入賞

「21歳、新たな出発」

法学部 法律学科 1年次 木村 純子

審査員講評

 「人生、道草の勧め」と言ってもよいのかもしれない。 21歳で大学生となった木村さんの体験談は、「人より遠回りした」ことが決してマイナスではなく、様々なチャレンジ、出会い、煩悶、心の葛藤を経てむしろ人間の幅を広げるとともに、何よりも彼女の将来の方向をしっかりと思い定める上で大きな力となったことを示している。 エッセイは、省察をふまえたモノローグであり、また巧まずして優れた人生論ともなっている。 三年後、木村さんが本学で掴み取ったものを礎に、社会へと大きく羽ばたいてほしい。

作品内容

「21歳、新たな出発」 木村 純子

 私は現在21歳で、大学一年生である。といっても二年間、浪人生活を送っていたわけではない。21歳という年齢は現在、大学三年生であったり、短期大学を卒業して新社会人になったばかりであったり、既に社会で働いている人達が多いだろう。でも、私は21歳、大学一年生である。そして、この京都産業大学は私にとって自分自身との闘いの場である。

 誰もが、自分の進路や将来について悩む時期が人生の中で一度はあるだろう。私も高校三年生の時、その壁にぶつかった。私の高校はいわゆる進学校で生徒の約9割は大学・短期大学への進学を希望していた。その頃の私には大学に行って、これを勉強したい!と思うものが特になかった。私はずっと興味があった探偵という職業に就くための学校に行きたかった。だが、母には話す勇気がなく流されるまま大学受験のための塾に通った。高校三年生の夏を過ぎた頃から、校内では受験話が飛び交うようになった。「ここの大学は偏差値が高い」や「やりたい事がないから、とりあえず大学受験をする」「本当はこの大学に行きたいけど、こっちの大学の方が就職率は良い」など。私は毎日、繰り返されるこんな会話にうんざりしていた。高校生の時点で将来の目標が決まっている者の方が少ないので、とりあえず進学して自分のやりたい事を探すというのも一つの考えだろう。世間でよく耳にする、‘良い大学を出て良い会社に就職する’ために進学するのも一つの考えであろう。でも私は、やはり自分の進みたい道に進む事を決意した。受験も差し迫った頃、私は大学受験をする事をやめた。当然、母とは衝突した。私は私なりに考えて受験をやめたのだが、母は受験の苦しみから逃げたかっただけだと、とらえた。わかってもらえなくて、とても辛かった。数週間、母と私の間に険悪なムードが漂っていた。最後に折れたのは母の方だった。「大学に行きたくなったら何歳になっていても行くよ。」という私の言葉に、母は「その時は今よりも、もっと勉強しないと合格できないよ。」という言葉を残した。

 高校卒業後、私は探偵学校に通った。年齢層も、上は50代から下は18歳というバラエティにとんだクラス構成だった。一般の人には知り得ない事を、たくさん学んだ。その中で、憧れだった職業の嫌な面や汚い面も見えてきて、表面的な部分しか見ていなかった私には精神的にも肉体的にも辛い事が多い学校だった。だが、それを乗り越えた私は少し成長した様に思う。探偵学校を卒業後、私は不定期の探偵アルバイトもしていたが、主には居酒屋でアルバイトをしていた。いわゆるフリーターだ。毎日、好きな時間に起きて好きな時に遊んで、アルバイトをする。そんな生活だから、時間がたくさんある。もう一度、自分が今、何をしたいのか考えてみた。・・・やっぱり、将来的には探偵になりたい。でも法律の勉強もしてみたい。そして、私は法律の専門学校に行く事にした。

 法律を勉強するなら何か難しい資格に合格して自信をつけたいと思い、行政書士コースのある学校を選んだ。私の入った行政書士と公務員U種コースは、クラスの大半が公務員を目指している人達ばかりだった。毎日の勉強量は、半端じゃなく多かった。毎日、顔を合わすのは同じクラスの人達ばかりで、交わされるのは同じ様な中身のない会話ばかり。資格取得に向けての要点だけの勉強。クラス内では、20歳を越えた大人がイジメをしている。担任の先生は、なにかにつけて「そんなんじゃ、公務員にはなれません」という言葉を毎日話す。この学校に2年間、通うと資格も取れて就職も決まるかもしれない。でも2年後、私は勉強しかできない頭でっかちで視野の狭い人間になっている様な気がした。

 私は、もっと周りから色んな事を吸収して、自分の可能性を広げてみたいと思った。「大学に行きたい」初めてそう思った。たった三ヶ月で専門学校を中退。またしても、母親と衝突した。今回は姉、兄も加わって一斉攻撃だ。毎日、毎日、母との話し合い。姉からは「たった三ヶ月で学校を辞めると、この先、何をやっても中途半端な子になってしまう。」「大学に行っても絶対、また辞めてしまう。」「今から大学に行ったら卒業する時には24歳。そんな年でどこの企業が取ってくれるの?!」と、怒り責められ続けた。姉や、兄が怒るのも無理はない。姉や兄が、怒って反対しているのも私の事を真剣に考えて心配してくれているからだという事もわかっている。私の家は母子家庭で、母には金銭面でとても迷惑をかける事になるからという理由もあるだろう。だが、それは少し置いても、姉の言った言葉にはどうしても納得できなかった。学校を途中で辞めた人間は、中途半端な人間になってしまうのだろうか?学校や、会社を途中で辞めても次の道でがんばっている人達がこの世の中には大勢いるだろう。大学に入ったら企業に就職しなければならないのだろうか?大学に行っても絶対また辞めるなんて事をなぜ、言い切れるのか?私には、その言葉の全てが信じられなかった。だが、伝えたい気持ちを上手く表現できない自分のせいで、最後まで私の気持ちは姉達には伝わらなかった。理解してもらえない悲しさで、毎日泣き続けた。ご飯もろくに食べず、大好きな家に帰る事も苦痛な毎日だった。母は、最終的には私の考えを理解してくれ、大学受験を応援してくれた。この時、私は改めて母の偉大さ、心の広さを実感した。私も将来、こんな母親になりたいと思った。

 高校生の時に母に言った、「大学に行きたいと思ったら何歳になっていても行くよ。」という言葉通り、私は20歳で受験生になった。周りの友達の多くには「絶対、受からない」と言われた。たった半年間しか時間がない上に、高校を卒業してから長い間ブランクがある。それに、受験をするのは初めてだ。もし落ちたら・・・受験が近づくにつれて、重いプレッシャーが私を襲った。応援してくれる人達の「がんばれ」の言葉が余計に重く感じた時期もあった。高校生の時、周りの受験生が感じていた辛さを自分が受験生になって初めて、実感した。そんな中、受験直前に、反対していた兄が携帯電話のメールで応援メッセージを入れてくれた。それがとても嬉しかった。陰で支えてくれている人達がいる。だからがんばれる。そして、私はこの京都産業大学に合格する事ができた。

 大学に合格して、様々な人にお祝いの言葉をもらった。周りの人達が、よくがんばった、すごいね、と誉めてくれた。だが、ただ一人、姉だけには「おめでとう」の一言すら、もらう事はできなかった。京都産業大学まで、私の通学時間が片道2時間はかかる。そのため、姉が「片道2時間なら絶対長続きしない。」と母親に言ったのを間接的に聞いた。仲のよかった姉、兄と私の間に見えない壁のような物ができてしまったように感じる。学校を途中で辞めた事、大学に入学した事、その中で本人が悩み苦しんだ過程があったとしても姉には学校を辞めたという「結果」、大学に入ったという「結果」しか見てもらっていないように思う。それならば、私はこの京都産業大学を4年間きちんと通い、卒業しよう。今は、姉に何を言っても信用がないと思うので私は何も話さない。4年後、大学を卒業して初めて姉に認めてもらえる様な気がする。そして、あの時の姉の「途中で辞めたら、この先も中途半端な人間になる」「絶対、大学も辞めてしまう」という考えが間違っている事を証明しようと思う。だから、この京都産業大学は私にとって自分自身との闘いの場なのだ。

 京都産業大学に入学して数ヶ月、私の生活はとても充実している。法律の勉強も自分のペースで深く追求する事ができるし、法律以外にも興味のある一般教養の勉強もできる。私は現在、司法研究会という部に所属しているのだが、そこでできた仲間は、私のとても大切な人達である。一緒に勉強をしたり、色んな事を語り合える。楽しい時には一緒に笑い、辛い時には話を聞いてくれて支えてくれる。今、本当にこの京都産業大学に来てよかったと思える。私は、人よりも遠回りして大学に来た。でもその事を少しも後悔はしていない。むしろ、よかったと思っている。遠回りした二年間の中で様々な人と出会い、色んな話を聞き、自分自身を見つめ直す事ができた。高校三年生の、あの時、流されるまま大学に進学していたら、きっと私はなんとなく大学に通い、なんとなく授業を受けていたことだろう。京都産業大学の学生の中でも、中身のない学生生活を送っている人が多いのではないだろうか。授業中に友達と話をしている人、一人じゃ不安だからと友達と同じ授業を受けている人、単位の取りやすさで科目を選んでいる人、もう一度、自分自身を見つめ直してみてほしい。自分がなぜ大学に来たのか、大学で何を得たいのか。大学という場所は、自分次第で今後の人生の中で最高の場所になり得る所だと思う。

 私はこの京都産業大学で、もっと色んな事を知って、もっと色んな事を吸収して大きくなりたい。そして、大学卒業後に自分自身の学生生活を振り返ってみた時に、自信を持って誇れる何かを手に入れている人間になりたい。京都産業大学、ここは私にとって自分自身との闘いの場でもあり、新しい出発の場でもある。

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