要な課題となっているとともに、実務の面からも新たな枠組みが要請されているものです。
私がリスクマネジメントと関わるようになった時期は、大学学部卒業後、損害保険料率を中立的な立場から算出する損害保険料率算出団体(現在の名称は損害保険料率算出機構)に就職したときに遡ります。1980年代後半の当時、損害保険産業は厳格な規制の下にあり、保険会社各社の提供する損害保険商品の多くは、その補償内容も、保険料も横並びでした。このため、損害保険料率算出団体が示す主要な保険種類の保険料率は、国内のすべての保険商品の保険料を左右するものでした。当時私は、自動車保険を担当する部署で、損害保険会社やその他の関係先の担当者らと議論しながら、あるべき保険料水準・体系の設計に携わっていました。保険数理、法律、工学など様々な分野を専門とするメンバーのなかで、私は経営・経済的視点から、どのような仕組みにすれば、自動車運転者の安全運転努力を促すのか、自動車自体の安全性が向上するのかなどの分析に加わり、たとえば、現在は当たり前となっている自動車保険料の安全装置割引、車両型式別区分などの制度設計に携わりました。新たな仕組みを検討するに際しては、海外での様々な試みについて分析することが役立ちます。実は大学学部では、保険とは全く関係ない国際政治経済学を学び、研究していましたが、学部として様々な外国語の教育を受ける機会が設けられていました。将来どのように役立つのか解らぬまま、しばしば負担に感じながら中途半端に身に着けた外国語の知識でしたが、その数年後、英語圏だけではなく、ドイツ、フランス、韓国、台湾などの研究論文、保険法令、保険料率表、保険約款などを読み込み、分析することに大いに役立ちました。
1990年代半ばになると、損害保険の分野においても規制緩和が進められることになります。環境が徐々に変化していくなか、これまでの先人からの経験と知識の積み重ねに依存した業務遂行に限界を感じ始めたころ、米国サンフランシスコにある保険実務教育機関Insurance Educational Associationにおいて、同国の公認損害保険引受人(Chartered Property and Casualty Underwriters)資格試験準備プログラムの一部を受講する機会を与えられます。2か月足らずの期間でしたが、そこで触れたのは、経営、経済、法律、数理、工学など多様な分野から理論的に体系化された保険実務の世界でした。ここで、変化し続ける新たな局面に柔軟に対応するためには、現実の事象の背後にある真理を説明する学問体系を理解することが不可欠であることを認識し、帰国後、規制緩和が進むなかでの損害保険料率算出団体の新たな役割の検討などに役立てていきました。
その約2年後、20世紀も終わりに近づいたとき、保険自由化の進んだ米国の最新状況を詳細に調査するため、ニューヨークへの赴任を命ぜられました。ここでは、歴史ある保険・リスクマネジメント研究・教育センターであるSt. John’s UniversityのSchool of Risk Management, Insurance and Actuarial Scienceの修士課程に入学することを許されます。ともに学ぶ大学院生は、将来研究の道に進もうとする者ばかりではなく、さらなるキャリアアップを目指す現地の保険実務者も多く、彼ら彼女らとのつながりから、米国のリスクマネジメント研究機関、保険会社、保険ブローカー、保険統計団体など業務の現場を実際に見て、経験を積むこともできました。そこで目にしたのは、ポートフォリオ理論や資本資産評価モデルが保険アンダーライティングや保険会社の資産管理へ、オプション・プライシング理論が保険料率算出や保険支払保証基金の賦課金計算などに、盛んに応用されていく現場でした。そこで、今後は、伝統的な保険論が拠り所としてきた収支相当の原則、給付反対給付均等の原則などだけでなく、新たなに発展しているファイナンス諸理論の保険分野への導入が不可欠であることを認識します。同時に、大学院の指導教授からもファイナンス理論を用いた保険市場分析に取り組むことを提案されました。昼間は業務を行い、主に夜間開講の大学院プログラムを受講しながら、2000年に経営学修士号と理学修士号を取得し、帰国しました。

保険とファイナンスの融合と統合リスクマネジメントの体系化

書籍

帰国後、損害保険料率算出団体おいてさまざまなプロジェクトに参画していましたが、さらにリスクマネジメント研究を深めたいと考え、戦前から保険研究において多くの貢献をなしてきた大学の博士後期課程へ進みました。すでに年齢は30代半ばを過ぎ、職場でも齢相応に責任ある立場となっていましたので、国立市にある大学と東京都心の職場を日に何度も往復し、深夜と早朝に研究を行う生活が始まりました。時間に追われる日々が続き、負担に感じることもありました。しかし、博士後期課程では、保険論はもちろん、ファイナンス、金融論、統計学など多様な分野の先生方から研究指導を受け、その薫風に浴することができました。また、情熱をもち、柔軟な発想で研究に邁進する、私よりも一回り近く若い学友たちとともに学び、議論を重ねた経験は、その後の研究活動の大きな糧となっています。その頃(2000年代前半)は、すでに述べた米国で始まった保険とファイナンスの融合の潮流が、わが国にも及びつつあるときでした。たとえば、従来は保険に依るしかなかった自然災害リスク移転の分野において、証券化の仕組みを応用したカタストロフィ・ボンドや、また天候により被る減収といった、保険では対処できないリスクを対象とする天候デリバティブなど、新たなリスク移転手段が、国内でも利用されるようになっていました。そうした状況変化に対応した新たな保険とリスクマネジメントの理論体系を構築しようと、指導いただいた先生方、様々な分野で研究に励む学友たちと取り組みました。その一環として、経済学とファナンスに基づいた、当時最新の保険・リスクマネジメントを論じた書籍であるHarrington and Niehaus (2001), Risk Management and InsuranceやDoherty (2000), Integrated Risk Management: Techniques and Strategies for Managing Corporate Risk、Dionne (2000), Handbook of Insuranceなどを読み解き、その一部を共訳書として出版し、また、これらから得た知見と伝統的な保険論との融合を試みた新たな共著保険テキストを出版したことは、困難でありながらやりがいのある楽しい経験でした。
その後、博士後期課程を修了し学位を取得したのち、このまま実務者としてキャリアを積み重ねるか、研究者として方向転換するか決めかねていたとき、本学で研究と教育に携わるという道に出合うことができました。多くの機会を与えられ経験を得ることができた損害保険料率算出団体と保険業界に深く感謝しつつ、移籍することを決断しました。もちろん、保険業界の人々とは今も公私ともにお付き合いが続き、そのことが現在の研究と教育にも役立っていることは言うまでもありません。また、米国、そして日本の大学院での恩師、そして学友たちとの関係も継続し、今も大いに支えられています。

変化し続け、革新が生まれるところ-大学院へ

インタビュー風景

誰でも日常の勉学や仕事、生活のなかで疑問を感じ、問題意識を持つことがあると思います。その疑問に答え、問題を解消していくためには、それらが生じた背景、経緯を熟知したうえで、そしてその背後にある真理を追究していくことが不可欠です。しかし目の前のやるべきことをこなしていくうちに、その意識は日常の活動のなかに埋もれ、薄れていってしまうでしょう。それでも時間は流れて行き、世の中も動いていきます。自らも変わりません。いっぽう疑問を常に持ち続け、解決したいと意識していれば、そのための機会が目の前に現れたとき、それを逃すことはありません。あるいは、そうした機会が向こうから近寄ってくることもあります。それは、ときに転職であったり、留学であったりするでしょう。そして大学院進学も、そうした機会の一つです。大学院で体系的で深い学識を身に着ければ、現実に起こっている様々な事象を、どのように解釈し、どのように分析すべきかが見えるようになります。同時に、たとえ環境が変化したとしても、新たな条件に素早く適応できるようにもなります。
しかも大学院は、個人が自らの研究のために研鑽する場であるとともに、各自の専門分野でそうした努力を重ね、豊かで多様な専門知識と価値基準を備えた複数の個人が出合う場でもあります。社会の発展に貢献する理論体系や技術体系、さらには芸術体系などさまざまな分野における革新は、このように異なる知識や価値が出合う場で興されます。大学院で学ぶことは、そうした革新が生まれる過程を目の当たりにすること、また、それに直接寄与することにもなるのです。
より強く柔軟に変化し、社会の発展に貢献する存在になってください。

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