入賞

「”かわいい”は間違い?」

外国語学部 中国語学科 3年次生 上田 裕士

審査員講評

 高校のときに知り合い、好きになった中国人女性に「かわいい」と言ったのが、侮辱的な表現と受け取られたというできごとがもとで中国語への関心を呼び覚まされたという、印象的な話だった。「かわいい」という意味の、習いたての中国語を得意げに言ったとたん、相手はさえない表情で別の人のところに行ってしまったという情景は目に浮かぶようだった。外国語に限らず、言葉というのは恐ろしいもので、本人の意図がまったく違って受け取られることは日常茶飯だが、好意を抱く女性を意に反して侮辱してしまったという経験は、どんなに辛かったかと思う。身近な経験を描きながら、言葉を正確に学ぶことの意味を考えさせる良いエッセイだった。

作品内容

「”かわいい”は間違い?」上田 裕士

 皆さんが語学を新しく学び始めるきっかけは何だってであろうか。私は現在、大学で中国語を専攻している。今日、私がなぜ中国語を学び始めたのか、自身のほろ苦い体験とともにご紹介したい。
 あれは私が高校二年生の時であった。当時、高校の国際コースに所属していた。主に英語圏からやってくる留学生や他校のネイティブスピーカーの先生と接する機会が多かった。もちろん英語を使っての会話である。私は学校で学んだ英語を使って、彼らと会話をすることに楽しみを覚えていた。英語は世界の多くで話されている言語なので、英語さえできれば世界中の方たちと友達になれる、つながっていけるものだと思っていた。大学へ進んでも英語を専攻語として学んでいこう、そんな気持ちでさえもいた。なので教科書に出てくる単語、文法など頭に叩き込んでいった。しかし、高校二年生が終わろうとする2月、私に転機が訪れたのである。私たちの学校に日本語を学ぶ台湾からの留学生がくることに決まったのだ。私たちは30数名の留学生と二日間にわたり交流会、日本を紹介することとなった。交流会まで楽しみだったので、ほんのつかみとしての、いくつかの中国語の単語を覚えたのである。
 交流会当日、私はさまざまな学生とコミュニケーションをとっていた。30数名の学生は様々な人がいた。日本語がすでに上手な人、英語が得意な人、両方を学んでいる途中なのでうまく話せない人。英語が得意であった私は、英語をコミュニケーションツールとして、たくさんの留学生とコミュニケーションを図った。そんな交流会も終盤を迎えたころ、私は気づいたのである。何故か、視界に入る、その部分だけ空気が違ったのだ。さらによく見てみると一際輝いて見える女性がいたのである。私は自分の心臓がしっかりとまた少し早く脈打つのが感じられた。そうである。一目ぼれをしたのだ。
 それから何とか彼女と仲良くなろうと、初めは「ニーハオ」という挨拶から言葉を交わした。近くで見るとまた笑顔の可愛い女性であった。彼女の名前は美珍といった。それから積極的に英語で彼女に話しかけ、最初に比べると大分打ち解けられたと思う。そうして、とうとう来た別れの前日。私は、彼女に気持ちを伝えようと考えた。伝えるのであれば、中国語がいい。そう感じた。しかし、高校二年生の自分にとって好意のある女性に、また出会って間もない女性には「可愛い」と伝えることで精いっぱいであった。何とか辞書を使い、「你很可愛」の発音を何度も練習し迎えた別れの日。私は、連絡先を交換した後、感謝の言葉と別れの言葉を伝えた。彼女は何度も「謝謝」と言ってくれ、良い雰囲気になった時、私は何度も練習したあの言葉を伝えた。
「你很可愛
 半ば、どうだ!といった顔で彼女に目を向けた。しかし、次の瞬間彼女は少し嫌な顔をして、今度は小さな声で「謝謝」と私に告げた後、友人の元にもどっていってしまった。こうして、そのまま30名ほどの修学旅行生は帰国していった。だが私は彼女のことが気になって仕方なかった。何故、最後に彼女の態度があれほどにも変わってしまったのだろう。私はただ、彼女に「君はかわいらしい素敵な女性だ」ということを伝えたかっただけなのに。
 なぜこのようなことになったのか検討もつかなかった。なぜなら日本では”かわいい”という言葉はほめ言葉であるからである。そしてかわいいは使用範囲もとても広く、たとえば子供に対し”かわいい”はもちろん、パンダを見ても”かわいい”ましてや老人にたいしてもおばあちゃんの笑顔”かわいいね”といったようにつかうことができるのだ。私はこの疑問を母の知り合いの日本に長く住む中国の方に質問してみた。その方の話した言葉は私に大きな衝撃を与え、さらに私は日本語と中国語の違いを深く感じさせられることとなる。中国語では”かわいい”この言葉は一般的に年長者が目下の人間に対してつかうものであるというのだ。もし”かわいい”を同じくらいの立場の人間がつかうとそれはきっと反感を買うことになるとおしえてくれた。その方は私にこの場合”美しい””きれいね”、 “美可 ””好看”といったような言葉などが適切ではないかと教えてくれた。
 彼女はわたしの”かわいい”この言葉をほめ言葉ではなく、すこし皮肉ったお茶目で、子供っぽくてかわいい、このように捉えたのではないか。私は言い間違いをしたのである。すると私は以前より中国語に関して興味を持ち始めていることに気がついた。日本と中国、同じ漢字を使っていて顔かたちも似ているところがある。そんな海を少しまたいで行ける国なのに意味は同じ言葉の用法がこんなに違うものなんだとわかった。私はこのとき、この中国語を使ってもっと様々な人たちと交流したい。そして何よりも彼女にきちんとした言葉で私の気持ちを伝えたかった。そうして私は中国語を専攻することに決めたのだ。
 日本語と中国語は同じ漢字を使っているけれど、しかしその中に含まれる意味は大きく違う。もし相手方の文化や歴史、習慣を理解していないとちょっとした言い間違えが国際問題に発展しかねない。大学でこんなことを学んだ。田中角栄と周恩来の間で行われた日中国交正常化。これは日本と中国にとってとても意味のある、そして日本にとっても過去の過ちを謝罪する機会にもなった。しかし、この中で田中角栄の一言が険悪な雰囲気を作ってしまうことになる。”多大なご迷惑をおかけした”、“添麻 ”と通訳が訳し話したからだ。この言葉を聴いた周恩来は激怒したそうだ。なぜならこの言葉は確かに”迷惑をおかけした”になる。しかしこの言葉は街中で人とぶつかったり、ちょっとしたことでの自分を非を認める際に日常的に使われる言葉であるからである。その後なんとか正しく意味を伝えたそうだが、事の大きさは違えど、いい間違いひとつで国交すら変えてしまう。このことが私により言語、中国語を学ぶ意義を教えてくれた。このような事を通してただむやみに言葉を丸暗記するだけではなく、その言葉の背景知識もしらなければ言語を学習しているといえないと気づいた。
 もしも将来機会があって彼女と交わる機会があったのなら、私はきっと今度こそ彼女にきちんと伝えようと思う。そのときは間違いのない言葉で私の気持ちを笑顔で。
”とてもきれいだね”、“你很漂亮!”と。

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