入賞

「無職」

法学部法律学科 4年次 木村 悠里(きむら ゆり)

審査員講評

 「人間万事塞翁が馬」という中国の諺がある。人生には、何が幸福のもとになるか、不幸のもとになるかわからないという喩えである。木村さんの作品では、大学の薬学部中退という苦い挫折体験と目標喪失が逆にバネとなって自分を見つめ直し、新たなキャリア・デザインが芽生えるさまが、時にユーモラスにしかも達意の文章で描かれている。22歳での大学再入学ではあったが、持ち前のひたむきさで色々なことに果敢にチャレンジし、これまでのように無自覚ではなく、自律的に自らの将来を考えられるようになった。多くの人に出会い、図書館でさまざまな書物に触れ、先生との邂逅があり、一つの道が拓かれた。今後も勉学を続けるという選択である。木村さんの大学院進学が実り多いものであらんことを切に祈りたい。

作品内容

「無職」 木村 悠里

 「じゃあ、これで退学の手続きは終了です」。大学の事務員さんに退学届けと学生証を提出し、私は大学の建物から出ました。まだ桜はつぼみで、くすんだ空の青が寒々しかったことと、春休みの学校の閑散とした様子を今でもよく覚えています。その日、突然私は無職になっていました。
 高校の進学クラスから一浪、大阪にある大学の薬学部に進学し「これで将来安泰だね」とたくさんの人に祝ってもらった、わずか二年後のことです。高校時代の「私のキャリアプラン」では、今頃は調剤薬局でのんびり働いていたはずだったのですが。
  「さて明日からどうしようか」。退学届けを大学の事務室に提出したその日、途方にくれました。資格欄、空白。職歴、空白。将来の見通し、無し。やりたいこと、挫折済み。
 自分の将来像もまったく描けないのに、私は突然「社会人」にカテゴライズされる存在になっていたのです。半年ほど続けたアルバイトも、退学届けを出した日にはすでにやめていたので、本当に何もしていません。昼ごろに起き、ぼーっとした後、夜はインターネット漬け。今で言うNEETです。
 たまに友達と会うこともありましたが、相手には仕事や学校があります。平日の昼間からいつも一緒に遊べるような人は、そういません。生活は自然と引きこもりがちになっていきました。
 あのどうしようもない感じを表現するのはとても難しいです。
 大きな、真っ白の模造紙に「地平線」を一本引きます。そしてそこに、丸と線で小さなヒトガタを書いたのを想像してください。私の気持ちは、そのヒトガタの気持ちに似ています。何処に行ってもいいといわれても、どこに向かえばいいのかわからない。目印がないから、行き先の違いがわからない。目標もないから、方向がわからない。
 中学・高校と大学受験を目標に勉強をメインにすえた生活をしていたので、職業についての知識をつける機会はほぼありません。まして就職活動などには、全く縁がなかったのです。
 いまさら、やめた大学がその後の面倒を見てくれるわけが無く、高校に頼るには卒業から時間がたちすぎていると感じていました。この世の中に「ハローワーク」なるものが存在していることは知っていましたが、何処に行けばいいのか、またどうすればいいのか連絡をつける方法もわかりませんでした。
 そのころの私は、本当に世間知らずでした。映画を一人で見る方法を知らないと気づいたときに、自分でも「これはやばいやろ」と思ったことを覚えています。
 そうして私は、「仕方が無いから、もう一度大学に行こう」と思いました。当時の私は、他に道を知りませんでした。大学退学時点で既に21歳。それから進学のために勉強しなおし、すぐに受かっても卒業時の私の年齢はなんと26です。それでも、一人ぼっちで家に引きこもっているよりは、いくらかましだと思いました。
 まず、社会人入学という道を考えてみました。しかしすぐに無理だとわかりました。アルバイトは「職歴」に入らないのです。たいていの社会人入学には必ず数年間の職歴が必須とされていました。「これは無理だ」と線を引きました。
 受験対策で最初にしたことは「センター試験の願書をもらいにいくこと」です。受験は3度目でしたが、上げ膳据え膳の勉強しかしてこなかったので、センター試験の願書をどこで配布しているのかがわかりませんでした。高校時代と一浪目時代の入試は大学側があちこちに願書を置いてくれたり、予備校や高校が相談にのってくれたりと、非常に恵まれた環境の下で行われていたのです。
 何もかも一からするのは、非常に面倒くさいです。模試のスケジュールを調べ、講習のパンフレットを集め、申し込みは朝から電話に貼りついてもとれません。しかも、うっかりすると願書を入手できないのです。宙ぶらりんな自分がいやで、夏まで限定でアルバイトをしてしまったのが、忙しさに拍車をかけていました。
 ところが逆に、そういう環境の下で目標を「大学入学」にすえたことは不思議な力をくれました。たぶん久しぶりに、「自分で決めた自分の道だ」と思えたことが大きかったのでしょう。私は21歳で大学をやめるまで、特に誰から強制されたわけでもないけれど、自分で選んだわけでもない道を歩いていたように思います。
 22歳での大学入学はそれ自体が冒険的要素を含んでいました。大学に入ってから馴染めない、友達が出来ないリスクも上昇します。その上、以前の大学退学の原因には自分の学力不足が大きく絡んでいました。授業の進度が速く、ついていけなかったのです。このことは大学進学にあたって、メンタル面で一番悩んだ点です。仮に入学できても卒業できなければダメージは2乗です。二度も大学を退学したら、もう立ち直れないだろうと思っていました。
 大学選びは、(1)大きな大学であること、(2)家の近くにあること。この二点に絞りました。大きな大学は人が多いから、多少珍しい経歴の人でもどこか受け入れてくれるところはあるかもしれないということから。家に近いというのは、学校に行くのが辛くなったときの負担が出来るだけ軽くなるようにと。入学時点で既に5年生を経験する可能性まで考慮していたので、学費負担をできるだけ軽くしたかったからです。
 この条件を満たしていたのが、京都産業大学でした。
 実際(1)の読みは大当たりでした。とにかく人だらけ。入学当初は何処に行っても人がいることに驚いていました。逆に一人になりたいときは、ひとりになれるような場所もあったりして、とても居心地がいいと感じました。また先生方と学生と距離が近いことも不思議でした。先生といえば、研究室に訪ねていかなければ会えないものだったのに…。
 入学してから気づいた大きな大学の魅力のひとつに、図書館もあります。違う分野の専門書は背表紙を眺めているだけですが、少しドキドキします。本は自分の知らない世界がまだまだあること、そして、この大学のどこかで、これを勉強している人がいることを教えてくれます。
 本だけではありません。大学4年間、いろいろな学部の人に知り合う機会がありました。理系の人、文系の人、外国語を勉強している人、海外に行く人、資格を取る人、アルバイトに燃えている人、クラブにはまる人、考えてみれば数え切れない人と会いました。こんなに目標の違う人が同じ場所にいるということが、私にとっては目新しいことでした。
 そして就職活動にあたって、私はやっぱりこけました。一度失った目標を取り戻すのはそう簡単ではありません。高校時代には「手に職を付けよう!薬剤師になろう、調剤薬局で働こう」と思っていたのですが、前の大学を中退した時点でその目標は白紙になっていました。京都産業大学に入学した時点の私の目標は、「とにかく大学を卒業しよう」になっていたのです。ある意味崖っぷちの私に、その先を考える余裕はありませんでした。
 ある意味、予定調和的なコケです。が、人が多いというのは偉大なことでした。進路が就職だけでなく、様々あることが徐々にわかってきたのです。進路センターでぐちり、バイトの先輩に相談し、ゼミの先生と話し、気が付けば、「大学院がある」ということになっていました。
 もちろん大学院に進んだからといって、その先が保証されるわけではありません。それでも、一歩一歩が自分で歩んだ道です。21歳で大学をやめて、私は「私」になりました。その延長の上でもう少し勉強ができるなら、私はもっとたくさんのことを知りたいと思っています。
 前の大学の退学願いを出してから、私は、自分の限界というものと向き合わざるをえない状況にありました。アルバイトのころ、昇進も雇用保険もないのに税金を払い、将来の見通しも貯金も無く、目の前にある労働をこなしているだけの日々でした。
 それは自分の決めた希望がかなう日が来る可能性は、かぎりなく低いと思いながら生きている日々でもあります。世界の全員が、「願いはかなう」と歌っても、私だけは信じないと思っていました。そして多分、もうしばらくは、そんな風に生きているように思います。
 でも、ひとつはっきりとわかったのは、目標は驚くほどたくさんあるということ。模造紙の真ん中で、私は自分の顔に目がないことに気づいていませんでした。
 一番の願いがかなわなくても、生きていけます。ほかの事はできるようになるのです。選んだ道を歩むことは出来ず、また倒れてしまうこともあるでしょう。でもそこで私の人生が終わってしまうわけではありません。私は、そこから動き出すだろうし、そうするしかない。そうして、動いた先で、意外とそれなりに生きていけることを学びました。
 以前の大学では授業についていけず、退学してしまった人間でした。正直卒業まで5年かかると思っていました。それが、無事に4年過ごすことができ、あまつさえ、大学院の試験に合格することができました。年齢は少し違うけど、でも友達ができたり。映画を一人で見に行ったり、自動車を運転できるようになったり。あいかわらず「願いがかなう」かどうかはわからないけれど、少しづつ自分の出来ることはわかるようになってきました。
 世の中は不思議です。とりあえず、「願いをかなえる」だけが人生ではないようです。

PAGE TOP