進化と品種改良の鍵 遺伝的多様性—品種改良によって生態系を守る—

総合生命科学部 生命資源環境学科 野村 哲郎 教授

品種改良によって生態系を守る

 犬は品種改良によってオオカミから生まれたことはご存知でしょうか。しかし、チワワやプードルとドーベルマンや土佐犬が同じオオカミという一つの種の子孫だというのは、信じられないという人もいるかもしれません。なぜ、そんなことが可能だったのでしょうか?その鍵を握るのは、遺伝的多様性。テントウムシや黒毛和牛の遺伝的多様性に詳しく、現在はマルハナバチの品種改良に取り組む、野村哲郎先生にお話をお聞きしました。

歴史を変えたアイルランドのジャガイモ

 地球上の生物は、さまざまに変化する自然環境の中で、その変化に応じて進化を繰り返し、途絶えることなく生命の営みをつないできました。それを可能にしたのが遺伝的多様性です。

 例えば、私の研究対象の一つであるナミテントウというテントウムシには、背中の星が2つのもの、4つのもの、斑のもの、紅地に黒い星のもの、紅一色のものなどさまざまな模様が見られますが、これらは全て同じ一つの種です。このように、同じ種の中においても遺伝子の違いによって多様性が生まれることを、遺伝的多様性と呼びます。

 遺伝的多様性は、種が環境に適応して生きのびる上で、または人間が生物の品種改良を行う上で、非常に重要になります。

 遺伝的多様性を失った場合の顕著な例が、19世紀にアイルランドで起きたジャガイモ飢饉です。当時のアイルランド人にとって主食であるジャガイモが、たった一度の病気の流行により全滅。200万人以上が死亡、多くの人がアメリカやイギリスに移り住みました。元アメリカ大統領J.F.ケネディはこの移民の子孫であり、まさに「歴史を変えた大飢饉」と呼ばれています。

 ジャガイモはクローンによって増えていきますが、当時アイルランドで栽培されていたジャガイモは全てたった一種のジャガイモのクローンで、遺伝的に均一だったのです。そのため、全てのジャガイモが同じ疫病にかかってしまったのです。もしもこの時、アイルランドのジャガイモに遺伝的多様性があれば、疫病に抵抗力のあるものが生き残り、飢饉の被害を食い止めることができていたかもしれません。

 同様の危機に直面しつつあるのが黒毛和牛です。1990年代以降、黒毛和牛の品種改良において遺伝学の利用が急速に進みました。ある雄牛の遺伝子が鮮やかな霜降りを作ることがわかると、その牛の精液をたくさん採取してさまざまな雌牛と交配させ、霜降り牛をたくさん生むことが可能になったのです。

 しかし、少数の優秀な遺伝子を長年にわたって利用した結果、2000年代以降に生まれた黒毛和牛の半数以上が、たった5 頭の雄牛の精子を利用して生産されるようになりました。黒毛和牛の遺伝的多様性が急速に失われているのです。

 現在、黒毛和牛の優秀さは霜降りの鮮やかさですが、近年の健康志向などから人々の嗜好が変化してくれば、和牛も霜降り重視から変えなくてはなりません。そのため、さまざまな性質を作り出す和牛を残しておき、将来の品種改良に備えることが急務になっています。

 幸い、アイルランドのジャガイモとは違い、全ての和牛の遺伝子が全く均一になっているわけではないのが救いです。現在、全国和牛登録協会と協力して、さまざまな雄牛の遺伝子の採取・保存を進めています。それによって遺伝的多様性を確保し、更なる品種改良に取り組もうとしています。

 遺伝的多様性というのは、生物の品種改良にとって、欠かせないものなのです。

北海道が直面する在来種の危機

セイヨウオオマルハナバチ

 近年私は、遺伝的多様性とそれを利用した品種改良を通じて、ある重要な問題の解決に取り組んでいます。その問題とは、北海道の生態系が、なんとたった一種類のハチによって破壊されているという事態です。

 そのハチは、セイヨウオオマルハナバチという本来は北海道に存在していなかったハチです。それが今では北海道全土に生息し、生態系を脅かしています。セイヨウオオマルハナバチが北海道に生息するようになったのは、花粉の運び手として非常に優秀なため、1991 年ごろから、外国からを取り寄せてハウス栽培のトマトなどの花粉交配に利用し始めたことがきっかけでした。

 セイヨウオオマルハナバチは、確かに植物や野菜の花粉交配には貢献しました。しかし、強靭で繁殖力も強かったために、野外に逃げだしたハチがすぐに生息地を拡大し、他の生物の生存を圧迫し始めました。

 生態系には、多くの「パートナー関係」があります。全く異なる生物種が、お互いの習性を利用することで生存を維持しているのです。蜜を提供するハナと花粉を運ぶハチの関係がまさにそうです。

 このパートナー関係は、片方が絶滅してしまうと、もう片方の生存も脅かされます。花粉を運ぶハチがいなくなれば、ハナは受粉できなくなって子孫を残すことができません。セイヨウオオマルハナバチが勢力を拡大させることで、在来種であるエゾオオマルハナバチが圧迫され、彼らとパートナー関係を結んでいる植物を絶滅の危機へと追い込んでしまうのです。

 現在、北海道の各地でセイヨウオオマルハナバチの駆除活動が行われています。そして、花粉交配においても新たな手段が求められています。

生態系への影響が少ない品種を生みだす

エゾオオマルハナバチ

 そこで現在、私が取り組んでいるのが、エゾオオマルハナバチを品種改良することで、北海道の生態系を壊さない優れた花粉の運び手を作り出そうという試みです。

 エゾオオハナマルバチは室内飼育が可能で、働きバチをたくさん生むことから、セイヨウオオマルハナバチに対抗できる品種を作ることができるのではないかと期待しています。

 現在、京都産業大学の飼育施設において、実際にエゾオオマルハナバチの品種改良の実験を行っています。私の本来の専門はコンピュータを利用した品種改良のシミュレーションですので、実際の品種改良には難しさを感じますが、同時にやりがいと楽しさも覚えます。

 今までの研究や黒毛和牛の問題などを通じて培ってきた、遺伝的多様性や品種改良に関する知識と経験を生かして、北海道の生態系の回復に貢献したいと思っています。

キリンの首とダーウィン

 ダーウィンは、著書『種の起源』において、生物の進化がどのようにして起こるのかについて基本的な考え方を示しました。キリンの首を例にして考えてみましょう。首の短かった祖先のキリンが、高い枝の葉を食べようと努力して首が長くなり、それが子孫に伝えられたから今のキリンができあがったと考えるのは間違いです。正しくは、祖先のキリンの中には、首を長くする遺伝子や短くする遺伝子などさまざまな遺伝子があった(つまり、遺伝的多様性があった)と考えます。木の高いところの葉も食べることができる首の長いキリンのほうが有利なために、首を短くする遺伝子は長い時間をかけて少しずつ「ふるい」にかけられて、ついには今のような首の長いキリンができ上がったのです。

 もし祖先のキリンの中に首の長さについて遺伝的多様性がなかったら、今のようなキリンの姿は見られなかったでしょう。このように、進化にも遺伝的多様性は不可欠なのです。

アドバイス

 高校生のうちから、ぜひ「マクロ」な視点を持つことを意識してもらいたいと思います。

 現代では、科学をはじめ、あらゆることの細分化・専門化が進んでいます。その中で、特定の分野を「ミクロ」に見ることを得意とする人が増えてきました。その一方で、物事をマクロに捉えられる人が減っているように思います。

 マクロな視点を持てる人は、これからの社会において重要になっていきます。私が専門とする生物学も、一見細かな研究が中心となりそうな分野ですが、マクロな見方というのが実はとても重要です。

 総合生命科学部には、自分の専門分野における「ミクロな視点」と、物事を大局的に見る「マクロな視点」の両方を磨くことができる環境があります。今後の社会で重要な人間になっていくことを目指している方は、ぜひ進学を検討してみてください。

総合生命科学部 生命資源環境学科 野村 哲郎 教授

プロフィール

農学博士。専門は、動物育種学、集団遺伝学、統計遺伝学。少年時代を琵琶湖の東の豊かな自然に囲まれて過ごし、さまざまな生物に興味を持ち、魚釣りや昆虫採集に明け暮れる日々を送った。コンピュータを利用した遺伝や品種改良の理論の構築が研究の中心である中で、自ら現地に赴きフィールドワークも精力的にこなす現在の姿勢は、そんな少年時代に培われた。新設されたミツバチ産業科学研究センターのセンター長を務める。滋賀県立彦根東高等学校OB。

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