優秀賞

「蝶を追いかけて」

工学部生物工学科2年次 田口 誠(たぐち まこと)

審査員講評

 蝶や面白い先生に出会ったときの新鮮な気持ちが素直に表現され、清々しい読後感がありました。多くのエッセイが自分の社会的存在感を求めた延長線上に自分の職業をイメージした作品が多い中で(それ自体は尊いものですが)自分の夢の中に、自らの未来、あるいは職業を考えたもので、若者らしくほっとした気持ちにもなりました。また、若者の興味と教師との出会いがもたらす連鎖反応が、いかに若者の夢を増幅させるかを実感させるものであり、教師にとっても示唆に富む作品でした。あらゆる機会をとらえて積極的に疑問をぶつける筆者の前には、これからもきっと次から次へと未知の世界が広がっていくものと思います。でも色んな角度から蝶を観察したらどうでしょうか。
蝶が大変な苦労をして移動するのか不思議ですね。もし、“どうしてそんなか細い身体で海を渡るエネルギーをつくることができるのだろう”と問いかけたとしたら、そこには無限のバイオの世界が広がっていたでしょう。

作品内容

「蝶を追いかけて」 田口 誠

 私は10年後、昆虫、特に蝶を研究する研究者になりたいです。昆虫や植物の生態を少しでも解明し、その成果を環境保護に役立てたいと思います。そして、未来に美しい地球を残したいと考えています。

 私は高校一年生から蝶の採集を始めました。身近に生息する蝶でもとてもきれいな種類がたくさんいました。そのため、採集を始めてからすぐに、この趣味のとりこになりました。

 春になるとカタクリの花にやってくるギフチョウや、幾何学的な模様が美しく、金や銀色の鱗粉がキラキラと輝くツマグロヒョウモン、鮮やかな紅色のベニシジミ、真っ白い雪のような翅を持つウラギンシジミ、クスノキの樹上を素早く飛び回り、透けるような青色の翅をしたアオスジアゲハ、黄色の地に青い鱗粉が光り輝くキアゲハ、まるでいろいろな宝石をちりばめたように見事なカラスアゲハ、ヒオドシチョウ、アカタテハ、コムラサキ・・・・・これらの蝶を採集したときの喜びは、他のどんな趣味よりも大きいものでした。
 今までたくさんの蝶と出会ってきましが、中でも私が一番思い出に残っている蝶はアサギマダラです。この蝶は暖かくなると北は北海道まで移動し、寒くなると南は台湾まで移動します。いわゆる渡りをします。このような変わった習性を持ち、大型であさぎ色の透明な翅をした美しい蝶です。そのため、一度観察したり、採集したりしたいと思っていました。しかし、標高の高い所を移動するため、なかなかその姿を見られませんでした。機会が訪れたのは高校二年生の秋でした。この蝶を研究している他の高校の先生と一緒に、マーキング調査をさせてもらいました。マーキングとは、蝶の翅にマジックで、採取者名、日時、場所を記録する作業のことです。これにより他の研究者が別の地域で同じ蝶を採集した際、どこまで飛んで移動していったのかがわかります。私がこの蝶に始めて出会えたのは、山道を移動している車の中からでした。「いた!」 そう叫んだ私は慌てて車から飛び降り、アサギマダラのいる方向へ夢中で走って行きました。アサギマダラはしばらくフワフワと上空を舞っていましたが、こちらのけはいに気づいたからか、次第に遠くへ離れていきました。あさぎ色の翅が、まるでステンドグラスのように地面に青い光を反射させていて、とてもきれいでした。私はしばらく不思議な感動に包まれていました。幸い、この日は別の場所でたくさんのアサギマダラをマーキングできました。残念ながら私のマーキングしたアサギマダラは再捕獲されませんでした。多くの研究者によって、今ではアサギマダラが数百キロ移動することが確認されています。私はなぜこの蝶が大変な苦労をして移動するのか、とても不思議に思います。京都産業大学構内でも、北上する7月と南下する10月にアサギマダラを観察できます。私は授業の移動の際、何度も目撃しました。その度に私は昔の感動が蘇り、胸が熱くなります。

 これほど好きだった蝶も、京都産業大学に入学した当初はすっかり興味を失っていました。もちろん、大学で昆虫学を専攻したいと考えていました。しかし学校の勉強が大嫌いで、志望していた大阪の大学には行けませんでした。化学や生物、古文、地理など、なぜこんなにつまらなくて社会で役に立たないことを、一生懸命覚えないといけないのかわかりませんでした。学校の勉強ができたからといっていったい何になるのか?私は受験勉強に費やした時間を、もっと蝶を観察したり採集したりする時間に使いたかったです。何とか京都産業大学の生物工学科に入学したものの、授業はほとんど興味がありませんでした。パソコンが苦手で、コンピューター演習はついていくのがやっとでした。専門の生物でも、覚えた知識はすぐに忘れるし、「本当に俺はアホなんじゃないのか」と、悩みました。私は音楽も好きで、家では毎日ギターばかり弾いていていました。「ギターが学べる専門学校か音楽大学に進学すればよかった」そう考えていました。
 しかし、そんな想いを変える出来事が起こりました。生物工学科の教授で、テントウムシの斑紋の変異を研究している先生に出会えたからです。先生は蝶もとても好きで詳しい人でした。一年生の夏休みに入る前、自分の興味のある研究室を訪問する授業がありました。先生の研究室を訪問した際、先生から「君はいつでも研究室に遊びに来なさい」と言われました。それからよく先生の研究室に足を運ぶようになりました。研究室に行くと、先生はいつも蝶の話をたくさんしてくれました。私は自分で本を読みながらほとんど独学で蝶の勉強をしてきたので、先生からいろんな話が聞けてとても楽しかったです。例えば、蝶を卵から採集し成虫になるまで育てたり、まだ私が図鑑でしか知らない蝶を採集したりした話などです。先生は、たかが大学一年生で、蝶に関してほとんど何の知識もない私によく質問されました。私は正確な答えがほとんど返せませんでした。自分の知らないことは何でも質問する先生に、「自然科学者って謙虚だなあ」、「大学の教授でも知らないことはいくらでもあるのだなあ」と感じました。何より、自分と同じ興味を持つ先生がいることが本当に嬉しかったです。

 よく晴れた日の昼下がり。新緑がまぶしい初夏の鞍馬山。私は先生と、ウスバシロチョウを採集しに花背へ行きました。車でドライブしているだけで、とても心地よかったです。ウスバシロチョウは私も先生も採集したことが無く、二人とも期待に胸を膨らませていました。ウスバシロチョウは寒冷な地域にしか生息していないため、京都では標高の高い地域でしか見られません。蝶は植草の回りをゆっくりと飛んでいたので、あっさり採集できました。図鑑で見ると、単に翅が白いだけのつまらない蝶でした。しかし、実際に観察してみると、たくさんの薄黄色の鱗粉で覆われていて本当に美しかったです。「本で学ぶだけでなく、実際に自分で観察して学ばなければならない」と、あらためて感じました。

 夏休みには、京都大学で蝶を専門に研究している教授に、個人的に授業を受けました。実験で、京都大学から京都産業大学に教えにきている先生に紹介してもらえたからです。実験では、カイコの解剖をしたり血液の細胞を調べたりしました。カイコ(蛾)は絹を生産するため、昔から昆虫の中で最も研究されていています。また、蝶と同じ鱗翅目と呼ばれるグループに属します。蛾と蝶は、昼行性と夜行性、触覚、飛び方などで便宜的に区別されています。しかし、蛾の中にも昼間活動するものがいたりして、生物学的な区別はありません。私は実験中にカイコを眺めているだけで大満足でした。生き物の神秘を感じずにはいられませんでした。ある日の実験が終了した後、おもいきって先生に質問しました。内容は、「カイコにはたくさんの品種があるけれど、実験では何を使用しているのか?」、「実験で観察した鱗翅目に特有の細胞は、なぜその機能がいまだに解明されていないのか?」、「カイコ(蛾)や蝶は、どういうことがまだよくわかっていないのか?」などです。先生はニコニコと微笑みながら、私の質問に付き合ってくれました。質問と無関係な昆虫の話もしました。最後に先生は、今度来るときに、いろいろ専門書を持ってくると約束してくれました。しかし、次に会ったとき、「蝶を専門に研究している教授を紹介するから、よかったら夏休みに京都大学に来ないか」と、誘ってくれました。私は二つ返事で「行きます!」と答えました。
 京都大学はキャンパスがとても広くて、歩くのも大変でした。待ち合わせをしている建物に向かう途中、立派な理学部の校舎を見て、「おお、すげー」と思いました。しかし、探していた建物の前に到着するともっと驚きました。あまりに古くてぼろい建物だったからです。それでも中に入ると、外見と異なり、清潔感にあふれていたので安心しました。建物が汚れているのは、それだけ歴史が古いのだと思います。紹介してもらえた教授は化学生態学を専門に研究しておられました。現在研究されている内容や研究課題を詳しく話をしてもらいました。蝶の系統図を見て、形態的によく似ている蝶が、実はとても離れているのを知り、驚きました。先生が学生の頃、発見したことをすぐに論文にせずにいると、他の外国の研究者に先に論文を書かれてしまった、という失敗談も話をしてくれました。発見した話を周りの人に話しても、誰も信用してくれなかったそうです。それで、論文が書けなかったそうです。先生は蝶の化学防衛や、寄主選択を研究されていましたが、蝶でもまだ研究されていない種がたくさんあることを知りました。身近に生息している蝶でもわからないことだらけなのだとわかりました。私は将来、化学生態学の研究をする決意をしました。

 私は毎日、日常生活のあらゆる場面でいろんな昆虫と出会います。自転車に乗って移動している最中や、駅の構内を歩いているとき、授業で移動するとき。ときには教室の中でも。その度に私は、つい観察してしまいます。観察しているというより、自然に目に入ってくるというほうが正しいでしょうか。蝶のようにきれいなものや、ゴキブリのように気色悪いもの、毒を持つもの、血を吸うもの、糞に集まるもの、美しい旋律を奏でるものなど、本当にたくさんの種類の昆虫がいます。毎日昆虫を観察していると、不思議なことに少しずつ、今まで見逃していた昆虫が見えてきます。きれいな昆虫を見つけたり、今まで見たことがない昆虫に出会ったりすると、ちょっと嬉しくなります。私は昆虫と出会ったときの小さな感動を大切にしていきたいです。
 私は学校の勉強が優秀な人でも、あまり自然そのものを見ていないように思います。生物は教科書で勉強するより、実際に生き物を観察するほうがよほど勉強になります。昆虫は、「生物とは何か?」を考えさせてくれる最高の教材です。大人も子供も、名誉や利益にとらわれて、心の余裕や豊かさが失われているのかもしれません。私は地位とか名誉とか世間体とか、そういったものにあまりとらわれずに勉強していけたらいいな、と思います。
 私は将来、蝶の研究者になりたいです。しかし、私は、研究者である前に人間でありたいと思います。これからは専門分野を究めつつも、なんにでも興味を持ち、いろんなことに挑戦していきたいです。

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