サギタリウス賞

「両親への手紙」

経営学部 経営学科 4年次生 スーウィンイー

審査員講評

 ぜひこの手紙は書かねばならない、ぜひ書きたい手紙であったであろう。作者の両親にたいする溢れるような熱い思いが奔流のように綴られている。ミャンマーと日本という地理的に遠く離れた場所にいて、それだけに手紙という形ではじめて伝えられる感謝の言葉。容易とはいえない生活環境のなかで作者を育て、日本へ送りだしてくれた両親への「こぼれそうな思いと感謝の気持ちいっぱい」の手紙。親子というものは、わかっていてなかなかお互いの心を口に出して伝えあうことは難しいものである。近くにいるときは空気のように当たり前の存在。時に、甘えやねだりから、不満を抱いたり、意地の張り合いもしてしまう。今、日本では、親が子どもを殺したり、子どもが親を傷つけたりする悲しい事件が相次いでいるだけに、改めて両親への感謝の心を綴ったこの手紙に心を洗われる思いがする。

作品内容

「両親への手紙」スーウィンイー

 お母さん、お父さん、元気にしていますか?今ごろ何しているかな?まだお仕事中ですか?お母さんお父さん、私もう意地をはることなんかできません。今日は私、お母さんお父さんに対する今までの思いや、ずっと言えなかった大切なことを、たっぷりお伝えします。お母さんお父さん、よく聞いてね!! 実は私、お母さんお父さんに会いたくて会いたくて、たまらない毎日です。お母さんの手紙やお母さんが送ってくれた食べ物をみるたびに涙を流してしまいます。どんなに辛い時でも、どんなに忙しい時でも、お母さんお父さんを忘れたことなんか一度もありません。お母さんの愛情たっぷりの、あの美味しい手料理が食べたいです。あれからずっと(日本に留学してから)、お母さんの手料理ほど幸せを感じる料理は一度も食べたことがありません。
 私はお母さんお父さんのお陰で日本に留学することができました。日本に留学する前に決意した「お父さんお母さんを少しでも楽にしてあげたい!日本での学費や生活費などは自分の力で頑張る」ということを達成するために、毎日朝晩アルバイトを一度も欠かさず頑張ってきました。その達成感と共に、5、6年前のお母さんの辛さ、あの時のお母さんの気持ちが、よく分かるようになりました。正直に言うならば、あの時の自分のことを考えるたびに、とっても恥ずかしく、とっても情けなく、反省しています。
 あの時お母さんは、私たち兄弟3人が立派になるため、お父さんの反対にもかかわらず田舎から都会に転勤し、家族全員を連れて行ってくれました。上京したばかりにもかかわらず、私たちのために勇気や力をいっぱい持っていたお母さんは、私たちを、金持ちの子供や国の偉い方たちの子供が通う有名な中学校や高校、そして6,7年後には長女である私を、2つの大学と日本語学校に、高い学費にもかかわらず3つ平行して通わせてくれました。そして妹にも、普通の家庭ではあまり行けない経済大学へ希望どおり行かせてくれました。他の大学の先生なら朝9時から16時まで仕事をするけど、お母さんだけが朝6時から学校が始まるまで家庭教師をし、また夕方学校が終わったら深夜12時まで塾の先生をして苦労していました。
 お母さん、きっと眠たかったでしょう?毎朝5時に起きるのが!きっとしんどかったでしょう?夜遅くまで仕事するのが!どうして、お母さん嫌なことを言わなかったの?どうして嫌な顔をしてなかったの?どうして、私たちにその辛さを教えてくれなかったの?あの時の私は、そんな優しいお母さんの気持ちをいっさいわからず、「お母さんはいつも仕事仕事仕事ばかりで、私たちのことを考えてるの?私たちのことより、自分の仕事がそんなに大事なの?私たちより自分の生徒のほうがもっと好きなんじゃない?私が毎晩、お母さんと一緒に食事したくていくらお腹が減っても食べずに待ってるのを知らないの?知らないふりをしてるんとちがう?お母さんなら絶対知ってるはずやのに。それなのに外で食べて来たお母さんは本当に酷すぎる。自分の子供よりいつも仕事を優先するそんなお母さんが、大嫌い!」なんて、今から思えばとっても情けないことを、考えていました。いつも自分のことばかりでお母さんのことを考えてませんでした。お母さん、本当にごめんなさい。私はあのときの幸せを忘れられなかったのです。あのときの家族の絆を取り戻したかったのです。私が子供のとき、土日ならお父さんがお母さんの好きな歌をヴァィオリンで弾き、お母さんは子供たちが好きな料理を作りながら歌を歌う、あの時の幸せを、もう一度感じたかったのです。私の頭の中に、昔みたいにお母さんといろいろコミュニケーションしながら一日の喜怒哀楽をお母さんに聞いてもらえるあの時を取り戻すためには、今お母さんがやっている仕事が一番邪魔だ、と認識してしまったのです。お母さんが仕事仕事って頑張ることこそが、私たちのためであること、私たちへの愛情であることに気づきませんでした。お母さん、本当に申し訳ありませんでした。心から「ごめんなさい。そしてありがとう」とお伝えしたいです!! お母さんだけではなく、いつもにこにこしながら子供の前では決してストレスを出さない、特に私をいつも笑わせようとする、お父さんにもメッセージがあります。お父さん、いつも、どうも、ありがとう。高校生になってからお父さんとあまり会話をしなくなったけれど、実は、お父さんのことが大好きです。お父さんが、私が「タバコが嫌い」と言ったため、何十年にもわたってずっと吸っていたタバコを無理矢理やめてくれたとき、とっても嬉しかったです。お父さんが私のことどれだけ大事にしているのか、そのときわかるようになりました。私、いつも意地をはってしまって、本当にごめんなさい。
 私は日本に留学してたくさんのことを学びました。特に親の大切さです。日本でさまざまなことを体験した私は今、お母さんお父さんに対して、こぼれそうな思いと感謝の気持ちいっぱいです。お母さんお父さんが側にいたとき、衣食住の何もかも心配したことがなかった私は今、朝早く起きてご飯を作らないと食べ物がありません。夜バイトから帰って掃除しないと部屋が汚いし、週末洗濯してアイロンをかけないと着るものがありません。朝5時半に起きてバイトに行かないと収入がなくなるし、収入がないと学費が払えないし当然生活もできません。だから朝いくら眠たくても5時には起きなければならないのです。このような厳しい毎日と貴重な体験から、あのとき嫌いになったお母さんは、私のことをどれだけ大切にしてくれていたか、とても感じられるようになりました。
 私は日本に留学している間、いろいろしっかり頑張らないとお母さんに悪いと思うようになりました。今私は、卒業後日本でちゃんと就職して頑張ることが、20数年間にわたってこれだけ苦労してくださったお母さんお父さんの期待にできるだけ応えていくことだと考えています。
 そのため、去年の12月ぐらいから、毎日学業とアルバイトを両立させながら、就職活動にも取り込んでまいりました。でもとても辛いことに、日本語能力がまだまだ足りない私にとって日本での就職活動はとても厳しいものとなりました。朝早くから家を出て夜11時に疲れて帰って来た私に、「誠に残念ながら不採用という結果になりました」という応募企業からの選考結果に、何回も何回も、涙を流しました。でも私はこの辛さを、お母さんお父さんに一度も言い出さず一人で乗り越えれたのは、お母さんお父さんを誰よりも愛しているからです。こんな辛い毎日であっても一度も諦めようとしなかったのも、お父さんお母さんは私達兄弟3人を育てることが、今の私の就職活動よりもっともっと辛かったはずだと考えたからです。これからも就職活動はまだまだ続きますが、私は最後まで諦めずにお母さんお父さんのためにもやり抜くつもりです。どうしても期待に応えたいです。
 お母さん、お父さん、私が卒業後も側にいてあげられないのは本当に申し訳ないですが、その分頑張りますのでどうか許してください。日本に留学してからバイトでもらった給料の一部を毎月送っているのは、側にいてあげられなくても、そして世話してあげれなくても、せめて、お母さんお父さんが欲しいものだけは買ってあげたい、と考えたからです。卒業後日本で就職してもらった給料をできるだけ送って、お母さんお父さんが少しでも楽で豊かな生活が送れることが、私の最初の夢です。だからこそ、厳しい日本社会の中でも、頑張って生き残ることを決めたんです。
 お母さん、現在日本では、とても残念なことに、親が子供を殺したり、子供が親を殺したりと、とても悲惨な事件が日々起きています。私は、なぜ日本ではこんなに悲しい事件がこれだけ数多く起きているのだろうと、疑問に思いました。「日本人は皆、働き蜂と言えるほど仕事を熱心に頑張る。そして世界のどこの国民より、とても礼儀正しい素晴らしい国民だ」と私は思っています。ではお母さん、これだけ素敵な日本人の親子の間に、想像もできないほど悲惨な出来事がよく起きるのは、家族の絆やお互いの愛情表現がうまく伝えられてないからではないかと私は考えているのですが、お母さんはどう思いますか?どうすれば、この問題が解決できるようになりますか?私は私が大好きな日本に、経済的な面だけではなく、幸せな人生を送るのにとても大切な心の面でも、豊かになってほしいです。
 最後になりますが、お母さんお父さんに、ずっと伝えたかった大切な言葉を心からお伝えします。「お父さん、お母さん、恥ずかしくてなかなか言えなかったけれど、私が生まれる10ヶ月前から苦労してくれて、生まれてからも20数年間にわたって大切に育ててくれて、そして何より、ミャンマーより9倍物価の高い日本という国へ留学させてくれて、本当に、ありがとうございます!将来、日本とミャンマーの架け橋になれるよう頑張りますので、これからも応援お願いします。それでは、お元気で!!」

PAGE TOP