入賞

「見果てぬ明日へ」

外国語学部 言語学科 2年次生 中川 香里

審査員講評

 筆者は高校生まで、消極的で上手く自分を表現出来ない引っ込み思案であったという。しかし高校3年生の夏に、鹿児島県の知覧で行われた平和に関する全国スピーチ大会に出場し、そこで聞いた国際ボランティア活動を行っているアグネス・チャンの講演での一言に衝撃を受け、視野を広げ世界を知らねばならないことに気づく。そして本学の外国語学部スペイン語専修に入学し、今夏にはスペイン短期留学を終え、来年2月からはメキシコに一年留学するという。結びの文章に「あの瞬間を握りしめて、世界に出て行こうと思います。」と記している。筆者が生きる意味を理解した喜びを自信を持って語る言葉であろう。表現には未熟な部分もあるが、「何よりも大好きな、子どもの為に、人生を送りたいです。」という夢の実現を信じたい。

作品内容

「見果てぬ明日へ」中川 香里

 現在、私は外国語学部スペイン語専修に属しています。今夏は初の海外、スペイン・バルセロナの語学学校に赴いていました。来年2月からはメキシコへ1年間留学し、大学で日本語教員のボランティアをしつつ、休み期間には子どものためのボランティア活動を行う予定です。
 さて、こういう言葉だけを並べると、コミュニケーション力が高そうで行動的に感じられますね。と、いいますが。実はこの私、高校生まで消極的で上手く自分を表現出来ない引っ込み思案で、教室の隅っこで本ばっかり読んだり、絵を描いてばかりでした。しかも嫌いな科目と訊かれると即座に英語ですと答える程。よく、「俺は日本から出る気がまったくないから英語なんて必要ないし」と言う人が居ますが、まさに私はその典型でした。
 そんな私は両親から安定した公務員になるようにと言われて育ったものですから、高校は小学校教員を志す高校生の為の教育コースへと進学しました。すると、教育実習や教育論文、発表、ボランティアを行う内にどんどん子どもと教育が好きになったんですね。そう、しかも消極的だった私が何度も人前に出て発表するうちに段々それが治ってきて。ついには2年にあがると同時に放送局を発足させ、校内アナウンスや行事の実況・司会を行うようになりました。人って、苦手なこともせざるを得ない状況に陥ると変われるんだと学びました。
 そんなこんなで、3年生の夏、平和に関する全国スピーチ大会が知覧(鹿児島県の、特攻基地があった有名な場所です)で行われ、出場することになりました。この時こそが今の私を形成する瞬間となるのです。その大会で、国際ボランティア活動を行っているアグネス・チャンが講演されたんです。その時の一言。
 「黒い大群がやってきました。何だと思いますか?実は、それ、近くに来てようやく分かったんですけど、ハエと共に来た子ども達だったんです。」
 食料が存分にない子ども、紛争が終わった後、劣化ウランに塗れながらも放置された戦車の近くで遊んで被爆する子ども、地雷や戦争で親兄弟を亡くし独りになった子ども達の話をしてくれました。同じ世界に住みながら、知っているようで心で理解していなかったことでしたね。私はテレビや本、授業でそういうことがあるのは知っていたけれど、知識として頭に入れるだけで、結局深く考えたりはしなかったんです。でも、実際、その現状を見て、向き合ったことのある人の話を間近で聴くのは全然違いました。単純にショックを受けたんです。そのショックっていうのが、まるで狭い視野に、いきなり手を突っ込まれて、グググ、と大きな力で無理矢理世界を見させられた感じがしたことです。
 親が公務員になれって言うから。世界になんて出ないし英語なんて必要ない。私、コミュニケーション取るの苦手だし。
 それ、なんか違うんじゃない?って思ったんです。
 そして大会直後の大学進学に一番悩む時期のこと。この疑問が私を、衝動的に、とっても強く駆り立てました。でも今までろくに英語を勉強して来なかったし、必要だと思うけれどどうしても好きになれないと感じていて。じゃあいっそのこと、(他の言語を一から勉強すれば良いじゃない、よし、なんとなくだけどスペイン語にしよう!)と閃いたんです。そうして当校に合格したわけです。
 入学してしばらくの1年間は、放送係りのアルバイトでアナウンスの技を練習したり、絵関係の部活動に参加したり、塾でアルバイトもすることになって、小学生に勉強を教えながらスペイン語を学んでいました。色々と動いてはいましたが、高校三年生の時に受けた衝撃と疑問は消えていませんでした。でもまだ、どうやって世界を見るのか、自分の力で何をすれば良いのか全然見えおらず、気持ちは燻ぶるばかりだったのです。ストレスも溜るし、将来について不安と焦りを感じるし、3年生になったら長期留学したいけど、何故留学するのかも分からなくて。
 そして今年の夏、友人の誘いもあって1か月間スペインへ語学留学することになりました。学校の友達に日本文化を教えようとすると、漫画好きのベルギー人の男の子に「キサマぁ、何奴だぁ」と日本語で、イタリア人の先生に「ワタシハ、ツカレタ。」とか「ブサイクぅ!(後に日本語の挨拶だと勘違いしていたことが判明)」とか言われたり。私が授業中になんとなく紙をいじっていると、隣人が「ORIGAMI!」、ホームステイ先のファミリーが「BUSHI」と言って来たり。結構多くの人が日本文化に興味があったみたいです。時々、お寿司はファーストフードだよね?や、なんでお礼を言う時に手を合わせながら会釈しないの?と間違ったことを訊かれたりしましたが。
 兎に角、初の異文化交流は意外性の連続でした。毎日電車やバスが時間を20分オーバーして到着したり、友人が地下鉄で4回もスリにあったり、建物のほとんどは落書きだらけだし。もちろん、サグラダ・ファミリアやバルセロネータなど美しい建造物や景色も見られて大満足でした。でも、この旅で一番忘れられない光景が、子どものスリと、幼い子どもを連れた女性の乞食だったんです。
 留学から帰って、沢山の思い出、経験、友達を得ましたが、暗い部分を垣間見ることが出来たんですね。日本で見たことのなかった、世界の一部を。そして、次は長期留学を考慮する時にあたり、もう一度考え直したんです。「本当にやりたい事って何」「自分の力で出来る事は何」「世界が見たかったんじゃないのか」「世界の子どもたちに、出来る事はなんなのか」、って。悩みに悩んだ、高校3年生の時の自分のこの疑問と再びちゃんと向き合ってみて。
 つい最近のことです。私は、長期留学に中南米のメキシコへ行くことに決めました。何で南米?ってなりますよね。中南米は識字率が高くなく、教育関係がまだ十分に整っていない所が多いんです。しかも、中南米ってどんな所?って訊かれると、曖昧なイメージしか湧かないのではないでしょうか。恥ずかしながら私もそうだったんですよ。アメリカから南は大抵スペイン語が通用するんです。だからこそ、大学の休み期間に、子どもの為のボランティアに参加して、そこで見聞きしたことを、今まで私の得意な表現方法で日本人に伝えようと思ったのです。スピーチ、絵、文章で、日本人のよく知らない南米のイメージと子ども達がどんな風に生活しているのか知ってもらおう、と。今までで学んだスペイン語や教育方法で、子どもに勉強を教えたり、本を読んであげたり、絵を教えてあげられればいいな、と。今までの経験をフルに使ったことをしよう、と。そして、その子どもたちや日本人が、何か人の為になることを考えてくれたら幸せだと、そう、決意しました。
 これが、英語が嫌いでコミュニケーションと取るのが苦手だった、私のグローバル化の過程です。人生、本当に何があるか予測なんてつかないものですよね。突然興味を持ったり、時には苦手なことや疑問と向き合ってみたり、自分の知らないことに出会ったり。私はこれから、得意になったこと、苦手を克服したこと、悩んだこと、何より世界に対して初めて興味を持ったあの瞬間を握りしめて、世界に出て行こうと思います。そして、何より大好きな、子どもの為に、人生を送りたいです。

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