優秀賞

「私の中国語への挑戦!!」

外国語学部 中国語学科 1年次生 竹中 雄平

審査員講評

 この作品に対して、多くの審査員が高く評価した点は、筆者の学問への真摯な姿勢、やる気がエッセイの中で新鮮に描かれていた点であった。この作品からは、筆者の中国語習得への情熱が臨場感を持って伝わってくる。一方で、改善点も審査委員の間でいくつか指摘された。第一に、段落分けがなされていないため、どんなにすばらしい文章であったとしても、読者にとってわかりづらくなってしまう点である。第二に、「京産」、「悩みまくり」、「勉強的」など、若者の間の日常会話でよく耳にするような、しゃべり言葉が文章表現の中で使われていた点である。以上の点を改善すれば、より素晴らしくなるであろう。しかし、大学入学前の中国語との出会い、大学生活での中国語との格闘や愛着心、将来の目標実現のための中国語習得への継続的な挑戦への思いは、多くの審査委員の心に響き、筆者の夢を応援したいと思わせるような作品であった。

作品内容

「私の中国語への挑戦!!」竹中 雄平

 私は現在、京都産業大学 外国語学部 中国語学科1年次生という肩書きをもっている。中国語に出会ったのは、ほんの7ヶ月前である。つまり大学入学とともに出会ったのだ。受験生時代は進路選択に悩み、成績も振るわず現役時代の受験は全滅してしまい、1年間の苦しい浪人生活を経て京都産業大学に合格した。大袈裟かもしれないが、自分の今までの人生史では激動の時代だったのだ。ともあれ私は京都産業大学に合格して、晴れて「大学生」という身分を手にした。大学の入学式を十日ほど後に控えた春休みのある日、中国にも中国語にも知識が全然無かった私に、とある大きな出来事が起こった。それは合格祝いに家族で行った静岡県への温泉旅行先でのホテルでのことだ。大浴場の温泉に浸っていると、15人くらいの男性たちが大声でどやどやと騒がしく入ってきた。その声の大きさは本当に大きかったため、私も周りの客たちも「何事だ」と一斉に声がする方を見た。よく太った男性たちで、彼らが話している言語が日本語ではないことくらいすぐに分かった。そう、彼らは中国人の団体観光客であった。韓国語とは全然違う感じだったので、中国語の分からない私でもすぐに中国人だと推察できた。私はすぐに彼らの言葉に耳を澄ませた。生の中国語を聞きたかったからだ。これから自分が大学で専攻していく中国語。それはどんな言葉なのだろう?純粋な興味で私は彼らの言葉に耳を鋭くした。聞いてみた瞬間の印象は「えっ!?なんかめちゃくちゃカッコいい!!!」だった。これは自分でも本当に意外だった。なんと言えばよいのか、声が大きくてスピード感があり、日本語とは全く異なっている独特のリズム感と発音の響きがそこには存在したのだ!!「日本と同じ漢字を使う国なのに、なぜ言葉がこんなにも違うのか?」「なぜこんなにもカッコいいの?」「彼らの言っていることを理解したい!」「この発音を実際に自分の口でしてみたい!」私の中で何かが変化した。今までに無かった感情が沸々と沸いてきた。理由なんてもうどうでもいい、私は中国語を愛してしまった。これを人間関係に例えるなら恋という言葉がぴったりだろう。あなたとずっと一緒にいたい。あなたのことを知りたい、いや知り尽くしたい!そんな感情に非常に似ていた。この時から私の中国語との人生がスタートしたのだ。「大学は自分のやりたい学問をする場である。ならば私は中国語学という名の学問に喜んで4年間を捧げよう!」そう決心した。大学での講義が実際に始まった。もっとも楽しみにしていた講義はなんと言ってもインテンシブ中国語である。真剣に勉強したいと思っていた私には新鮮な気持ちがあったし、貪欲に知識を吸収したがっていたのだ。しかし中国語の勉強が実際に始まってみると、いくら好きといえども困難が立ちふさがった。発音がうまくできないのだ。複雑な声調言語である中国語は日本人には難しいとは知っていたが、できないと分かるとやはり悲しくてイライラしてくる。第一、日本語に無い発音をするのだから、どう発音すればよいのかさえ分からない。でも、悔しさが私の背中を押してくれた。「最初であきらめるなよ。」って感じで。神経質になりすぎるのは良くない!と思考を入れ替えて、また頑張る。そのようなことが最初は何回もあったのだ。中国語を勉強していくうえで自分自身が不思議に感じることが二つある。一つ目は、今まで小学校、中学校、高校、浪人と13年間「勉強」というものを一応はやってきたが、どの段階においても勉強を心から愛したことは無かった。国語が好きな教科であったけれども、「本当に好きか?」と問われると、「古文が嫌いでした。」と言わざるをえない。勉強が楽しくてしかたがなかったというような記憶もあまり無い。むしろ高校受験も大学受験も人生の中で大切なこととは分かっていたけれど、やはり苦痛に感じることがとても多かった。しかし、不思議なことに今の中国語学習は全く苦痛に感じない。包み隠さず発言すると、「楽しくてやめられない」のだ。今までで趣味や遊びで楽しくてしかたがなかったことならいくらでもあるが、勉強のことで心から楽しく感じることは、今が初めてなのだ。自分が勉強のことでこんなにも打ち込めるなんて本当に不思議でたまらないのだ。二つめは、闘争心が異様に強くなっていることだ。昔から負けず嫌いなところは確かにあったが今ほどではなかった。例えば、私のインテンシブの中国人の先生は授業の毎回に小テストを実施してくれるが、私は常に「満点以外は意味が無い」という信念のもとテスト勉強している。自分の知識を増やしたいという気持ちもあるが、それよりも圧倒的に「同じクラスの人間に負けたくない。」という気持ちが強い。テスト前には教科書の本文とピンイン(中国語の発音記号)をこれでもかというほどに書きまくり、頭に完全に浸透するまでは寝ないというノルマまで課しているし、通学電車の中でも中国語の単語の暗記時間として有効に使っている。それでも自分よりも高い点数の人間がいると、「なんとかして勝ってやる」「次は絶対に打ち負かしてやるからな」「戦ってやる!」という熱い感情に激しく揺さぶられ、単純なケアレスミスをする自分を情けなく思うこともある。自分が熱を込めていればいるほど、闘争心の炎は火力を増すのだということを私は身をもって知った。この気持ちは今後とも私を支えてくれるだろうし、この炎は燃え尽きることがない。さて、ここまで私にとって重要なものとなった中国語だが、仮に私が中国語を身に付けたら、というよりも絶対身に付けたいのだが、将来にどう中国語を生かすのだろう?これは真剣に考えなくてはならない。現代の世界経済はもはや中国経済なしには成立せず、軍事力も経済力も日本を追い越してアジアでの覇を確立した超大国、中国。私は将来、大企業のビジネスマンになって中国との貿易業務に深く関わりたい。まだ私は社会というものを大人ほど知ってはいないが、それでもこの夢は本気なのだ。だから私は今、長期留学と中国語検定を現実的な自己実現の要素と考えている。留学は語学力向上とともに広い視野と思考能力を鍛えてくれて、そして最大の利点はその土地の人々と生で話ができることだと思う。日々の勉強に辛いことが起きても私は「留学を絶対にするためだ!」と強い意思をもって乗り越えられたことが何度もあった。実際のところ、私は友人と2人で2月に上海に旅行に行こうと計画している最中だ。本当に楽しみだ!今の私は本物の中国オタクになってしまったみたいだが、勉強に関することなので良いことだと思っている。中国語を学習していくなかで気付いたこともあったし、自分自身が変わったと感じたこともあった。今の自分が大学に行くことができて、中国語を自由に勉強することができ、長期留学まで考えることができるのは、全て両親のおかげだと思っている。私のやりたいことの話を聞いてくれて、昔から私の将来を一緒に真剣に思案してくれて、そして私を理解してくれる両親には感謝してもしきれない気持ちで胸が一杯である。最近になってそう思い始めた。気付くのが遅かったけど「ありがとう。」。この感謝は今後何十年間も私の胸から消えることは無いだろうし、一生続くのだと思っている。そうした気持ちをもって私はまた上を目指して努力をしていく。私はこの言葉を大切にしていて、いつも自分に言い聞かせている「俺の挑戦に終わりは無い。」

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