研究紹介

経済学研究科 経済学専攻 後藤富士男教授 インタビュー

「北朝鮮経済の改革・開放を考える」

84年に始まった経済改革の動き

北朝鮮では2012年4月に金正恩体制がスタートし、「経済建設と核武力建設の並進路線」が鮮明になっています。核開発をめぐる六カ国協議と拉致問題の交渉は行き詰まったままで、依然解決の方向性が見えていません。私は北朝鮮の経済政策を研究していますが、その研究を通して北朝鮮と日朝関係の今後についても考えてみたいと思います。

北朝鮮の経済政策に改革・開放の動きが始まったのは1984年のことでした。最初の変化は、対外貿易に現れました。1984年1月の最高人民会議で「南南協力と対外経済事業を強化し貿易事業を一層発展させることについて」を採択。この結果、北朝鮮の貿易は最大の取引相手であったソ連との貿易を中心に輸入、輸出ともに急速に拡大しました。

この動きと連動して、同年9月には「合弁法」が採択され、在日朝鮮人企業を中心に西側企業と北朝鮮との合弁企業が設立されました。一方、国内経済の改革については、金正日が自分の誕生日である84年2月16日に「人民生活をいっそう高めることについて」と題して講演。この演説をきっかけに国民生活の向上が強調されるようになりました。

また、84年には国営企業の独立採算制を強化する動きも現れました。もともと、独立採算制はソ連の国営企業をモデルとして、1940年代から50年代にかけて北朝鮮の国営企業に導入されていました。当初は内部留保した利潤の一部を小規模な投資や奨励金に充てる余裕があったのですが、60年代以降の国営企業に対する管理制度が変更される過程で形骸化していたのです。

84年の改革で独立採算制の企業は、決算時に国家企業利益金(法人税に相当)を計画通り納め、自体充当金(生産に必要な原材料費などの引当金)を差し引いてもまだ資金が残る時には、企業所基金を積み立てることができるとされました。企業所基金は、生産拡大のための設備投資や研究開発費に充てるほか、一部を業績向上に貢献した社員に対する報奨金としても使うことができるようになったのです。

切羽詰まった苦境を脱する試み

本棚

北朝鮮がこうした改革的経済政策を始めたのは、1978年から中国が改革・開放政策を取り始めた影響が大きいとみられます。中国は、国内においては農業分野で人民公社の解体や個人農家の拡大、農村工業の振興、工業分野では独立採算制の強化や企業自主権の拡大、対外的には経済特区の設置や外資導入、対外取引の拡大や外貨使用の自由化などの大胆な改革を進めました。金正日は1983年に訪中し、中国の改革・開放政策の立役者であった鄧小平と会談、深圳の経済特区を視察しています。

しかし、その中国で86年ごろから経済改革が民主化要求へと発展、ソ連でもゴルバチョフによって政治の民主化が主張されました。こうした動きを受けて、北朝鮮経済の改革・開放の動きに急ブレーキがかかることになりました。

次の変化は1990年に現れます。それまで対ソ連貿易は友好価格・バーター取引で行われていましたが、国際市場価格・ハードカレンシー決裁に変更になったのです。安上がりで物々交換でよかった決裁が、突然他国と同じ方式になったのです。この結果、翌91年には最大の貿易相手であったソ連との取引が激減、その年の12月にはソ連自体が崩壊してしまいました。

もともと、北朝鮮の経済政策は現政治体制を堅持することが大前提です。そこで北朝鮮は、民主化要求につながりかねない国内経済改革よりも対外開放・外資導入路線を優先する方向にかじを切ります。91年から外貨獲得のため、韓国への輸出を拡大、中近東への武器輸出拡大がマスコミで大きく報道されるようになります。また、羅津・先鋒に「自由経済貿易地帯」を設置して、外資導入を積極化します。しかし、輸出入、外資導入ともに停滞が続き、90年代半ばの食糧危機やエネルギー不足によって北朝鮮経済は大きな打撃を受けることになります。

「改善」という名の3度目の変化

今世紀に入って3度目の変化が起こります。2001年10月に金正日は、経済機関の幹部に対して「強盛大国建設の要求に合わせ社会主義経済の管理を改善強化することについて」と題する講話を行いました。これをきっかけに北朝鮮では新たな「経済改善措置」が導入されます。

経済改善措置導入後の変化を国内経済の消費財、生産財(原材料)、資本・金融、労働の4つの市場から見てみます。導入前に市場が機能していたのは消費財の一部だけで、残りの3つの市場は封鎖され、国家計画委員会の管理下で運営されていました。ただ、その管理も1980年代から相当緩み、かろうじて生産計画の一部を達成していたにすぎないといわれています。

消費財は、食料を除いて配給が廃止されたのに伴い、個人や企業に小売店やサービス業、食堂などを営業することが許可されました。また、農家が庭先で作った野菜などを販売していた農民市場が総合市場に変更され、農産物だけでなくさまざまな消費財や輸入品なども販売されるようになりました。これらの変化に連動して、個人商店だけでなく仲買人や、商店に融資する小口の金融業者も登場しています。

生産財の生産については、国家計画委員会の管理を電力や鉄鋼などに限定し、それ以外は地方政府と国営企業に委ねられました。また、国営企業で余ったり、不足した原料や資材、付属品に限って「社会主義物流交流市場」を組織して、企業間で取引することも認められました。資本・金融については、企業に減価償却金を内部留保させ、従来国家財政が支出していた運転資金を自力で銀行から調達させるなど独立採算制の強化が図られました。また、労働面では公定小売価格の引き上げに伴い、賃金も引き上げられました。企業の賃金決定と支給権限が拡大され、遊休労働力を企業が炭坑や農場に派遣することも認められました。

これらの改善措置によって、もっとも市場化が進んだのは消費財です。半面、生産財や資本・金融市場においては依然政府の統制が効いており、この2つの市場を政府が掌握している限り、北朝鮮の計画経済は維持可能であり、市場経済への「体制移行の臨界点」を越えることはないと考えられます。

明らかになった北朝鮮経済の限界

インタビュー風景

2001年の経済講話で金正日は「社会主義経済管理を改善し、完成していくのに堅持していかねばならない「種子」は社会主義原則を確固として守りながら、最も大きな実利を得ることのできる経済管理方法を解決することである」、「社会主義経済の優越性に対する信念が確固とできないなら一時的な経済的難関の前でも動揺し、資本主義市場経済に対する幻想を持って社会主義原則を離脱し、別の考えをする可能性がある。そうなれば、帝国主義者たちが騒いでいる「改革」「開放」に混同され、他人のものを受け入れるようになり、資本主義的経済管理方法を持ち込むようになる」と警告しています。2012年に党第一書記、国防委員会第一委員長に就任した金正恩は「経済建設と核武力建設の並進路線」を打ち出しながら、基本的には金正日の経済改善措置路線を継承しているとみられます。

北朝鮮が経済改革を本格化させれば、経済は発展する可能性があります。北朝鮮には石炭、鉄鉱石をはじめとする豊富な鉱物資源があり、「南農北工」(朝鮮半島は南が農業、北は工業が発展)といわれるようにもともと工業化のポテンシャルは高いのです。ただ、経済改革は同時にヒト・モノ・カネ・情報の流動化をもたらし、流動化によって独裁体制がメルトダウンしかねないのです。ここに北朝鮮経済の限界があります。

他方、西側諸国が北朝鮮に対して直接投資を行うことは、北朝鮮の労働者を覚醒させ、体制転換を促進させる効果が期待できます。しかし、進出企業が生み出した付加価値の一部が党と軍に回り、独裁体制の維持と核開発に利用される可能性も否定できません。北朝鮮では、西側からの食糧やエネルギーなどの支援活動にもこの種の懸念が常につきまとうのです。

北朝鮮との間に拉致と核という重大な問題を抱える日本にとって、対北朝鮮政策を経済制裁から経済援助に転換するには高いハードルがいくつもあります。日本政府は、対北朝鮮交渉に「行動対行動」という強い姿勢を打ち出しています。マスコミでは六カ国協議再開に向けた動きが報じられていますが、日朝関係は政治的にも、経済的にも当面は膠着状態が続くものと思われます。

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