サギタリウス賞

「書くことに寄せて」

経済学部 経済学科 2年次生 橋爪 明美

審査員講評

 このエッセイの著者は、子供の頃から「小説家」になりたいという夢を持っています。その夢に向かって、在学中に小説を書き、必ず何かの賞に応募するという目標を立てています。このエッセイに審査員は全員一致して高い評価を与えました。2年連続のサギタリウス賞です。
 著者の夢はある出来事を境に質的に大きく変化しました。それは、おばあさんが著者のエッセイを読んで、「凄いね、偉いねって、嬉しそうに言った」ことを、おばあさんが突然亡くなった後に聞かされたことです。その時、著者は「誰かに読んでもらえる嬉しさ」に気づきます。そのような心の変化と決意の過程が、著者独特の短い文章の積み重ねと、パラグラフの長短のバリエーションによって、テンポよく綴られています。このエッセイを読んで、著者の小説を是非とも読みたいと思いました。卒業までに必ず作品を応募するよう期待します。

作品内容

「書くことに寄せて」橋爪 明美

 一年前、卒業するまでに必ずやると決めたことがある。それからは、纏め買いした原稿用紙をいつでも鞄に入れて持ち歩き、時間があればそれを広げた。USBメモリの中には、いくつかのWordファイルが並ぶようになった。私は、小説が書きたかった。

 昨年の今頃、子供の頃のものだと言い聞かせてきた夢をあるきっかけで思い出してから、私はその夢に向かって、何か行動を起こそうと心に決めていた。それは私がなかなか口に出すことが出来ない、「小説家」という職業に就きたいという夢だった。その夢に向かって、私は目標を一つ立てた。それは、「卒業するまでに必ず何かの賞に応募する」というものだった。私にとってそれは、今まで一人、誰に見せることもなく書いてきた文章とは、全く意味合いの違うものだった。他人が自分の書いたものを読む。本当に客観的に、自分が書いたものが面白いか、面白くないか判断される。その言いようの無い、ある種の恐怖感に、私は正直怯えた。心底怖かった。他人の前に出してしまえば、もう自己満足で構わない等と言って開き直ることも出来ない。しかし、その夢を思い描く以上、いつかは通らなければならない道だということも自覚していた。そんな相反する感情の間で、情けないことに私は、その夢を目指すことに迷いを感じ始めていた。目指すと決めたことではあったが、私の中でそれは確かに揺らいでいたのだ。一方で、そんなことで迷うようなら止めてしまえ、と思う自分もいた。ただ、そうやって迷うことによって、次第に私は文章を書くこと自体に気後れするようになっていた。物語が好きで、人を楽しませるようなものが書きたい、そう思って書いていた筈なのに、書くものは全く面白くなく、書いている私自身も少しも楽しさを感じられなかったのだ。私が好きだったものは何で、書きたかったものは何なのか。どうして「それ」に就きたいと思ったのか。悩めば悩む程分からなくなり、私は少しずつ書くことから離れていった。今までずっと増え続けていた文章が、初めて止まった。

 書くことと距離を置いてから、暫く経った。私は少しの後悔を感じながらも、もう一度書き始めようという気にはならなかった。そう思い切るには心が決まらず、複雑な気持ちを抱えていた。そんな時だった。突然、祖母が他界した。あまりに急なことで、私は激しく動揺した。悲しみももちろんあったが、それ以上に動揺が強く、祖母のことを思い返す間もなく様々なことが過ぎていった。祖母が亡くなって暫く経ち、少しずつ状況を理解しだした頃、私はあることを思い出した。私は昨年、このエッセイコンテストに応募し、賞を頂いた。そのことを、両親と祖父母には伝えていたのだ。両親は私が書いた文章を読み、父親は私に祖父母にも読ませて良いかと尋ねてきた。その時、私は躊躇った。家族とはいえ、いきなり祖父母に読ませるということには、どうしても抵抗を感じたのだ。決して私が祖父母を敬遠していたという訳ではない。ただ、今までそういった私の文章を読ませたことがないという点では、たとえ家族であってもそれは、他人と同じ目線のように思えたのだ。だからその時私は思わず言葉を濁してしまった。結局、それから父親が祖父母に読ませたかどうか分からずにいたのだが、ふとそのことを思い出したのだった。思い出した途端、どうしようもない苦しさで胸がいっぱいになった。こんなことになるなら、読んでもらえばよかった。下らない怯えや羞恥など捨てて、読んでもらえばよかったのだ。思えば思う程、後悔が押し寄せてくる。私が泣きそうになっていると、隣に母親がいた。私はどうしても訊きたくて、母親に尋ねた。
「読ませてたよ。お父さんが字を大きくして、プリントアウトしてあげて」
「凄いね、偉いねって、嬉しそうに言ってたよ」
 それを聞いた瞬間、涙が止まらなくなった。嬉しいなんて、私が言いたい言葉なのに。こうなってしまってから、私は初めて気がついたのだ。誰かに読んでもらえる嬉しさを、読みたいと言ってもらえる喜びを。私は本当に愚かだった。やっと気付けたのだ。書くことに楽しみを見出せない、そんな訳がなかった。文章を書くことは、読んでもらえることは、こんなにも幸福だったのだ。私は良かった、良かったと何度も繰り返しながら泣いた。読んでもらえていた嬉しさを噛み締め、直接感想を聞けなかったことを悔いた。そして強く思った。私は書きたい。読みたいと思ってもらえるような、楽しんで読んでもらえるような小説が書きたい。そう思っていた。書きたい。ずっと書きたかった、ずっと。そう私は、小説が書きたかったのだ。それから暫くして、止まっていた文章が、ゆっくりとまた増え始めていた。

 きっかけを思い返すことは辛かった。けれど、漸く私の意志は固まった。羞恥心や怯えを取り払い、やり遂げたい目標に向かって進むことを決意したのだ。しかしそれでも、どうしても迷ってしまう時が来るかもしれない。その時が来たら、私はただ、自分を信じようと思う。今までの私は、自分の生み出すものに自信が持てないから、理由をつけて立ち止まっていたのだ。文章を書くことなど、いつでも出来ると思っていた。誰かにそれを、読んでもらうことも。しかし、それは間違いだった。そのことに、今まで気付けなかったのだ。だから迷っていた。けれどもう迷わない。迷いたくない。何故ならそれは、どんなにそれまでが辛くても、私にとって文章を書くことが幸福で、楽しみに満ち溢れているからだ。

 そして今私は、ある賞へ応募するためのものを書いている。結果がどうであれ、私の「やり遂げたいこと」に終わりは無い。二度と後悔しない為にも、私はもう躊躇わない。今書いているものが出来る頃、その頃には、誰にでも胸を張って見せられるように、そうなっているのだろうと、私はただ信じている。

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