入賞

「歌を歌う時」

文化学部 国際文化学科 4年次生 福島 美樹(ふくしま みき)

審査員講評

 人にとって「大切なもの」とは、それがその人の一部になっていて、それを無くすとその人ではなくなるものです。合唱団での大学4年間の生活が著者の一部になっていて、「歌うことがなくなったら私は私ではなくなる」というほど濃密なクラブ活動をされてきました。合唱は独りではできず、クラブの仲間と心を一つにして歌うことによってはじめて成り立ちます。どのようにして合唱クラブでの活動が著者にとって「大切なもの」、著者の一部になって「切り離せないもの」になったのか、文章から著者の息遣いが聞こえます。そんな大切なもの、それを無くせば自分ではなくなるような大切なものから、あと何ヶ月かしたら離れなければならないということで、その思いは痛切なはずです。

作品内容

「歌を歌う時」福島 美樹

 「あなたの大学生活に点数をつけて下さい。」
私がまだ就職活動をしている時、企業からこんな質問がありました。
「100点です!」
 質問された瞬間に私の答えは決まっていました。学部の勉強は本当に楽しかったし、アルバイトでは仕事の楽しさや厳しさを体験できました。また念願だった海外ボランティアに行くこともでき、私の大学生活は毎日が充実していたからです。
 でも、私がこうやって胸を張って言えるのは、私が所属しているニポポのおかげです。ニポポとは文化団体連盟に所属する混声合唱部ニポポのことで、男女合わせて100人近くの部員が演奏会やコンクールに向けて週3回練習しています。100人もいると顔と名前が一致しない人もいるんじゃないの?などとよく聞かれますが、1回生から4回生まで本当に仲が良く、部活以外でも一緒に遊んだり、話したりしています。ニポポの部員のほとんどは大学から合唱を始めた人ばかりで、合唱経験者は部員の1割もいません。私もその例外ではありません。昔から歌うことは好きでしたが、本格的に発声練習もしたことはないし、初めは合唱をすることに抵抗すらありました。
 しかし、そんな私ももう4回生。合唱歴も4年になりました。ニポポで歌漬けの毎日を送り、「100点です!」と即答できる大学生活を送ってきました。そんな日々を思い出しながら書いてみようと思います。

 私は子供の頃から歌うことが大好きでした。歌う曲はほとんどその時流行っていた曲で、家の中で大声を出して歌い家族に何度も怒られたり、犬の散歩の途中に歌っていたら近所の人に聞かれていたりと本当にいつも歌ってばかりでした。歌を歌うことは私にとって趣味であり、ストレス発散であり、自信を持って自分を表現できる手段でもありました。
 いつか音楽を本格的にやってみたいと思いつつも実行できず時間が流れていきました。だから大学では絶対音楽をする!軽音楽部に入ってボーカルをする!という強い誓いを持って私は京都産業大学に入学しました。この時はまさか自分が合唱をするなんて夢にも思っていませんでした。
 軽音楽部に入る!と決めていたものの、なかなか決心がつかずゴールデンウィークが終わるまで私は悩んでいました。そんな時4月に勧誘してくれたニポポの先輩の繋がりでニポポの練習に行くことになりました。初めは合唱に戸惑いもあるし、知らない人ばかりで気まずい思いをしながら練習に行っていましたが、徐々に友達も増えていき先輩に教わりながら歌っていくうちに歌うことの楽しさを再確認することができました。

 そして私にとって初めての演奏会。1回生の5月、京都会館で合唱祭というイベントがありました。このイベントでは京都の様々な合唱団が集まってステージに入れ替わり立ち替わり歌を歌います。ニポポは「未来」という合唱曲と白雪姫にも使われていた「ハイホー」を歌って踊りました。大きなホールで大勢のお客さんを前に歌う経験なんて滅多にできるものではありません。私はニポポの出番が来るまでずっと緊張していました。
 しかし、いざ舞台に立って歌ってみると、たくさんの人に見られながら歌うことが楽しくてのびのびと歌うことができました。ニポポのように歌って踊る団体は京都に数多くある合唱団の中でもかなり珍しいらしく、お客さんが楽しんでくれているのを肌で感じました。歌の途中から誰が始めるでもなく会場から手拍子が聞こえ、その音が私のテンションをますます上げてくれました。そして曲が終わった後には大きな拍手をもらいました。
なんとなく練習に行き、なんとなく入った合唱部ニポポですが、この瞬間から私は本当に歌うことの楽しさに目覚めたのだと思います。

 一生懸命練習した歌をお客さんの前で歌い、拍手をもらう気持ちよさがやみつきになった私はもっともっと歌いたいと思い、歌にのめりこんでいきました。
 2回生になった時にはもっと歌を楽しみうまく歌えるようになりたい、そしてその楽しさをみんなに伝えたい、と思いパートリーダーになりました。パートリーダーは他の部員よりもたくさん歌い、他の部員に歌を教えます。任期は2年間で2回生の時はチーフの下につき、3回生になったら自分が中心となりパートをまとめていきます。

 私はパートリーダーになってからも夢中で練習しました。パートリーダーは週3回の練習以外にも、週2、3回練習があって部活以外のことをする時間はほとんどなかったけれど、それは私にとって苦痛ではありませんでした。先輩や先生に色々なことを教わりながら自分の歌が上達していくことは充実感を得ることができたし、また一緒に歌うことで周りの人達との絆が深まっていくのを感じられたからです。
 ニポポでは演奏会が近づいてくると、練習がない日でも放課後ボックスに集まります。演奏会を成功させるためにもっと歌の完成度を高めたいと思ってボックスに来て練習するのです。前で進めるパートリーダーや指揮者だけでなく全員が練習に能動的に参加し、一人一人が歌をより良いものにしようという意思を持たなければ充実した練習は絶対にできません。私はいつもそのような練習がしたいと思い、練習にのぞんでいました。
 しかし毎回そんな練習ができたかと聞かれたら残念ながら答えはNOです。100人の中にも温度差があり毎回熱い練習ができないのが現状でした。自分はパートリーダーでもっと全員を引っ張っていかないといけないのに練習の空気を変えることができず、もどかしい思いをすることもありました。多くの人がこのままではだめだと思いながらも、どうしようもできないような雰囲気に包まれる練習もありました。
 そんな時は同回生や同じパートの人達との話し合いを頻繁にしました。どうすれば練習がうまく進むか意見を出し合いながら考えました。お互いに求めている練習の雰囲気が違うなど、ぶつかることもありましたが、いくら話が食い違ってもお互いが納得し理解し合えるまで話し合いました。次からの練習を良いものにしていくためには妥協して話すことを放棄してはいけないとわかっていたからです。練習が終わってから何時間も泣きながら話し合うこともありました。
 そんな情に厚いニポポだから、全員の気持ちが揃った時の力はものすごいです。全員の方向性が「演奏会を成功させる」という目標に向かって一つになれた瞬間には、自分の後ろで歌う人達の熱気を感じるくらいの練習ができました。そして、そんな時に歌う歌は鳥肌が立ち、涙が出るくらい素晴らしいものだということを知りました。

 そして私は4回生になり、先日、10月8日に関西合唱コンクールがありました。コンクールでは課題曲を1曲、自由曲を2曲歌います。その3曲を歌って金賞1位を獲るために7月からずっと練習してきました。
 私達4回生にとっては最後のコンクールです。絶対悔いを残したくないと思い、私は時間のある時は必ずボックスに行って歌うようにしました。コンクールに向かって自分にできることは何かと考えたら、自分がもっとうまくなることだと思ったし、後輩にも教えられることは全て教えて、今自分にできることを全てやろうと思ったのです。
 歌う楽しさを忘れず、ニポポみんなで高みに登り詰めたいと心から思い精一杯練習しました。今このメンバーで歌えることに幸せを感じて歌おうとみんなで決めました。指揮を振って下さるのは先生だし、ピアノを弾いて下さるのも先生だけれど、歌を歌って自分達の思いを伝えることができるのは私達しかいません。曲の持っている魅力や自分達の魅力を精一杯お客さんに伝えたい!そして金賞1位が欲しい!そう思い練習を重ね本番を迎えました。
当日は全員が一丸となって歌えたのだと私は思います。だから隣や後ろからみんなの歌声がしっかりと聞こえてきました。1回生の時はステージが始まるまであんなに緊張したのに、今回のコンクールは全く緊張せず今までやってきたことに自信を持って歌うことができました。お客さんの拍手がとても心地よかったです。  終わった後、やりきったという充実感が私の中に溢れてきて涙が自然に流れてきました。私にとって最後のコンクールはこれまでで一番楽しいと感じたステージでした。それは、1回生の合唱祭の時の楽しさとは違いました。あの時より自分自身もたくさん練習して、練習したことを出し切ることができた楽しさでした。結果はというと、銀賞2位で悔しい気持ちもあったけれど、私は自分達の演奏には満足することができました。悔しさは12月の定期演奏会を大成功させて晴らしたいと思います。

 ニポポで過ごした日々は、全てがうまくいくことばかりではなく、もうニポポなんかやめてしまいたい!と思うことも何度もありました。しかし私はやめずにずっと歌い続けていました。それはなぜかというと、辛いことがあってもニポポにいられることが幸せだったからだと思います。ぶつかることもあったけれど、部活に来ればみんなと会えて、悩みを聞いてもらったり、一緒に愚痴ったり、私を支えてくれる仲間がいたから私は頑張ってこられたのだと思います。ニポポで歌うことはもう私の生活の一部で、切っても切り離せないものになっていました。ニポポをやめて歌うことがなくなったら私は私じゃなくなるような気がしました。

 以前テレビのある番組で、人は本当に辛い時は頭の中から歌がなくなる、といったことを耳にしたことがあります。私の大学生活にも辛い時はたくさんありました。けれど、頭の中から歌が消えたことは一度もありませんでした。私の頭の中は常に歌のことやニポポのことでいっぱいで、私の大学生活は歌で溢れていました。
 そして、歌を歌う時、周りにはいつもニポポの仲間がいました。歌を通して一つにまとまり、一緒に歌える仲間がいることは私の自慢です。大学生活の中でこんなに大勢で泣いたり笑ったり、濃い毎日を送れるとは思ってもいませんでした。
 私にとって大切なもの。それは歌うこと、そしていつも一緒に歌ってくれる仲間です。歌うことを本当に好きにさせてくれたニポポで過ごすことができて私は幸せです。私はあと何ヶ月かしたらニポポを卒団して社会人になります。毎日歌って過ごす日々はもう終わりに近づいています。卒団する2月まで一日を大切に後悔のないように歌い、卒団して社会に出てもニポポで一生懸命歌や仲間に向き合ったことを忘れずに過ごしていきたいです。

PAGE TOP