入賞

「見てきたもの、見えているもの、見ていきたいもの」

外国語学部ドイツ語学科 1年次 内田 貴子(うちだ たかこ)

審査員講評

 何になりたいか、どんな職業に就きたいか、それは社会の中でどのような役割を果たしたいかということである。確かに、職業は、それによって生活の糧を得るためのものであるが、情熱をもって自分の力を尽くすことができるには、それがなりたい自分、就きたい職業だからである。作者は、「アイバンクコーディネーター」という職業に就きたいという思いを深くしたが、それでよいのか、実際にそれが実現できるかどうか、冷静に見極める目をもっている。大学1年生の目に、「見てきたもの」「見えているもの」「見ていきたいもの」が素直に語られている。行動しつつ考える姿勢の向こうには、きっとなりたい自分、就きたい職業が現実のものとして見えてくることであろう。

作品内容

「見てきたもの、見えているもの、見ていきたいもの」 内田 貴子

 「アイバンクコーディネーターになりたい!!」そう思ったのは中学2年生の時だった。きっかけはたまたま読んだ本に、視力を失った人(レシピエント)と自分の死後に角膜を提供してくれる人(ドナー)の架け橋となるこの仕事に就いて頑張っている人の話が載っていたからだ。24時間体制で大変な仕事だが魅力を感じた。高校入試のときの面接練習で「じゃあトラック運転手についての本を読んだらトラックの運転手になっていたのか?」と面接官役をやってくださった先生に聞かれたが、そんなわけがない。今までほぼ直感で生きてきた私が「これだ!!」と感じ、やりがい、興味がわいたからこの仕事に就きたいと夢みた。

 私はすぐにアイバンクに問い合わせた。コーディネーターになるためにどんな能力、資格が必要なのか聞き、家に届いた資料をじっくり読み、「資格は特に必要ない。英語力があると有利だ。」と知った。英語は元々興味があったため、商業高校の国際経済科という主に英語を学ぶコースに進学した。英語を使った仕事もいいと感じたがやはり中学からの夢が諦めきれずにいた。

 夢に向かっていろいろ勉強していた傍ら、私はその他の活動を通して刺激的な日々を送っていた。「一生生きている中で、学生生活はほんの一部分にすぎない。それなら今しかできないことを思いっきり楽しみたい。後悔はしたくない。」それを念頭に置き、何事にも積極的に取り組んだ。小学生からやっていたバドミントンを部活も含めて11年間続け、中学、高校では生徒会活動、ボランティア、ホームステイ、学祭実行委員、応援団、趣味のギターを活かしてバンドを組んでライブ等・・・今思うと毎日何かに取り組み充実感を得て、また、様々なことを学んできた。

 大学進学を決めていた私は京都産業大学を受験することを決めた。京産を選んだ理由は、TOEIC講座があること、設備が整っていることなど、魅力的なことばかりだったからだ。学力には自信は無く、筆記試験で受かるかどうか高校3年生の春、不安に陥っていた時に担任にAOという入試方法があるのを聞き、今まで様々な活動を通して得たことなどを活かし、見事合格できた。面接は緊張したが、人と話すことは得意であり、質疑応答も苦ではなく、むしろわくわくした。やはりこれまでの経験が自分を成長させてくれたのだろうと嬉しく思った。

 受験が一段落した後、また将来について考えた。「アイバンクコーディネーター」は「臓器移植コーディネーター」の中の一つである。他にも「腎臓、脳、肺、心臓」と、それぞれの臓器に対してコーディネーターはいて、その仕事内容もほぼ同じである。それなのに「角膜」にこだわったのは本にたまたま載っていただけではない。高校での二つの体験がさらに「眼」に対する気持ちを強くしたからだ。

 一つ目は高校でバドミントンの部活中、試合をしていた時にシャトルが至近距離で左目に直撃したことだ。激痛が走り、一時的に左目は真っ白な世界しか見えなかった。「今無理して運動したら左目は見えなくなる可能性もある。」と言われ本当に怖くなった。片目が見えなくなっただけで大好きなスポーツができなくなる、バイトもやめなければならない、今後大きなハンデとなると思うと悲観せずにはいられなかった。そして片目が見えないだけでどれだけ生活が不便か身をもって体験した。遠近がつかめず、ボトルのキャップを閉めるだけでもたつき、外へ出ると車との感覚が分からず歩くことが怖かった。「両目が見えない人はどれだけ大変な思いをしながら生活をしているのだろうか」、今まで「生活しづらいだろう」という漠然とした考えしかなかったのだが、その考えがどれだけ浅いかを思い知らされた。一週間ほどで幸い目は完治したが、今の周りの環境が目の見えない人たちにとってどれだけ不便なのか少しだがはっきりわかるようになった。点字ブロックが整備されている歩道の少なさ、音声案内の不備など、ここでは語りつくせないほど実際はまだ障害者に優しい社会ではない。盲導犬もまだまだ少なく、盲導犬育成の資金も足りない。問題は山積みだ。それなのに政府は健常者中心の社会を淡々とつくっていく。決してこれは平等ではない。

 二つ目は高校で出会った大切な人が、いつ視力が一気におちて失明するかわからない状態でいることを知ったときである。その人は今も普通に目が見えて生活しているのだが視力は決して良くない。その病気は現代の医学で治るものではないことを知った。もし他の眼球に対する病気が角膜を移植して治るのであれば、多くの人が喜ぶだろう。そして、その周りの人も大いに喜ぶだろう。しかしまだまだドナーの数は少ない。認知度も低い。人一人を救うのは容易なことではない。でも大切な人が今後もずっとこの世界をしっかり見て、生きてほしいと願う。これは皆の願いでもある。

 今の私にできることは何だろうか。まずは自分が「臓器提供意思表示カード」を持ち、意思の記入、サイン後、親の承諾も得た。自分が死んだ後も誰かの身体の一部となって役に立つ。このことがどれだけ嬉しいか。今はこれだけしかできないがこのことが後世に残ると思うと満足だ。

 大学でも臓器移植についての関心はつきなかった。それと同時に夢も持ち続けていた。生命倫理に関する授業では「臓器移植」に対する様々な考えを学ぶことができた。臓器移植は決していいことばかりではない、などと賛否両論だということを知り、自分の考え方がどれだけ偏っていたかを思い知らされた。アイバンクコーディネーターになった場合、ドナーの家族の方と接し、ドナー本人の意思を家族に伝え、最終的に家族の判断で移植を行うかどうかが決まる。本人が移植の意思を持っていても家族が拒めば移植を行うことはできない。そのときコーディネーターは説得することはできない。やはり拒むことに家族の意思、理由があるからだ。赤の他人が踏み込める領域ではない。自分の価値観を押し付けて協力を頼まれても困るだけだ。この授業を通して人の「死」と「生」について考えることができた。決して本を読むだけでは得られないことを大学で学べた。「本当にこの京産を選んでよかった。」素直にそう思える。

 関心のあることだけに対して学ぶのはやはりもったいない気がして、中学、高校の時のように積極的に取り組んでいる。寮で生活を始め、多くの人たちと出会い、毎日笑顔で過ごしている。そして寮のメンバーで「サギタリウス・チャレンジ」に応募した。学生のやりたいことを大学側が支援してくれるプログラムだ。昨年も寮生が募って企画、実行したことを聞いて、寮生でいる今しかできない事だと思い参加し、意欲のあるメンバーが集まり毎晩遅くまで企画を練った。企画内容は「少子高齢化が進む中、自分たちが今後何ができるのかを考えたい」ということを目的とした子供たちとお年寄りたちのふれあいの架け橋となれるような企画だった。私はじゃんけんで負けてしまい責任者となった。しかし今まで生徒会や実行委員で企画、実行は慣れており、高校で身につけたパワーポイントを使ったプレゼンテーション、会計能力を試してみたかった。皆で試行錯誤の末プレゼン内容も決まり、パワーポイントでいかにわかりやすく簡潔に伝えるか、質疑応答に即座に答えられるか、そのことを考えると緊張もしたが興奮もした。プレゼンは無事終わり、パソコンを操作し終えて退室する私にある先生が「技があるね」と褒めてくださった。それだけで私は本当に嬉しく、誇らしかった。休日に一人パソコンに向かってパワーポイントのスライド画面を作成した疲れがふっとぶほどだった。企画は見事採用され、実行に移された。この企画は幼稚園児とお年寄りと関わる企画であるが、個人的に子供が苦手だった。自分が末っ子だということもあり、どう接すればいいか困り、なつかれた記憶も無いので「子供には嫌われる」と思っていた。しかし実際ふれあってみると子供たちは、慣れないことばかりでとまどう私に協力してくれたり、一緒に遊んだり、たくさんのことを話してくれた。苦手意識を勝手に持っていただけなのだと恥ずかしくなった。先入観にとらわれていただけだったのだ。人間頑張ればどんなことにでも適応できるのではないかと単純な頭で考えた。

 サギチャレの企画を運行していく中で目上の方々と接する機会が多くなり、礼儀も今まで以上に気をつけた。また、保育士や介護福祉士の方々と話をすると、現場ならではの大変さがひしひしと感じられた。大変な仕事でも楽しくやりがいのある仕事だから続けられるということを教えられた。

 「オンオフキャンパスフュージョン」というインターンシップに向けての授業も希望して、選考を経て受講できることとなった。夏休み中に「私の仕事館」へ行ってレポートを作成するという課題が出された。そこで「職業適性判断」といういくつかの質問に答えた後自分に合う職業が紹介されるというパソコンをつかったシステムを利用した。私に向いている職業の中に「臓器移植コーディネーター」はマイナーな仕事過ぎてでてこなかったが「プランナー」という企画立案する職業が結果の中にあった。確かにサギチャレで企画内容、プレゼン内容が評価され達成感を得たとき「こういう仕事もいいな」という風に感じた。自分にはまだまだできることがあるのではないかと思うほどだった。(ただの自信過剰にすぎないのだろうが・・・)ただ、適性があってもある程度仕事をこなすことはできるがやりがいは感じられないと思う。だから働くことに対して必要なのは「適性」ではなく「意欲」だとクラスの皆の前でプレゼンした。そして内容を聞いて感動してくれた友がいた。私はそれを聞き、聴いてくれる人がいて真剣に考えてくれる人がいることの幸せを感じた。

 今までは「アイバンクコーディネーター」にこだわりすぎていた部分があった。しかしもう少し視野を広げていきたいと思った。夢を持ちつつ、ほかの職業、やりたいことも考えてみて様々なことに取組んでいきたい。

 将来結婚はしたいが仕事をバリバリやりたいので子供を欲しいとは思わない。養育費の分を盲導犬育成のための資金として寄付したい。そして啓蒙活動をして臓器移植について多くの人に知ってもらい、臓器移植を普及させていき、たくさんの人が助かって幸せになってほしい。このような私の考えを「偽善」と思う人もいる。しかし私は高校で片目が見えなかったとき今まで見えなかったものが見えた。それは「今までどれだけ多くの人に支えられながら生きてきたか」ということだ。それが心の目ではっきりみえた。視覚障害者にとって盲導犬は家族同然だ。自分を支えてくれる大切な存在がどれだけ貴重か実感したからこそ、「皆にも幸せになってほしい」という思いがある。うそ偽りの無い私の本心だ。

 私には医療技術はなく、直接目の見えない人を助けることはできない。しかし他の形で支えていくことはできると信じている。もしもアイバンクコーディネーターになれなかったとしても自分にできることはしていきたい。

 将来のために何ができるか。まずは今しかできないことをまず頑張ること。今までの多くの経験を活かしていくこと。可能性を信じること。何事に対しても意欲を失わないこと。学生でいることの楽しさ、大切さをふまえて将来を考えていくこと。そして今自分がどれだけ多くの人に支えられ幸せに生きているかを忘れないこと。

 人を幸せに導ける人間になれるように、目で見えるものだけではなく、心の目を決して閉じずしっかり見て受けとめ、感謝することを決して忘れない。今私が見ていきたいと思うものは自分と皆が幸せに生きている姿だ。

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