入賞

「大切なものを、守るということ」

経営学部 経営学科 4年次生 内山 千夏子(うちやま ちかこ)

審査員講評

 コミュニケーションの大切さ…と言うことを、改めて考えさせられたエッセイである。ここで言うコミュニケーションとは、彼我を相対視・客観視することである。筆者が、自分の夢に固執すればするほど、自己を絶対化し、周囲の人々との関係を崩壊させてゆく。このような過程の中で、「自分」と言うものをも見失う危険性に、やがて気づく。このような「気づき」を筆者にもたらしたものが、短大での恩師を始めとする周囲の人々であり、「大切なもの」であった。
 今回のエッセイは、そのテーマの関係から、「過去と現在」に焦点があてられたものが多い。しかし、「将来」につながるものこそ、「大切なもの」であるとも言える。この点において、他の作品との相違が見られたエッセイであった。

作品内容

「大切なものを、守るということ」内山 千夏子

 「あなたにとって大切なものは?」と聞かれたら、私は大阪芸術大学短期大学部のある先生の名前を挙げるだろう。短大を卒業し、3年次編入で京都産業大学に来てからも、その先生とのやり取りは続いている。「かけがえのない人」であることは間違いない。しかし、やり取りの中で気付いたことがある。自分に自信を持たないと、その大切な人でさえも、なくしてしまうことがあると。

 京都産業大学の経営学部に編入をしたのは、その先生が担当する「メディアと著作権」という授業を受け、経営学に関心を持ったことが一番の理由である。その授業では著作権の知識だけではなく、コンテンツ産業の隆盛やアート・ビジネスの現状などについて知ることができた貴重な時間だった。そこで経営学を学んだ上で、ビジネスの面からアーティストをサポートしたいと考えたことが、経営学部編入の理由だった。

 その上で3回生の終わりの時点で考えていた進路の選択肢が、公務員試験受験だった。あまりにも突飛な進路計画であると思われるかもしれない。しかし、自分なりの理由はあった。かつて短大時代に住んでいた街で、職員として働きたいと考えたのである。その街は8つの公立劇場と美術館を持つ兵庫県の自治体で、特に劇場の運営手法は関西の演劇界でも名高かった。もともと短大で演劇を専攻していたこともあり、その劇場と運営母体の自治体には思い入れがあった。その自治体職員として働き、短大に利益を還元していくことが、母校や学友達に対する恩返しであり、お世話になった「メディアと著作権」の先生のみならず、京都産業大学も含めてすべての恩師への恩返しであると考えていた。それが一番の志望理由だった。

 ある日、京都でその先生とお会いする機会があり、そのことを話した。私は喜んでくれるだろうと思っていた。しかし返ってきた言葉は「戻らなくていいのです。鮭がみんな戻ったら窒息するでしょう」。

 「君の可能性はそんな小さな街で終わるものではありません。世界に羽ばたくのです。」が口癖だった。私が持つその街への思いを伝えると、多くの人は「夢を持っている」と賞賛したし、それが正しいと思っていた。その中で、この先生だけは間逆のことを唱えたのである。私の固執する性格や、思い込みの激しさを考えての助言だったのだろう。何より、就職活動を始める前から、ひとつの可能性に限って進めるのは一番良くないやり方である。しかし夢を見ているときはそんな忠告も頭に入らない。就職活動を停止して、試験勉強生活に入った。

 しかし学年末休暇、試験勉強一色になったころからその不協和音は現れ始めた。試験勉強とその自治体のためなら、何をしてもいいと思い込んでしまったのである。志望理由も、就職活動や試験勉強の進め方も変えようとはしなかったし、志望理由書の添削などの助言も聞く耳を持たなくなった。心配してくれている周囲の助言にも反発した。

 当然、周囲との衝突が絶えない。次第に、限られた人間関係の中に閉じこもり、気がつけばその短大の先生に依存するようになっていた。その先生とはメールでさまざまなやり取りをしていたが、かつてはパソコンでのメールのやり取りに限られていたものが、次第に携帯電話で一日30通にまで及んだ。「自分の夢のためなら、何をしてもいい」それがあまりにもゆがんだ形で現れていった。

 先生はその状態に耐えかねていたのだろう。ついに私は拒否宣言を突きつけられる。一切の連絡を受け付けないと宣告されたのだ。そのときになって初めて、手放したくないと必死になるほど、大切なものを自ら傷つけていたという事実を知った。同時に、自分自身を縛っていたあらゆるものから、一度くらい自分を解放してもかまわないだろう、そう思うようになった。自分が作り上げた大義や理由が、知らないうちに足かせになっていた。「戻らなくていい。世界に羽ばたけ。」その言葉を胸に、兵庫のその街でなく、まったく別の世界に出かけていった。結局、その言葉どおり、その街に戻るという道を選ばなかった。7月末、ある政府系の企業から内定を頂き、受けることにした。

進路が決定した後、その先生とお会いする機会があった。そのときも「いくらすごいチャンスをつかんでいても、自分を信じられなければまったくダメです」と言われた。今、私がこのチャンスを信じているのかと言われれば、不安のほうが大きい。しかし、自分を信じることが、一番大切なものを守ることになるのなら、そうするよりほかはない。自分を守るということは、結果として大切な誰かを守っていくことでもあるのだと思う。

 いつか、所功先生が授業の中で「恩返しというのは、親や恩師に何か、利益や報酬で『返す』ことではないのです。してもらったことを、次の新しい人に渡していくことなのです。」と言われていた。「このまま芸術や短大、兵庫のその街から離れていくのではないか」という不安は常にある。しかし私がこの中で得たことは、芸術の世界での出会いや知識だけではない。してもらった「何か」を、まったく新しい世界で渡していくだけなのである。

今はそれを信じること。それこそが、自分を信じるということなのだ。

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