優秀賞

「大きな家族」

外国語学部 言語学科 1年次生 高橋 美音

審査員講評

 人類は大きな家族であると授業で学んだことをモチーフにして、グローバル化について、外国に行ってその国の人と交流し、文化に感動するだけでなく、自国の文化や歴史を見直し、主体性を持つことの大切さを述べている。その方法は机上の空論ではなく、自身の海外での出来事をもとに反省し、身をもって得た経験をもとに考えたことである。しかも、日々、授業やサークル活動を通してその素養を謙虚に学び、鍛えようとしているところが良い。全体の構成は導入から課題を提示し、本論で具体的な実例を挙げて一般論に展開し、結論で主張をまとめて、よく整っている。ただ、多過ぎる改行(段落)、意味のない一行空け、口語的で断定の強い「(の)だ」の使用、漢字の使い過ぎなど、今の学生に見られる書き方は改め、無駄な文を削って引き締めた文章を目指してほしい。

作品内容

「大きな家族」高橋 美音

 約20万年前、アフリカから出発した先祖人類は長い年月をかけて世界中に拡散したとする説をアフリカ単一起源説と言う。ヒトが持つミトコンドリアの全DNA配列をもとに遺伝子系統樹を作ると、全ての人類の先祖はアフリカ人に繋がる。つまり人類は共通の祖先を持つ巨大な一つの家族だったのだ。
 私はこの説をDNA考古学の授業で知り、ヒトの歴史に興味を持った。何て面白いのだろう、現代の人々は世界各地に暮らし、容姿や体質、言語や歴史、そして思考や宗教、文化など様々であるのに、元は一つの集団であり、長い年月をかけて世界各地の異なる環境に移動し適応してきたためにこのような違いが生まれたのだと言う。しかし、同じ人間なのに多彩な違いが生まれたのは進化の成果でありごく自然のことであるが、この違いによって引きおこされる問題が多々あることも事実である。そういう問題がある現代、グローバル化が著しく進んでいる。私たちは異なった文化を持つ人々と関わり共存していくことが必要となり、それに対応することが求められている。では一体どう対応していけばよいのだろうか。
 「グローバル化に対応しなさい」と言われると第一に外国語が話せるようになることを思い浮かべることが多いと思われるが、私が最も大切だと思うことは「相手を理解すること」である。勿論、外国語が話せることに越したことはないが、言語にはその国の文化が影響しているので、いくら外国語が流暢に話せても相手の文化を知らなければコミュニケーションをしっかり取ることはできない。外国語を習得することのみに力を入れるのではなく、その国の文化や歴史などの背景も同時に学び、理解に努めることが大切なのである。ここで理解するとはまず興味関心を持って相手のことを知りたいと思うことから始まる。相手は一体どんな生活をしているのか、どんな言語を話しているのかなどを考えてみる。次に相手の文化や生活、歴史、宗教など興味を持ったことから勉強し知識を得る。これは相手の考え方や行動を知る上で大切なことでありその上で自分との違いや共通点、良いと思ったところ、改善すべき点などを考えていく。そのようにしてより身近に彼らのことを感じ取ることができるだろう。そして、最後に彼らと直接交流することで彼らの真意に触れ、より理解が深まると考えるのである。
 私は以前から国際交流や異文化理解に興味関心があり、また東日本大震災を機に将来日本と他国とを繋ぐ役割になりたいと考えていたので、これまでにいくつかの交流・派遣事業に参加し、直接多くの他国の人々と交流してきた。どの国でも大変素晴らしい体験ができたが、その中で中国へ行った時、この「相手を理解すること」の意義を強く感じる出来事があった。ある朝、私は腹部の激しい痛みと高熱により目が覚め、しばらく横になっていたが痛みは引くどころかますます酷くなり、あぁもうこのまま死ぬのかなと思うほど苦しかった。病院に行こうと決意しても自力で歩くこともできず、どうしようかと困っていたところ、中国人の友達や先生らが駆けつけ、私を背負いホテル隣の病院まで連れていってくださった。搬送中、意識が朦朧としていたが、私を背負い懸命に走っていただいたこと、何度も声をかけて励まし続けていただいたことは、はっきり覚えている。病院についてから私はベッドに寝ていたが、その間ずっと私の手を握って心配してくださった。本当に感謝しきれない出来事だった。私は渡航前、自ら勉強もせず、ただマスコミから受ける情報だけをもとに中国人に対してあまり良い印象を持っていなかった。まさに「相手を理解すること」を劣っていたのだ。しかしこの交流を機に私を助けていただいた友達のように心優しい素敵な人もたくさんいるということを確信した。今まで持っていた悪い印象の要因である私が理解できなかった彼らの言動を、彼らの文化や思想に照らし合わせて考えることで、自分なりに理解し受け入れることができた。今、私は「○○人」などと一括りにして相手を評価しないよう心がけている。私がまだ○○人のことを理解していないのにも拘らず「○○人」と一括りに評価してしまったら、あたかもその国籍を持つ人全てがそのような人だと決めつけてしまうことになるからである。どの国にも道徳に反した人はいるし、涙が出るくらい良い人もたくさんいるのだということを忘れてはいけない。
 私はこれらの経験をもとにして「相手を理解すること」を常に意識して異文化交流を続けていきたいと考えている。そして逆に相手が私たちを理解する手助けとして、日本文化や日本のことについても積極的に発信していきたいと思う。そのためには私自身が日本のことを知る必要があり、大学では留学対応の授業を履修し日本語や日本文化について勉強したり、琴サークルに所属するなどして日本について学んでいる。また留学生の世話をするバディやSNSを利用した交流も楽しんでいる。不思議なことに、海外と日本を比較し、視点を変えて日本を見る度に日本の良さ気づき、愛国心が湧いてくる。私は海外へ行く度にその国の素敵な文化に感動するが、それと共に日本の素晴らしさと日本人であることの誇りを感じる。グローバル化を意識すると一見海外のことばかりに目がいくように思われるが、実は自国のことを見つめ直す良い機会にもなるのだ。この広い世界で多くの他国と関わる時には自分のアイデンティティをしっかり持たないと自己を失ってしまうので、自然にこのような意識が芽生えるのだろうか。
 人類は長い年月をかけてこの広い地球上へ分かれていき、それぞれの環境に合わせて独自の文化をつくっていったのだから、自国と他国に違いがあるのは当たり前なのだと思う。しかし、何か一つの型に無理に合わせるのではなく、それぞれの文化を大切にしながら互いに尊重し合えるようなグローバル社会を作ることは可能なのではないかと思う。なぜなら人類は共通の先祖を持つ一つの大きな家族なのだから。

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