優秀賞

「挨拶の力」

経済学部 経済学科 2年次 工藤 隆平

審査員講評

 朝の通学路での小学生からの思いがけない「おはようございます」という声掛け、アルバイト先の飲食店でのお客さんとのやり取り、何気ない日常の中で挨拶がもたらす不思議な力に思いを馳せる筆者の姿が目に浮かんでくる。体験したエピソードを軽妙に語りつつ、挨拶の意義や効果的な伝え方について鋭く洞察する文章は、読む者に説得力をもって迫る。また、IT化が進んだ時代だからこそ、フェイツーフェイスによる言葉のやりとりの重要性が増しているという筆者の指摘は、携帯やパソコンを使って何事も早くすませることがスマートであるとされる現代人にとって、貴重な戒めでもある。地方の疲弊が叫ばれるなか、国の財政もまた悪化の一途を辿っている。かつてのように財政面で国に頼れない今、筆者が説く「挨拶週間」が地方創生の端緒になるかもしれない。

作品内容

「挨拶の力」工藤 隆平

 スマートフォンのアラームを止めて時間を確認し、私はもう一度布団に潜る。大学2年目にもなると、ぎりぎり講義に遅刻しない時間というものがなんとなく分かってくる。そのため、アラームが鳴ってもすぐには起きず、時間を確認しつつ布団の中で過ごすのだ。そして、間に合わなくなるぎりぎりの時間になると布団から飛び出し、大学へ行く準備をして急いで大学行きのバスが出ているバス停まで向かう。 私がいつも利用しているバス停までの道には小学校があるのだが、 今週は“挨拶週間”なるものを行っているらしく、登校中の小学生が道行く人に元気に挨拶をしている。“そういえば、小学生のころは知らない人にも挨拶したなぁ。”などと懐かしみながら、早足でバス停に向かっていると、突然後ろから

 「おはようございます!」

と大きな声が聞こえた。びっくりして振り返ると、ランドセルを背負った半ズボンの少年が私の横を駆け抜けていった。そして、私の前を歩いていた若い男性にも挨拶をするとそのまま校門へと消えていった。あまりにも急な出来事で少し驚いたが、やはり挨拶をされるのは気分がいい。きっと、前の男性も私と同じ気持ちであったに違いない。

 夕方になり、大学での講義を終えた私は帰宅路についた。そして、朝と同じ小学校の前で何人か下校中の生徒とすれ違ったが誰も挨拶をしてはくれない。どうやらこの小学校の“挨拶週間”は朝限定のようだ。しかし、不思議なもので、朝はあれほど活気があった通学路も夕方になってみるとどこか閑散としているように感じる。実際には、校庭で遊ぶ子どもの声などは朝と変わりはないのだが、やはり挨拶をしている子どもたちの存在が大きかったらしい。

 そんなことを考えながら帰宅した私は、制服に着替えてアルバイト先へ向かった。私のアルバイト先は飲食店なのだが、お客さんが会計の際に、“ご馳走様!”と声をかけてくれることがある。このように声をかけてくれるお客さんはたまにいるのだが、ほとんどの場合、会計が済むと何も言わずにさっさと店から出て行ってしまう。そして、私の場合、声をかけてくれた人の顔はほとんど覚えているし、元気に“ご馳走様!”と言われた後は、やはり気分よく働くことが出来る。
 確かに、飲食店などで食事を済ませた後に、挨拶をしなければいけないという決まりはない。“店員は店から給料をもらって働いているし、私たち客はお金を払って商品を買っているのだから店員に挨拶なんてする必要がない。”と言われてしまえばそれまでだが、店員も人間なのだから感情はある。たとえ、自分が作ったものではなくとも、“ご馳走様!”と言われれば嬉しいのだ。そして、そういったお客さんにはこちらも心の底から“ご来店ありがとうございました!”ということが出来る。

 この2つの出来事から、私は挨拶の重要性を知った。挨拶の持つ力は私が思っていたより、ずっと大きいもののようだ。家に帰ったときの「ただいま」、何かを手伝ってもらったときの「ありがとう」、ご飯を食べ終わったときの「ご馳走様」・・・など、数えだしたらきりがないが、これらの言葉には必ず相手に対する感謝や労いの気持ちが込められている。  そして、挨拶の何より素晴らしいところは、「ただいま」には「おかえり」、「ありがとう」には「どういたしまして」、「ご馳走様」には「お粗末様」というように挨拶によって対応する言葉があるところである。これによって、“あなたの気持ちは、受け取りましたよ。”と、相手に知らせることが出来る。
 こういったことを踏まえて、もう一度挨拶について考えてみると、挨拶とは単純に言葉のやり取りではなく、気持ちのやり取りをしているように私は思う。だから、伝わらない挨拶は意味がないし、挨拶は相手に伝わって初めて意味を成す。相手に伝わっていなければ、それはただの独り言であり、自己満足だ。

 また、挨拶は文字などよりも、言葉にして相手に直接伝えた方が絶対に効果があると私は思う。確かに、最近はネットやSNSが発達して便利にはなった。しかし、ネットやSNSが発達して、誰とでも気軽にコンタクトやコミュニケーションが取れるようになったからこそ、もっと言葉の重要性を見直す必要がある。 もともと人間は、相手の声色や様子、姿勢といった様々な視覚情報から今相手が喜んでいるのか、はたまた悲しんでいるのかということを判断してきた。しかし、そのような直接顔を合わせている状況でも相手の気持ちを100%把握するのは不可能である。それなのに、相手の様子が全く分からない文字でのやり取りで、相手の気持ちを理解することは更に難しいことだろう。

 以上のことを踏まえて、もっと挨拶を積極的に行うことこそが地域の活性化につながると考える。こういった、誰にでも出来る小さなことの積み重ねによって、人々が気持ちよく暮らせるまちが創られていくのだと私は思う。仮に、どれだけ最新の施設や機能を搭載したロボットがあるまちだとしても、挨拶のないまちではどうしても活気のないものになってしまうだろう。
 よって、私は、まち全体に決まりとして“挨拶週間”を設けることを提案したい。そして、この“挨拶週間”で気を付けなければいけないところは、期限を決めて行うというところである。1年なら1年でスパッとやめることこそに意味があると私は考える。何故なら、挨拶は気持ちのやり取りなので、決まりだから仕方なくやっているという考えでは意味がないし、そのような挨拶は受け取る相手もあまり気持ちが良いものではないと思うからである。“挨拶週間”はあくまでも、挨拶をする癖をつけるだけの役割であることを決して忘れてはいけない。

 そして、現在、家族や友人にしか挨拶をしていない人がほとんどだろう。しかし、そういった親しい人だけの小さいコミュニティからは脱出しなければならない。自分の友人や家族など親しい人にはもちろん、知らない人にも自分から挨拶できることこそが地域単位で活性化させる最も簡単な手段であると思う。 また、少子高齢化が進む日本において、挨拶を通じて若者から高齢者の方に元気を与えることが出来ると私は信じている。そして、最終的には至る所で挨拶が聞こえるような活気のあるまちを創りたい。

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