ウイルスという微視的(ミクロ)なものを見つめる巨視的(マクロ)な目
—目に見えない微細なものが現実的な脅威になっている—

総合生命科学部 動物生命医科学科 前田 秋彦

目に見えない微細なものが現実的な脅威になっている

 日本では、ウイルスの怖さを実感する場面はそれほど多くはありません。しかし、旅行者を中心に、毎年数百人のデング熱患者が発生するなど、それは決して他人事ではなく、また、記憶に新しい鳥インフルエンザの問題など、感染症の発生は、私たちの生活に大きな影響を与えます。獣医という立場から、ウイルス研究やワクチン開発などに携わっている前田秋彦先生にお話を伺いました。

日本にはいないウイルスを研究する理由

 私は研究者であると同時に獣医でもあるので、その立場から、特に人獣共通感染症、つまりヒトにも動物にも感染するウイルスについて、おもに研究しています。

 本来ウイルスは、人なら人、鳥なら鳥と、同じ種の間にしか感染しないのですが、何かのタイミングで突然に変異し、他の種にも感染するようになり、大きな被害をもたらします。しかしこれらの感染の仕組みについては、正直まだ分かっていないことが非常に多いのです。

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ウエストナイルウイルス(WNV)と日本脳炎ウイルス(JEV)の
ウイルス様粒子の培養細胞への感染実験

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 また感染症には、もともと「風土病」という側面があり、ある特定の地方でのみ発生する感染症だったものが、交通機関の発達によって、人の行き来が活発になり、遠く離れた場所に何らかのルートで運ばれ、新たな地で爆発的に流行する、ということが現実に起こっています。私の研究対象にも、もともと日本にはいないウイルスがたくさんあります。

 例えば、もともとアフリカの風土病で、その後アメリカで流行したウエストナイルウイルスや、目や口、腸などの粘膜から出血させ、少ない量でも人を死に至らしめるエボラウイルス、それから日本でも毎年数百人の患者を出すデングウイルスも、本来日本にいる訳ではなく、その多くは東南アジアへの旅行者によってもたらされるものです(もちろん、日本脳炎ウイルスなど、日本に存在するものについても研究しています)。

 なぜ日本にいないウイルスの研究をしているかというと、先述のように人の移動がワールドワイドになると、それまで考えられなかったような感染症が日本で発生する可能性があること、もう1つは地球温暖化の影響によって、今まで日本には存在しなかったウイルスが、少しずつ存在範囲を広めてきているということです。

    例えば蚊が媒介するウイルスであるデングウイルスは、その多くが東南アジアに存在しているのですが、温暖化により蚊の生息範囲がどんどん北上し、その結果日本で大流行する危険性をはらんでいます。

 また日本脳炎ウイルスについても、これを媒介する蚊は、これまで本州以南にしか生息していなかったのですが、温暖化の影響により北海道にもその範囲を広げる(あるいは既に広げている)可能性があり、そうなると北海道の人たちは日本脳炎に対する免疫を持っていないため、大きな被害を及ぼす可能性があります。

治療よりも予防を―ウイルス研究の難しさ

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  ウイルスというのは非常に厄介な存在で、例えばウイルスに感染しても発病する人としない人がいる場合があります。これには遺伝的な問題が絡んでいる、という説があります。また種類によっては、潜伏期間が非常に長く、感染してから発病するまでに数年かかることもあり、そうなると感染ルートを特定するのは非常に難しくなります。

 それから、例えばウイルスによって熱が発生した場合、それは高熱によってウイルスを退治しようという体の反応の表れなので、そういう人に熱を下げるような治療を施すのは逆効果になります。また、ウイルスによって下痢が発症した場合、それは下痢をすることで、悪いものを体外に出そうとしていることが考えられるため、この場合も無理に下痢を止めようとするのは逆効果になります。このようにウイルス感染症の治療は非常に難しいのです。

 ウイルス治療に関しては、さまざまな薬が開発されていますが、薬の開発はどうしても後追いですから、1つの薬が開発されると、ウイルスが変化し、薬に耐性を持つウイルスが誕生するなど、根本的な解決にはなりません。

 そこで大切なのが「予防」という観点です。予防に関して一番よいのは、もちろんウイルスに感染しない丈夫な体をつくることですが、これはあくまで理想論で、個人差もありますから非現実的です。そのために、ワクチンを接種し、免疫をつくっておく、ということが重要になります。

 ワクチン開発で、どうしても問題になるのが「副作用」です。ワクチンの中には現実に副作用をともなうものがあり、中には死者が出てしまったケースもあります。しかし、危険性ばかり取り上げて、ワクチン開発が滞れば、さらに大きな被害が出る可能性があります。多くの人の命を救う、という観点から、われわれ研究者にとって、副作用のない、安全なワクチンの開発は大きな課題です。そのために基礎研究が非常に重要であり、ウイルスがどこにいるのか、感染ルートは……といった地道な研究を日々積み重ねなければなりません。

ウイルスの起源と人間の進化

 私が現在一番関心を持っているのは、一言で「ウイルス」と分類していながら、なぜこれほど多くの種類のウイルスが存在しているのか、とういう点です。実はウイルスの中には、病気を引き起こさないものもあるなど、その種類は多く、またその性質は多様です。

 例えば、レトロウイルスという、人間の細胞の遺伝子とよく似た遺伝子を持つウイルスがありますが、人間の細胞内にはそのレトロウイルスが入り込んでいるのです。レトロウイルスは、それが外から入ってきたものなのか、それとも、もともとわれわれ人間の体内にあったものが、外に飛び出してウイルス化したのか、その起源は定かではないのですが、現実に人間の体内にレトロウイルスは存在していて、人の進化を早めたり、あるいは場合によってその進化を抑制するなど、コントロールをする働きをしているのではないかと考えられています。

 ウイルスの起源は、謎の多いウイルスの中で最も謎の部分ですが、植物、動物、人間、これらの進化の過程で、何らかの情報の受け渡しがおこなわれ、そのシステムからウイルスが発生したのではないか、という説があります。

 このようにウイルスの中には人間にとってプラスになる存在もあると考えられます。未知の部分の多いウイルスではありますが、現代を生きる私たちは、ただやみくもにウイルスを恐れるだけでなく、上手に付き合っていくことも必要なのではないか、と思います。

天然痘は絶滅していなかった

 絶滅したウイルスとして語られることの多い天然痘ウイルス。WHOは1980年に根絶宣言を出しましたが、実は天然痘ウイルスは絶滅していませんでした。というのも、アメリカとロシア(当時ソビエト連邦)が軍事的な研究のために保持していたからで、特にソビエトが解体した際、世界中のさまざまな国に持ち出されたと言われています。

 天然痘は、1980年以前に生まれた人はワクチン接種をしているので、感染の心配はありませんが、1980年以降に生まれた人は接種をしていないので、万一日本に天然痘ウイルスが入ってきた場合には、大きな被害が出る恐れがあります。そこで厚生労働省では、ワクチンの備蓄を検討しており、私もその研究・開発に関わっています。

アドバイス

 私は過去、研究のためアメリカに渡りましたが、そこでは、日本で勉強した英語はほとんど役に立たず、苦い経験をした記憶があります。しかし、だからといって、積極的にコミュニケーションをとらなければ、何のために留学したのかわかりません。苦労はしましたが、失敗を恐れず、前に進んだことが、今にとても活きていると思っています。ですから、みなさんも、失敗を恐れずに、何事にも積極的に取り組む姿勢を忘れないようにしてほしいですね。

 将来、私の研究室に入ってくれる学生さんに対しては、個人的にはそのまま研究の道に進んでほしいな、という希望を持っていますが、本学科を卒業すれば、社団法人日本実験動物協会の認定する「実験動物技術者」の試験を受けることができ、この資格を取得すれば、さまざまな方面で役に立つと思います。また卒業後の進路としては、食品メーカーや製薬メーカーに就職するという道もあるでしょう。

総合生命科学部 動物生命医科学科 前田 秋彦

プロフィール

博士(獣医学)。専門はウイルス学、環境衛生学。「親元から自立するために北海道へ行きたい」という思いから北海道大学への進学を決意し、その結果全く考えていなかった獣医の道へ進むことに。所属した研究室で実験動物に関わるうち、感染症や生理機能、薬の開発などに興味を持ち、ウイルス研究へといざなわれる。北海道→アメリカ→東京→北海道と移りながら研究を重ね、運命のいたずらか、再び地元・関西へ。兵庫県立生野高校OB。

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