優秀賞

「MOTTAINAI」

経営学部経営学科 2年次生 中田 美麗

審査員講評

 「エコ」は、その語源からも、生活環境と経済とがバランスよく発展するのでなければならない。筆者は、環境保護が経済の発展にもつながる好例として、ケニアのワンガリ・マータイさんの植林活動をあげる。しかし、その彼女が感銘を受けたのが、実は日本人が古くから用いてきた「もったいない」という言葉であったということを知る。
 そして、筆者も意識して来なかったが、その経験からも、「もったいない」という言葉とともにわたしたちの生活が営まれてきたということを再確認し、これからもそれを大切に生きることが人間らしく生きることであると主張する。
 筆者の観点が参照したものに大きく依拠する点などについて審査員の評価が分かれたものの、他の作品とは異なる表現方法で、筆者の素直な気持ちが伸びやかにつづられた作品であり、優秀賞に相応しいエッセイであると思われる。

作品内容

「MOTTAINAI」中田 美麗

 あなたにとって“エコ”とは何だろうか。

 こまめに電気を消すこと? エアコンの温度に気を遣うこと?
 水を出しっぱなしにしないでおくこと? お買いものした時にビニール袋を断ること?
 はたまた、必要のなくなったものをリサイクルすることであろうか?

 そもそも「エコ」という言葉は、もともとエコロジー(ecology)とエコノミー(economy)から出来たものである。ecologyとは辞書を引くと「生態学」、すなわち、生物の生活に関する科学と定義されていた。economyには「経済」という意味と、「節約」というような様々な意味があった。
 この二つの言葉が強く結びつき、エコという言葉が出来たのだ。つまり、どちらか一方だけが発展してもバランスが取れずうまくいかない。
 それゆえ、日本中、いや世界中の人々一人一人が環境問題について考え、そして解決しようと意識することにより、「エコ」という言葉が初めて「eco」となり意味をなすのではないか。そして良い環境の中では、おのずと経済が発展し人々が安全で快適な生活を送れるのではないか。
 この良い例として、ケニア出身の環境保護活動家、ワンガリ・マータイさんのグリーンベルト運動がある。非政府組織として、たった7本の木を植えることからスタートしたこの運動は、これまでにケニアを初めとするアフリカ大陸全土で約4500万本もの植林に成功している。この植林には、貧困に苦しむ女性を中心に、のべ10万人が参加し、環境にとどまらず植林を通じて貧困からの脱却や、女性地位の向上などにもつながっている。
 まさに「eco」活動である。残念ながら、この素晴らしい活動をスタートさせたワンガリ・マータイさんはもうこの世にはいない。2011年9月、未来の美しく素晴らしい地球全体を見渡せるよう、天国へ旅立ったのである。また彼女の遺言に基づき、棺には環境に配慮して木材を使わず、骨組みは竹、材質はヒアシンスとパピルスの茎で編みこまれたものを使用した。さらに、遺灰の埋められた上にはアカシアの木が植えられたそうだ。最後の最後まで、美しく生きる彼女を知った私は、深く感銘し、そして自分にとっての「エコ」とは何か、と今一度考えなおした。

 そして私は思う。
 「エコ」という言葉には、「もったいない」という日本で昔から使われている言葉が根源にあるのではないかと。
 元々古くから日本では、「散っていく桜の花びら」や「吐息の一つ一つ」にまで命が宿るとされており、森羅万象に対して慈しみや感謝の念をもって接していた。趣深い日本ならでは、であるがそこから「もったいない」という価値観が生まれ、現代、我々が日常で使うほどになったのである。
 この「もったいない」という言葉に、私の尊敬する女性、ワンガリ・マータイさんも感銘を受けていた。彼女は、「もったいない」のように、自然や物に対する敬意、愛などの意思(リスペクト)が込められているような言葉に今まで出会ったことがなかったそうだ。英語の単語ひとつでは表せない素晴らしい言葉、それが「もったいない」なのである。 そして彼女の手により、「もったいない」という言葉は、彼女が取り組む資源の有効活用、3R (Reduce,Reuse,Recycle)を一言で表す言葉とし、加えて命の大切さや、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)という意味も含め、子供たち・次世代へのメッセージを含んだ言葉として、環境を守る国際語:「MOTTAINAI」とされた。これを全世界に発信し、多くの人に「eco」を考え直す機会を与えた。

 私一人が出来る「エコ」、それは一見、世界に対して何の意味もないように見るかもしれない。しかし、わたしたち日本人は、「もったいない」という素晴らしいことばと共に生きている。
 「食事を残すなんてもったいないでしょ」
 「水を出しっぱなしにしてはもったいないでしょ」
 「窓を開ければ涼しいのに、もったいないからエアコン切りなさい」
 小さい時から、自然と耳にしていた。意識はしていなかったものの、私の周りには「もったいない」がありふれていた。いや、あり余っていたのかもしれない。
 様々なことがラクに出来るようになった。これを「便利」という言葉で片付け、またもっと便利にならないかと模索し続けているこの時代。これが世の流れだというのならば、抵抗はできないのかもしれない。
 だが、「便利」だけが幸福であるのだろうか。
 夜になれば、電気を消し夜空に瞬く星に思いをはせればよい。
 朝になれば、朝日を存分にあび、一日のパワーをお日様にもらうとよい。
 暑いと感じれば、涼しい格好をし、気持ちの良い風を感じればよい。
 寒いと感じれば、暖かい格好をし、じぶんの吐く白い息に生きていると実感すればよい。
 何か買いものをするときは、頭の中で自分の部屋の引き出しを一つ一つ開けてみて、前に買ったものがある、と自分の思い出を思い返すこともよい。
 小さいことかもしれない。私たちひとりひとりが出来るエネルギー問題。でも、普段の当たり前の生活の中の「もったいない」を大切にすると、もっと自分が好きになれる気がするのだ。もっと、人間らしく生きることができそうなのだ。

 世界中でもっと広がればいい。
 ヒトがヒトらしく生きることの出来る言葉、「MOTTAINAI」

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