サギタリウス賞

「今なら言える『ホント』の気持ち」

文化学部 国際文化学科 3年次生 黒川 大樹

審査員講評

 自分のゴールを目指すこと――ウサギとカメの本当の意味――
 私たち一人ひとりがこの世に生まれて来たことは、本当に得がたいことである。そして、さまざまな悩みや葛藤を乗り越えて真っ直ぐに生きることができることは、感動的である。人はつい自分と他人を比べて、幸不幸を感じてしまう。しかし、人との比較という囚われから解放されて、ひたすら自分のゴールを目指して生きることが、自分の人生を生きるということになる。ウサギがカメに遅れを取ったのは、ゴールをひたすら目指すのではなく、競争相手のカメに目が向いていたからである。それに対して、歩みの鈍いカメの方が先行したのは、ライバルのウサギに目を向けるのではなくゴールそのものを目指していたからである。童話「ウサギとカメ」をこう解釈して著者に話したお母さんの愛情に私も心を打たれた。聴覚障害による葛藤とそれを乗り越える著者の人生に立ち向かう真摯な姿勢に感動させられるエッセイである。

作品内容

「今なら言える『ホント』の気持ち」黒川 大樹

 「あなたにとってのあこがれの人・目標とする人は?」というフレーズ。これがまたなかなかよく耳にする質問である。もうすぐ21周年を迎える私の人生の中でも、少なくとも3回は出くわしている。小学校の時の作文の課題であったり、初対面の人との親睦会で繰り出される定番の文句であったり、はたまた入試の小論文のテーマであったり…これまでは限られた時間の中で答えなければならなかったので、咄嗟に思いついた人物を挙げることすらあった。だが今回はたっぷりと時間が与えられたエッセイという場であるので、今まで誰にも言わなかった本音を綴りたいと思う。

 私の“あこがれ”は両親である。

 私は幼少の頃から両耳が不自由だった。私の人生の記憶の中に耳が聞こえていた記憶はない―――物心ついた時から既に両耳には補聴器があった。両親にとって私は初めての子だったので、私の聴覚に障がいがあると判った時、どうしていいか分からなかったそうだ。耳が聞こえないということは、耳から入る音を聞いて発語することが出来ない、ということである。つまり言語を獲得するには、絵本に書かれた文字を読むくらいしか当時は方法がなかった。だがもともと活発な性格だった私は、1秒たりともじっとしていられず、絵本を読むなどという行為は全く出来なかった。母は聾学校の先生から絵本の読ませ方を教わり、様々な試行錯誤の末に私に言語を獲得させたそうである。「言葉」という概念がなかった私の世界に種を蒔き、花を咲かせてくれたのは他ならぬ母であった。現在私が大学で、健常者の方々と大差なく授業を受けられるのも、ひとえに母の賜物であるが、おそらく相当苦労したであろう私の子育ての頃を、笑い飛ばしながら明るく話す「肝っ玉母ちゃん」である。

 父は母とは違った意味で大らかな人である。たとえ自分や家族に関する悩み事を抱いていても、それを微塵も感じさせず、常にしょうもない事を言っては周りを明るくさせる…そんなポジティブ人間である。とはいえ、父は父なりに私の将来を案じてくれ、少しでも見聞が拡がるようにと、私をいろいろな場所に連れ出し、いろいろな経験をさせてくれた。現代社会においては、家庭を顧みずにひたすら仕事に精を注ぐ父親が多いようだが、私の父親は彼らとは正反対に位置するような人であった。

 しかし私が思春期に突入した時、自分と周りの友達との身体上の違いが明確になり、そのジレンマに悩んだことがあった。友達の会話の内容がほとんど聞こえない、つい何度も聞き返してしまって流れが乱れる、やがて仲間外れにされていく…周りになじめない寂しさと、人並みのことがどうしてもできない自分にもどかしさや情けなさを感じていた。恥ずかしながら、両耳が不自由な私を世に送り出した父と母を憎むことすらあった。両親とて、好んで私の耳を不自由にさせたわけではない。それは十分解っていた。でも、自分の運命を受け入れるだけの余裕は、当時の私にはなかった。それでも両親は辛抱強く私を見守ってくれた。いつかは落ち着く時がくることを望みながら…。

 いつの日だったか、母がこんな話をしてくれた。
「童話『ウサギとカメ』の話の教訓は、ライバルを見下して油断するウサギよりも、コツコツと努力するカメのほうが報われるってことや。けど、実はあの話にはもう1つの教訓があって、ウサギはカメの進み具合だけを気にしてたけど、カメはひたすらゴールだけを見てた。人と比べるよりも、自分なりのゴールに向かって頑張ることのほうが大事やねんで。ゆっくりでもいいから自分のゴールを目指しなさい。」

 私はこの話にとても心を打たれた。母が歩んできた今までの人生が、その言葉にギュッと濃縮されているようだった。そして、長く私の中に渦巻いていた葛藤がスーッと消えていくのを感じた。

 以来、私は人と比べることをやめた。人と比べても仕方ないと思えるようになった。だって自分の人生、色付けをできるのは他ならぬ自分自身だから。他人のアドバイスに耳を傾けることが苦手だった私は、母のアドバイスを受け入れてカメのように生きたいと思った。すると不思議なことに視野が拡がったように思う。何かと他人と比較していた頃には見えてこなかったものが、良い意味で開き直れた今なら見える、ということが数多くある。しだいに考え方もプラス思考になり、心にゆとりができるようになった。現在私は個人でマラソン競技に挑戦しているが、このように新しいことに挑戦しようという意欲も湧いてきた。

 私の人生はこれまで、学校の先生であれ友達であれ、いい人に出会う機会にとても恵まれている。だが、1番恵まれていたのはこの両親の子どもとして生を受けたことだと思う。もし、この両親の子どもじゃなかったら…そんなことは想像もつかない。いや、想像したくない。弱音を吐かずにひたすら働いて私を育ててくれた両親に感謝したい。将来、私も結婚して家庭を持ち、親になる時がくるだろう。両親のようにはうまくやれないかもしれないが、ちょっとでも近づけるように自分なりに頑張っていきたい。

 最後に、親父とオカン、今までありがとう!!これからもよろしくな。

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