入賞

「自分のために」

経営学部ソーシャルマネジメント学科 2年次生 岡本 歩夢

審査員講評

 エネルギー問題というのは、大きな規模、地球規模の問題である。筆者は、こうした問題に対して個人がアクションを起こすのに、地球全体のことを考えて、という高邁な(また抽象的な)視点からは、アクションを起こすことは難しい、と述べている。「自分事として考えられないかぎり、人は行動できない」と述べている。もっともな意見であり、我々がエネルギー問題について考え取り組んでいく際に留意すべきポイントである。こうした問題に対してはどうしても美辞麗句を用いがちであるが、ズバリ率直な意見を述べたところがこの作品の良い点である。しかし、「多数の人間の意識・・」を含む段落の記述はすこし乱暴であり、客観的なデータに基づき考察し論理的な記述をする必要がある。筆者が実行した省エネ活動「できるだけ大学にいること」は、近年公にもクールシェアとして注目されている。

作品内容

「自分のために」岡本 歩夢

 「原発って、そういえばすっごく厄介で危険なものなんだね!!」
 「代替えエネルギーには何を使うのかな」
 「節電しなくちゃ!!!」
 ふと、今までほとんど聞かなかったことを、震災からたびたび耳にするようになった。原発はほんとによくないものだと何となくはわかる。でも、直接的に「自分」がその被害を被ったことがまだ一度もないから、たぶんおそらく本当の意味では何も分かっちゃいない。人間なんて、所詮はそんなもののように思う。「自分事」でなければ、究極何もわかりはしない。悲しいけど、それが現実だ。
 そう思う最中、実はちゃっかり「エコ」には関心があり、省エネに気を使ってたりもする。なぜかというと、「自分の生活費」がかかわってくるから。自分の生活を圧迫しないために必要なんだから、それは関心持たなくちゃ逆に終わってる。具体的に僕が実践している省エネ活動はズバリ「できるだけ大学にいること」だ。すごく簡単で誰にでもやろうと思えばできることだ。でも、これを周りの友達に話したら「ようそんなことやるな!俺はぜってーできんわ」とびっくりされた。
 しかし、この何気ないことが、意外とすごく良かったりする。だって、大学に行くと、家にいたら使うはずの暖房や照明やガスや水などの電力がすべてタダになるのだ!しかもそれだけではない。家にいたら、ついついベッドで寝たりと、自分に甘えて怠けてしまうことがよくあるが、ところが大学に行くと、寝る場所なんて当然なく、周りにはたくさんの学生がいて、真剣に勉強している姿が刺激になる。だから、自分も勉強に集中できる。わからないところがあれば教授に聞きに行けばいいし、図書館に行けばかなりの本があり、疑問解決を大いに手伝ってくれる。
 上記のことからわかるように、大学に行くことで電力面でお得なだけでなく、家でだらだらと無駄な時間を過ごさず集中して勉強できるという、二つの面で「省エネ」なのである。まさに一石二鳥だ!!
 今はとりあえず毎日大学に行くことしか心がけていないが、これから僕が実践しようと思っているエコ活動は、とりあえずは「新しいものをなるべく買わない」ことだ。実際、本当に良品質で、長く使い続けられるものを買うことを心掛けるようにしようと意識し始めた。大学の授業で環境に配慮した取り組みをする企業の事例をたくさん学んでいるからか、そんな意識が自分の中にも芽生えだした。でもこれも、究極は「自分」のため。だって、お金はそんなないもん。壊れたからと言って、何回も買っていたのでは財布が一向に膨らまない。そんな損するようなことを、僕みたいな貧乏な学生はまずできない。
 このように、僕のエコに対する取り組みはすべて、「自分」という視点を強力に重視している。後の世代のために環境を守るだとか、地球の生命の存続のためにエコ活動に取り組むとか、そんなビッグスケールで考えたことはただの一度もない!そんなビッグなことは、鼻くそ並にちっぽけな存在の俺が考えられるわけがない。もっと身近な「自分事」としてエコというものを捉えられる動機がなければ、俺は動けないんだ。情けないと思われるかもしれないし、あるいはくそ野郎とも思われちゃうかもしれない。だがここで、もう一度自分自身にしっかりと問うてみてほしい。なかなか、自分事じゃなくちゃ動けなくないですか?究極、自分に関係のあることでなくちゃ、行動を起こすまでの動機につながらなくないですか?
 以前なんかの本で知ったことだが、砂漠で暮らす遊牧民たちが家畜の毛皮をより多く売り利益を得ようとし、競って家畜を飼うということが起こった。当然たくさんのエサが必要になるから、だれの所有物でもない皆の土地から大量の草がなくなる。でも、別に皆の土地だからどうでもよいという意識があり、砂漠化が起こるくらいまで大量の家畜に好きなだけ土地の草を食べさせるということをさせてしまった。皆が皆、「皆の土地だから」「自分の土地ではないから」というような意識だけを持っており、だれも環境のことを考えて過剰放牧を止めるという行動には至らないという事態が起こったそうだ。「たくさん家畜を育てなくちゃ利益が減るから損」「別に皆の土地だから、知ったこっちゃない」そんな感じだろう。この事例からわかるように、人は「自分事」に感じられなくちゃ、究極は動かない。たとえ環境破壊がダメで、エコ活をするべきなのだと分かっていたとしても、自分にとってのメリットがなければなかなか動けない。所詮はそんなものなのだ。
 おそらくこれから、今の日本のエネルギー問題や、あるいは世界規模のエネルギー問題にしても、「いかに自分事としてとらえてもらうか?」ということが本当に大事になってきそうだ。原発の脅威なんて、まだ被害者になったことないからわからないんだ。死んだ人間の気持ちが生きている人に絶対わからないのと同様に、自分の実体験が伴わなければわかんないんだ。だからいくらそんな人たちに対して原発の危険性を訴えても「馬の耳に念仏状態」な気がする。だから、エネルギー問題なんて究極のところは解決が無理な気がしてならない。どんなに一握りの優秀で説得力のある研究者がいたって、世界の大多数の人間の意識は同じ方向にできやしない。ましてや世界には、素敵な人もたくさんいれば、人の命を平気で奪う腐った人間もたくさんいるんだ。そいつらすべての意識を同じ方向にもっていかなくちゃエネルギー問題はぜったいに解決できない。たくさんの金をかけて、爆弾作って、その爆弾で森林破壊するなよ!原発であれだけの被害が起こったんだから、すぐにすべての原発を停止させろよ!だってさ、数人が死んだだけでも牛の生レバーが中止になるんだよ。なんで、死んだり、放射能汚染にさらされて故郷を奪われ苦しんでいる人が何10万人とたくさんいるのに、原発や核兵器はなくならないの?絶対おかしいでしょ。国や専門機関は頭イッてるくそ野郎の集まりなの?って思っちゃう。こんなんじゃ、いつまでたってもエネルギー問題は解決しないどころか、地球からますます多くの人とエネルギーが減ってしまうように思えてならないです。だって、その程度の国だもん。某電力会社の一部の人たちが飯を食っていけなくなるからという理由で、危険と分かっている原発を稼働させようとしている国なんだもん。所詮は究極「自分」が大事なんだ!そんな責任のある人たちですらそうなんだもん。だからエネルギー問題なんて解決できるわけねーよ。
 エネルギー問題は一向に解決しないまま、人の生きる「エネルギー」までもがどんどん減っていく時代へと本当になっていきそうで、ちょっと、いやだいぶ悲しいです。誰か早く解決して!俺はちょっと頭わりーし無理だわ・・・。だれか、エネルギー問題を真剣に考えて、解決に向けてのアクションを起こすNPO法人なりなんなり創っておくれよ・・・。
 今日もこつこつと「自分のために」エコ活をしながら、何とも病んだ日本に生きる。

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