優秀賞

「たくましく温かい人に」

文化学部国際文化学科 4年次 堀 みどり(ほり みどり)

審査員講評

 人間誰しも、若い時には一度ならず「青春の蹉跌」とでもいいうる体験をするものである。堀さんの作品には、陸上競技部在籍時の過食と拒食を繰り返す摂食障害という壮絶な体験が赤裸々に語られている。自虐的といえるまでの筆致で、苦悩と絶望に打ちひしがれた等身大の自分の姿がありのままに描かれている。最終的には陸上を断念するという挫折を体験しながらも、筆者は陸上教室のコーチとして子供たちを指導したり、摂食障害体験者からの励ましに助けられた体験から、将来は同じ障害をもつ人たちの手助けをしたいと考えるようになった。挫折を体験したからこそ、また病気を克服したからこそ、堀さんの「たくましい人になりたい」、「こころ温かい人になりたい」との言葉が読者の胸をうつのであろう。

作品内容

「たくましく温かい人に」 堀 みどり

 私は、摂食障害に悩む人を助けたい。

 私の大学生活は悲惨だった。しかし、私は、その一つ一つを書き留めておきたいのだ。それは、書くことに大きな意味があると思ったから。
 私は、駄目だった自分を隠して生きていきたくない。弱い自分をそのまま、周りの人に知ってもらいたい気持ちが、このエッセイを書かせたのかもしれない。
それだけじゃない。自分の経験を公開することで、摂食障害に悩む人を助けられるかもしれない。たくさんの人に、この病気について知ってほしい。また、この病気と闘っている人を理解してほしい。

 私が京都産業大学に興味を持ったのは4年前。当時、陸上競技長距離に夢中で、走ることが楽しみで高校に通っていた私は、全日本大学女子駅伝で4連覇を果たした実績を持つ“京産大陸上競技部”に憧れていた。そして、陸上競技に打ち込みたいという思いのもと、受験校を京産大だけに絞った。

 京産大で陸上ができる喜びをかみしめて憧れのグランドに向かったのは、合格発表から2週間後の3月3日。練習は予想以上にきついものだった。けれど、嬉しくて、楽しくて、走れることが幸せだった。

 ある日、体が軽く、ふわっと宙に浮いたように走れたことがあった。どこまででも走っていけそうな不思議な感覚だった。入部して1週間あまりで、体重を6キロ減らし、体脂肪率を11%にまで落とした私は、体重が減れば減るほど、体脂肪が少なければ少ないほど、この不思議な感覚で走れるのだと思ってしまったのだ。
 その誤った思い込みが、後に私を泥沼に突き落とすことになろうとは、このとき、考えもしなかった。

 入学式の1週間ほど前、合宿の疲れとストレスで落ち込んだことがあった。何も食べられず、力がでない。ご飯を見るだけで吐き気がする。食べたくない。
 大学生活が始まった5月、病院に行くと、「肝機能障害」と診断された。体がぐったりしているのも、食欲がないのも、そのなんとかという病気のせいだったのだろうか。
 走ることを禁止され、部屋にこもってばかりいる日々は辛かった。1ヶ月ほど休んでから、再び走り始めた。

 夏の合宿では、また楽しく走れるようになった。しかし、私に異変が起こったのもこの時期である。食べた物のカロリー、飲んだ物の水分量、発汗量の程度、体重の増減、体脂肪量の変化を、こと細かく記録するようになった。何か食べるときには、いつも頭の中でカロリーを計算し、口に入れたものを後で出す習慣もついた。
 食事や体型に、異常なほど神経質になり、痩せていることが人生の成功と考えるようになった。

 体脂肪率が9%になったとき、私は嬉しくて仕方がなかった。走りに関しては、まったく成長していないのに。私は、体重と体脂肪率の減少を自分の成長ととらえていたのかもしれない。数字に表れ、これほどはっきり自分を評価できるものが、他に、なかったからだろう。それ以来、体重が私の気分を支配し、一日の大半を体重、体脂肪、食事のことを考える時間に費やされるようになっていった。

 相変わらず、肝機能障害は治らなかったが、私にとっては、どうでもよかった。ただ、体重さえ落ちれば満足だった。それなのに、夏が終わる頃から、食べたい欲求が抑えられなくなっていったのだ。
 その欲求は、突然やってきて、これまで必死になって、積み上げてきたものを奪ってしまった。過食が続けば、体重10キロくらいは簡単に増える。それは、私にとって、何より辛いことだった。しかし、絶食と、限界に近い運動をすることで、一気に体重がもとに戻ることが分かった私は、その後、何度もそんなことを繰り返した。

 しかし、とうとう自分をコントロールできなくなり、過食をするたびに、一生治らないのではないかという絶望感と、どうにかしなければならないという焦りとの葛藤のなかで、大量の下剤を飲み、浣腸薬を乱用して、気分を紛らわせるようになっていった。その影響で、手足のしびれや激痛が、よくあった。

 誰にも打ち明けられず、ひとりぼっちだった。
 泣きながら、精神科を訪れたのは、大学1年生の冬。
 「摂食障害」「うつ病」と診断された。もらった薬を飲んでも、過食の衝動を抑えられない。しかし、大量の抗うつ剤が吐き気を促すことを知った私は、それを何度も利用した。その後、狂ったかのように食べ続けることが、ますます多くなった。

 スーパーの袋2〜3つ分くらい余裕で食べられる。パン5個、コロッケ3個、ポテトチップス2袋、アイスクリーム1箱、クッキー2箱、からあげ1パック、ケーキ5個、シュークリーム5個、板チョコ5枚、だんご8個・・・とにかく食べる、食べる。

 「食べるのをやめたい」と思っても一度始まった衝動は、抑えることができない。自分ではどうしようもなかった。私はその衝動が来ることを、いつも恐れていた。まるで、自分のニセ者が、本物の私を、こらしめているような感じだった。

 大学2年生の4月、70キロを目前とした大きな体になった私は、こっそり陸上部から離れた。もう限界だった。寮を出て、実家に戻り生活しながらも、過食から逃げられなかった。一生逃れられないという絶望感。
 その頃、学校に行くのが苦痛だった。惨めになった私の姿が、窓ガラスに映るときが一番辛かった。自分の姿を受け入れられなかった。人に会うのも嫌で、できるだけ人と関わらないように生きて行きたいと思った。
陸上の話はしないように気遣っていた家族も、友人も、私はもう陸上を辞めたと思うようになっていった。しかし、私にとって、あれほど好きだった陸上を、こんな訳の分からない病気のせいで辞めるなんて納得がいかなかった。

 ここから、病気を克服して、選手として大活躍していけたら・・・
 何度もそんな空想にふけった
 が、現実は、うまくいかなかった。

 大学2年生の夏、私は母校を訪れた。太って走れなくなった姿を後輩に見せる屈辱ははかりしれなかったけれど、もう一度走れるようになるためには、走る楽しさを知った高校のグラウンドで練習するしかないと考えたのだ。
 半年間、練習を積んで、大学3年生になる頃には、大学の陸上部に戻ったが、もう前のように楽しく走れることは一度もなかった。病気も治らなかった。
 そして、その年の冬、陸上を完全にやめた。

 やめて後悔するくらいなら、我慢してでも最後まで続けようと考えていたが、とうとう我慢できなくなっていた。やめても後悔しないだろうと確信して決断したのだ。どうやら、その決断は正しかったようで、あれから一度も後悔していない。

 摂食障害・・・これは今、急増している心的障害であるが、そのわりには、社会的な認知度が低い。食べる量が極端に少なくなる「拒食症」、食べる量が極端に多くなる「過食症」、これらをひっくるめて「摂食障害」と呼ぶ。これは、病気なので、本人の意思で食事制限をしているのとは違う。

 過食してしまうとき、いくら食べても満たされないのは、心が満たされていないから。心の欲求は、食べ物では満たされない。私がいくら食べても、自分の意志でやめられなかったのは、心の悲鳴を食べ物で満たそうとしていたからなのだ。周囲の理解と協力によって心の平穏を取り戻すことが、病気を治す方法だと分かったのは、最近になってからである。
 私は、過去の挫折をひきずってばかりで、自分に自信が持てず、何事にも消極的になっていた自分を変えたかった。
 その第一歩として、京都市内の中学校で開かれた交流会に参加した私は、中学生や大人たちに摂食障害についての話をした。その後、小学校でのインターンシップに参加し、今は、陸上教室のコーチとして子どもたちと一緒に走っている。
 何でもないようなことでも、私にとっては、ものすごく勇気のいる体験。それらを通して、私は少しずつ自信を取り戻してきたのだ。
 最初は自信がなくても、「できる」という勢いが、「できた」という自信につながった。

 陸上をやめて1年が経つが、私は決して、あの辛かった日々を忘れてしまいたいとは思わない。挫折したということが、今の私の財産となっているからだ。確かに、失ったものにこだわっていた時期はあった。でも、失ったもののかわりに大切なものを得たことを、素直に嬉しく思うのである。
 “人を思いやり感情移入できるようになった”ということ。

 摂食障害に悩む人の助けになりたい。私の苦しみをやわらげてくれたのは、精神科医でもカウンセラーでもなく、実際に摂食障害を経験した人が立ち上げたホームページ上のサイトや、その運営者からの励ましのメールである。同じ病気を経験した人にだからこそ、打ち明けられることもある。
 医学的な治療や心理学の知識ではなく、分かってあげたいと思う心が、摂食障害の患者をどれほど助けるか、私は知っている。そして、何より身近にいる家族、友人に、病気のことを理解してもらうこと、受け入れてもらえるという安心感を得ることが、一番大切なのだ。自分の居場所ができると少しずつ回復していく。
 私の場合、それがなかなかできなかった。どう思われるのか怖かったのだ。助けてほしいのに、それが言えない。病気のことを打ち明けるには、勇気がいる。でも、打ち明けられたら、すごく楽になるのだ。
 このようにして、病気を克服していった私は、告知することが回復の第一歩だと理解している。悩んでいる人が、その一歩を踏み出す、その手助けをしたい。

 人に言いにくい病気だからこそ、もう大丈夫といえるようになった私に、できることがある。それは、普通の女性として正直に書いた体験談を、たくさんの人に読んでもらうことだ。摂食障害についての理解が広まれば、何千人もの人が安心できるはず。
 今、私にできるもう一つのことは、ゼミでの研究を進めることだ。個人的な興味で始めた「摂食障害とスポーツ文化」についての研究は、完成したら、インターネット上で公開したいと思っている。 私にできることの範囲を、少しずつ広げていきたい。

 大学生活を通じて、感じたことがある。
 何でも自分で選択できる時代に生まれた私たちにとって、どちらの道を選ぶかどうかが大事なのではなく、それよりも、自分が選んだその道で、どう生きていくかが大事なのだということ。選んだ道で、失敗したからといって、その道を選んだことを悔やんでいては前へ進めない。
 私は、失敗を強さにして生きていける、たくましい人になりたい。
 そして、人のためにできることを考えていける、こころ温かい人になりたい。

 摂食障害を経験できてよかった。

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