優秀賞

文化学部 国際文化学科4年次生 黒川 大樹

作品概要

 私は幼少の頃、両足の筋肉組織が壊死する病気にかかってしまい、そのショックが原因で、スポーツに対して消極的な思春期を過ごした。しかし、自分の苦手なことに対していつまでも弱腰になってはいけない。2回生になる春にそう感じ、一念発起、私が最も苦手とするマラソンに挑戦した。そして昨年の春、私にとって初のフルマラソン挑戦の時がついに来た。不安と闘いながらも、市民ランナーにとって1つの大きな目標である、3時間台での完走を果たすことに成功した。

 フルマラソンを完走して以降、私の心境に変化があった。これからは自分と同じ病気で闘っている人に少しでも勇気や希望を与えるために走りたい。自分のためだけではなく、人のために走りたい、と。

 そして、私は次なる目標を新設される奈良マラソンに定め、シーズンオフの夏場を走り込みに費やした。7月と8月は1日も休まず、もはや、毎日走ることが一種の義務感のようになっていた。その時の私は、嫌々走るということはなかった。しかしながら、人間の身体には限界点が存在した。そして、心理的な限界と身体的な限界とでは、必ずしもマッチしていない。つまり、いくら走り続けたいという気持ちがあっても、身体が心についていかないのである。

 加えて、今年の夏は例年にないほどの猛暑が続き、安静に過ごしていても熱中症などの事故が各地で多発していた。そのような気象条件を顧みずに走り続けたことは、私にとって自殺行為だった。7月と8月は気持ちで走ったものの、身体へのダメージは甚大だった。9月には典型的な夏バテで、走り込みのパフォーマンスは目に見えて落ちていった。それどころか、両足の膝の関節が炎症を起こし、歩くだけでも痛みが走るようになり、一時は奈良マラソンへの出場も危ぶまれた。幸いにも、秋の到来とともに両膝の炎症も鳴りを潜め、心配は杞憂に終わったが、マラソンに取り組むこと2年、初めてぶつかった壁であった。今回の苦い経験は、私に多くのことを教えてくれた。

 背伸びして無理をしても、そのお釣りは大きな反動となって自らに返ってくる。今から考えると、あの頃の私はフルマラソンを完走したという自信に満ち溢れていて、謙虚な気持ちをどこかに置き忘れてしまっていた。いつまでも過去の余韻に浸らず、いつだって挑戦者に立ち返らなければいけない。「チャレンジ」とはそういうことなのである。頑張ることはいいことだ。しかし、頑張り方を誤ってはならない。今夏の練習は、質より量を重視するあまり、内容があまりにも効率性に欠けていたことは事実だ。来年の夏は、走り込みの量を増やすことに躍起にならず、夏場ならではの効率的な練習方法を習得しようと思う。

 そして何よりも、本来の目的を忘れてはならない。もともと私は自分と同じ病気で闘っている人に、少しでも勇気や希望を与えるためにマラソンを始めた。希望を与える側は、とにかく楽しく取り組まないと意味がない。歯を食いしばって悶え苦しんでいる姿を見せてしまっては、誰にも勇気や希望をもってもらえないだろう。

 しかし、夏場の走り込みは必ずしも大失敗だったわけではない。反省点もあれば収穫もあった。現に過酷な環境下での走り込みの成果は、心肺機能の発達となって顕れている。惜しむらくは収穫以上に改善すべき部分が多かった、ということである。今回の失敗は私にとっては良薬だった。失敗したものの、幸いにも身体的に大事には至らなかったからだ。

 失敗というものは常に自分を成長させ、再起させ、奮い立たせてくれるカンフル剤である。これから先、生きていく中でいろんな経験をし、当然失敗も数多くするだろう。でもそれは、自分の知らなかったことに気付くことができ、それによって成長することができるまたとないチャンスである。失敗を恐れて挑戦しないことは、自分の成長を妨げていることに他ならず、結果として飛躍するきっかけを失うことを意味する。何事に対しても決して守りの姿勢に入らず、アグレッシブに行動しつつ客観的に自分を見つめる。要は、押しと引きのバランスが大事だということだろう。

 私の挑戦は日々続いていく。

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