入賞

「在学中に作文関連で入選する」

経済学部 経済学科 4年次生 尾原 隆仁

審査員講評

 中学生時代に泉麻人氏の「地下鉄の友」と出会い、それをお手本として、文章を書くようになったことは、筆者にとって貴重な経験であったと思われます。ただ、少し気になるのは、これに出会った「瞬間」に自分流の文章の書き方を知ることになったという記述です。学ぶことは、語源のとおり、まねることから始まるといわれますので、方法論として誤りとはいえませんが、それでもやはり他人の文章に接した「瞬間」に自分流の文章の書き方を知るということはないように思われます。まねて書くことを続けていくうちに、「自分流の書き方が確立されていった」というよりは、そのなかで「自分流の書き方を見つけた」というところではないかと思います。教科書の片隅に自分の名前が載る気持ちを味わいたいという筆者の気持ちはとてもよく理解できます。入選した場合は、「『より上の賞を』というように物書きモドキなりのキャリアプランが開かれるのではなかろうか」、とのことですが、次回、是非とも期待したいと思います。

作品内容

「在学中に作文関連で入選する」尾原 隆仁

 この世の中には様々な文学に対する賞がある。有名なものであれば芥川賞や直木賞があるし、世界に目を向ければノーベル文学賞もある。そういった賞に入選できる人物は非常に尊敬するし、なにより書かれた文章は非常にレベルが高い。どうすればあのような文章が書けるのか、ふと考えることがある。

 さて長々と真面目な文章を書いてしまったが、私はタイトルにもあるように自分の書いた文章を投稿し評価されるという経験をしてみたい、そして自分の書いた文章が入選することを成し遂げたいと考えている。と言っても先に例に挙げた非常にレベルの高い賞を取りたいと思っているわけではない。むしろ大学主催のコンテストに投稿し、入選するほうに嬉しさを見出す性質である。社会全体から見ればただの京都にある普通の私立大学のコンテストではあるが、立派なコンテストであるには違いない。まさにこれは「コンテストに貴賎なし」である。 そうした精神を持ち合わせている私は文章を書くのが非常に好きである。もっとも最初からこのような人間ではなかったし、いわゆる小学生時代には夏休み最終日に急いで読書感想文を仕上げるような人間であった。ところがあるとき急に文章を書くことが好きになった。まずその話から始めよう。

 そのきっかけとなったのは中学時代に泉麻人氏の「地下鉄の友」に出会ったことである。ふと書店に立ち寄り、地下鉄という言葉に興味をそそられふと手に取ったことで私の文章を書く面白さを知ることになった。この本の内容があまりにも私の価値観に共通することが多く、読者を引き込む独特の書き方に深く心引かれた。これに出会った瞬間私は自分流の文章の書き方を知ることになった。それ以来、レポートや感想文では必ずと言っていいほど泉麻人流の文章をまねて書くようになっていった。それを続けていくうちに自分流の書き方が確立されていった。

 そして高校生になるとますます文章を書く機会が増え、それに比例するように文章を書くことがうまくなっていった。小論文の授業やレポート、感想文の提出において先生方に高く評価していただくことが多くなった。小論文のよい書き方として紹介されるようになり、評価が高くなるほどさらに良いものを書きたくなる。そうした好循環と「さらに良い文章を」というプロでもないのに変なプロ意識を持ってますます泉麻人氏の本にのめりこむようになった。

 そして大学に入った。当初私は図書館で「書評大賞」が、サギタリウスチャレンジではエッセイ部門が、ほかにも懸賞論文があることを知った。さらに数多くの蔵書を誇る大学図書館があるという環境に幸いにも恵まれ、私はますます「自分の文章が第三者にどのように評価されるのか試したい」という気持ちになった。これが私の在学中に文章で何らかの賞を取るという夢を持つ最大の要因となった。また、大学の各種コンテストの記録に残るというちょっとした栄誉、いうならば大げさではあるが教科書の片隅に自分の名前が載る気持ちを味わいたいのである。

 私のちょっとした半生を書いてみたが、要するに自分の文章力がどれほど社会に通用するのか試したいのである。試すからには目指すは上位入賞である。上位入賞する文章を書くために私は週に一冊は本を読むことや新聞を三紙読むなど毎日文章に触れることを行っている。そうしたインプットだけでなく毎日文章を書くというアウトプットも同時に行っている。具体的には日記をつけることや大学内や通学時間に見つけた気になったものをパソコンに打ち込んでいる。この作業は非常に面白い。昨日やおとといの出来事や思ったことが記録として残り、それを一ヶ月前や三ヶ月前の同じ日と比較するのが面白い。その作業によって大体同じ日に同じような行動をしているという妙な法則を見つけてしまったのだが、それ以上に文章を書くことが心なしかうまくなったように思う。

 また、入賞するような文章を書く際には「うまく書けない」ことがあるだろう。その際には先に述べたような取り組みに加えて、矛盾した行動であるように思われるかもしれないが「何も文章を書かない」ということを行うつもりである。今この文章を書いている最中にも何度も書くことから離れたことがある。この行動が非常に効果的である。学校や会社に昼休みがあるように執筆の「昼休み」は効果的だ。コーヒーブレイクは私自身好きなのだが、この効用をこれほどまでに実感できたのはこのときである。勉強やアルバイトの時の一息つくこととは別の感覚がある。この瞬間を味わいたいという気持ちで執筆するのである。しかし、この方法の欠点は時間がかかるということである。締め切りに追われる作家たちの気持ちがなんとなくわかった気がする。

 私はこのように「在学中に作文関連で入選する」という夢をサギタリウスチャレンジのエッセイ部門で実現すべく応募した。この私のプロジェクトX並みの挑戦がどうなるかわからない。落選するかも知れないし、入選するかもしれない。仮に落選したのなら次に活かすであろう。一方入選した場合、早速私の掲げた夢は達成されるわけだがそのときは「より上の賞を」というように物書きモドキなりのキャリアプランが開かれるのではなかろうか。それ以上に将来10年20年後に会社の飲み会などで「実は昔大学時代にエッセイで賞もらったことあるんですよ。といっても大学のですけどね」と笑って話せるではないかとも思う。どちらにせよこの挑戦はどちらに転んでも自分の糧になるのである。

PAGE TOP