入賞

「目指せ、かっこいい大学!」

経営学部 経営学科 2年次 田中 昇太郎

審査員講評

 世の中には、時に「ハッピーなめぐり合い」というものがある。 たしかに、田中君の本学との邂逅もそうであったのであろう。 だが、同君の本学との出会いとその後の学生生活は単なる偶然の結果ではなく、彼の積極的なアプローチと果敢な行動力が創り上げた所産である。 東京出身の若者がどのようにして「産大に惚れ込む」までに至ったのか、その経緯が若者らしい筆づかいで熱く語られている。 京都産業大学について尋ねた受験生に対して、本学を「何かに夢中になっている人が多い大学」と形容した田中君の紹介を、教職員として非常に嬉しく思う。

作品内容

「目指せ、かっこいい大学!」 田中 昇太郎

 究極の大学とは、どのような大学であるのだろうか。京都産業大学に入学してから、この疑問を考える機会は少なくなかった。

 私と京都産業大学との出会いは高校3年生の5月だった。商業高校に在籍し、自分の進路を就職から進学へと変更し、様々な大学を調べていた。私は東京出身であるが、大学に進学を決めた時点で、東京を離れようと決心していた。大学4年間をそれまで18年間暮らしてきた東京で過ごすのと、全く別の場所で過ごすのでは、後者の方が人生を面白く彩ることが出来そうというだけの理由であった。当時、私は産業大学という名前にとても魅かれていて、日本全国の産業と名の付く大学を調べてリストアップしていった。その中でひときわ輝きを放つ名前の大学があった。それが京都産業大学であった。

 8月に単身京都にのりこみ、京都産業大学のオープンキャンパスに参加した。東京では私の周りにいる人に、この大学を知る人はほとんどいなかったし、自分の人生を4年間預ける大学と京都の街を資料やインターネットだけで決断するには躊躇があった。自分の目で見て、肌で感じて最終的に決断しようと考えていた。オープンキャンパスに参加して、この大学は学生が主体となって頑張ることを応援する大学という印象を受けた。入学後に自分が何かをやりたいと考えた際に、それを実現できる環境だと感じた。学生主体のオープンキャンパス、ゼミ生による体験授業、そして、後にゼミで教えを乞うことになる山田昌孝先生との運命的な出会いが、私に京都産業大学への入学を決意させた。その後、私は京都産業大学に合格し、2002年3月31日、巨きな希望を胸に抱き、京都洛北の地に足を踏み入れた。

 一人暮らしの経験もなく、関西についてもまったく無知である私は、下宿先として京都産業大学の学生寮である追分寮に入寮した。追分寮は一つの部屋に二人で暮らすのが良くも悪くも特徴的であるが、入寮を控えた新入生の誰もが部屋の相方との共同生活を一番気にする点であると思う。しかし、追分寮での共同生活は非常に楽しいもので、一言で言えば「異文化コミュニケーション・イン・ジャパン」であった。相方は熊本から来た九州男児であり、同じ班には北海道、岩手、石川、静岡、三重、京都、兵庫、広島と日本全国から情熱的な猛者が集まった。各地方の方言の戦いや、食文化、遊び、街、考え方など一気に私の世界が広がった。それと同時に、一人一人が持つ個性を発揮し、互いに刺激し合い、関西に全く知人がいなかった私にとって寮の仲間は家族同然であった。東京を離れ、追分寮に入寮したことで私は様々なものを得ることが出来た。特に、共同生活するうえで大切なのは最低限のルールを守ること、つまりそれは互いを尊重し合うことに気がついた。皆、それぞれの性格、考え、個性、生活観を持っている。しかし、それを否定するのではなく事実として受け止め、そこからどうしていくかを考えることが大事である。さらに、そのことは寮の中の共同生活だけでなく、寮を離れた家族、学校、友達など自分を取り巻く社会全体に対しても大切な意識なのだと気づかされた。それと同時期にSMAPの「世界にひとつだけの花」という歌に出会い、歌詞の内容が自分が感じていたことを表現していて、私はこの歌を大好きになった。後に、神山祭で“様々な考え方や捉え方の存在に触れてもらう”というコンセプトのもと、お笑いの有名人を招いた企画を行うことになるのだが、その企画の背景にはこの寮で私が感じたことが大きく影響していて、エンディングテーマとして「世界にひとつだけの花」を使用することになるのだが、それはもう少し後の話である。

 大学生活が始まり1ヶ月が過ぎた頃、志学会執行委員会の行事である新入生歓迎ウェルカムコンサート2002に参加した。これは毎年、新入生歓迎の意を込めて有名なゲストを呼びコンサートを行う企画で、そのときのゲストが興味のあるゲストであったので非常に楽しみにしていた。コンサートは非常に盛り上がり、私もかなり楽しんでいた。コンサート終盤になってふと、京都産業大学への入学を決意してからコンサート当日に至るまでの様々な思い出が頭の中を走馬灯のように駆け抜けた。頭の中を様々な思いが駆け巡る中で、ひとつの言葉が私の心の中で大きく響いた。

「産大に来てよかった!!」

 それまで、自分がこの大学を選んでよかったのかどうか迷うことは少なくなかった。寮での大切な仲間との出会いなど、楽しいと感じたことは度々あったが、そのコンサートで感じた言葉は、それらとは大きく異なりはっきりと自分で実感できるほど、強く巨きく私の心に響いた。その瞬間、私は京都産業大学を初めて心の底から好きになることが出来た。

 ウェルカムコンサートに参加して私は自分だけでなくもっと多くの人やこれから入学してくる後輩たちにも「産大に来てよかった」、「産大が好きだ」と感じて欲しいと考えるようになった。そして、志学会執行委員会の門を叩き、実行に移そうと思った。それほど、私が「産大に来てよかった」と感じたことは、私に巨大なエネルギーとパワーを与えてくれた。

 執行委員会での活動の日々は本当に楽しく、辛く、嬉しく、悲しく、非常に充実した毎日になった。そして、何より執行委員会に入ることで京都産業大学の人々に数多く出会えたことが、今となっては一番の宝である。多くの人々に支えられ、多くの人々に教えられ、そしていつの間にか、多くの人々を好きになっていた。多くの人を好きになればなるほど、その人たちに京都産業大学をより好きになって欲しいと思うようになっていた。

 執行委員会の活動は、学生の声に基づいて京都産業大学をより良い大学にしていくことである。その中で活動しているうちに、ゴールはどこにあるのかを考え始めた。つまり、究極の大学とはどのような大学かを模索しつづける日々が続いた。どれだけ考えても自分で出した答えは、自分で納得のいくものではなかった。そうしているうちにひとつの答えにたどり着いた。反対に最悪な大学とはどのような大学かを考えるようになった。その結論として、その大学にいる全ての人がその大学を大嫌いと感じていたら、それこそが最悪の大学なのではないかと考えた。逆説的に、その大学の全ての人がその大学を好きだと感じていたらその大学こそが究極の大学なのではないかと。つまり、京都産業大学にいる人が全員、京都産業大学を好きだと感じていたら、京都産業大学は究極の大学となるのではないか。その結論を信じて執行委員会で活動してきた。

 私は京都産業大学が大好きである。大学が好きというのはどういうことか。私の場合は京都産業大学にいる人々が好きだということである。どんなに教学面、施設面その他様々な面で優れていたとしても、私に知り合いがいなければ楽しくも何ともないのだと思う。この大学に来て、多くの人と出会うことになった私は本当に幸せだと思う。京都産業大学を好きになる理由や要因は一人一人それぞれだと思うが、産大生一人一人が京都産業大学を好きになるためにそれぞれの努力や意識をもって日々を過ごしていれば、ちょっとずつ究極の大学に近づいていくと思う。

 学生自治会の中枢である執行委員会で活動してきた私なりの究極の学生自治を定義付けると、学生がそれぞれ京都産業大学を好きになれるように、クラブでも友達でも勉強でも何でも良いから、夢中になる事だと思う。私の独断と偏見によると意識しているかどうかは分からないが、そんな人が多い大学であると思う。

 現在、受験生に京都産業大学を紹介するアルバイトをしている。受験生に「京都産業大学ってどんな大学ですか。」と聞かれる事が多々ある。そんな時、私は「何かに夢中になっている人が多い大学」と答えている。何かに夢中になっている人はかっこいい。そんなかっこいい人が多く存在する京都産業大学もかっこいいんじゃないかなと、そんな風に思っているのは、もしかしたら私だけではないのかもしれない。もっともっと京都産業大学がかっこよくなってくれるのを、頭の中で想像しながら自然と笑顔になっている自分に気づいていた。課外活動棟から歩いていると目の前にそびえる、光輝く10号館を見つめながら。

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