ポアンカレ予想から位相幾何学の世界に触れる—4次元空間に浮かぶ3次元球面—

理学部 数理科学科 山田 修司 教授

4次元空間に浮かぶ3次元球面

 2002年11月、世界中の数学者、特に幾何学の研究者を驚かせる論文がウェブサイトに投稿されました。その論文の内容は、2000年にアメリカのクレイ数学研究所が数学史上最大の難問として100万ドルの賞金をかけた7問のうちの1つ「ポアンカレ予想」を証明したものだったのです。
 1904年、ポアンカレ予想が世に出されてから、多くの一流の数学者がこの難問に挑んでは敗れてきました。そのなかにはもちろん日本の数学者も含まれています。それは、宇宙のあり得る形についての予想と捉えることもできます。
 いったい、どんな予想だったのでしょう。山田修司先生に分かりやすく解説していただきました。

世紀の難問ポアンカレ予想

 始まりは、フランスの数学者アンリ・ポアンカレ(Jules-Henri Poincaré,1854-1912)が論文のなかで「未解決の疑問がひとつ残る」と前置きして書き出した次の一文でした。

 多様体の基本群が単位元のみでありながら、その多様体が3次元球面と同相でない可能性はあるのだろうか?

 この一文が後に、クレイ数学研究所によって「ミレニアム懸賞問題」として100万ドルの賞金をかけられた数学史上最大の難問の1つ「ポアンカレ予想」です。

 「多様体」や「基本群」、「3次元球面」など高校生のみなさんには聞きなれない用語が出てきます。ひとつずつ説明していきましょう。

「多様体」とは?

図1

  n次元多様体とは、図形のどの点においても、そのごく近くだけを考えると、普通の n次元ユークリッド空間と同じように見える図形のことです。身近な図形で例をあげると、図1のような球面(球の表面の曲面、球の内部は含まれない)や浮き輪の表面(数学ではトーラスと呼ぶ)が代表的な2次元多様体です。

 たとえば、私たちは地球という巨大な球面に住んでいることを知っていますが、昔の人は平らな大地の上に住んでいると思っていました。自分の近くだけを考えるとき、それはまさに x軸、y軸で表される 2 次元ユークリッド空間と同じように見えるからです。ですから、球面は2次元多様体なのです。同じ意味で、浮き輪の表面も 2次元多様体です。この他にも、2次元多様体は、無限に種類があります。そのため多様な形をしている、という意味で、多様体というのです。

 ここで「球面やトーラスは3次元の図形ではないのか?」という疑問が出てくることと思います。確かにその図は 3次元空間の中に描かれていますが、それは外側の空間が 3次元だというだけで、図形そのものは 2 次元なのです。

 昔の人が大地は平面だと誤解していたのと同じことが、私たちが住んでいる宇宙についても言えます。私たちには、どこに行っても、x軸、y軸、z軸が無限にのびている、普通の3次元ユークリッド空間に住んでいるように見えますが、でも、宇宙という3次元多様体の全体の形はどうなっているかはわかりません。

「基本群が単位元のみである」とは?

図1

 「基本群」というのは多様体の性質のひとつで、多様体上に描けるループの集合のことです。位相幾何学を専門とする数学者の興味は、どの図形とどの図形が仲間と呼べるのか、というところにあります。そのために基本群という性質を使って多様体を分類する手がかりとしているのです。

 2次元球面と2次元トーラスとの違いを考えると、2次元球面ではいかなるループも連続的な変形によって1点に縮めることができます。つまり、1種類のループしか持たないということです。これを「基本群が単位元のみである(自明な群である)」と言います。

 糸を持って球面を旅する人を考えます。始点で糸を固定し、自由にループを描きます。糸は移動距離に応じていくらでも長くなりますが、多様体の外に出ることはできません。そして始点まで戻ってきたら同じ点に固定します。その後、糸を手繰り寄せるとループは徐々に縮まり、最後には必ず1点に集まります。

 2次元トーラスの場合は事情が異なります。トーラス上のループは球面上のループと同じように1点に縮めることができるものもあれば(図2ピンクの線)、中央の穴に引っかかり決して1点には縮まらないループもあります(図2緑の線)。

 このように、2次元球面と2次元トーラスとでは基本群に違いがあり、違う種類の多様体として分類できるのです。

「3次元球面」ってどんな図形?

  ポアンカレ予想の最後の「同相」とは、図形を切ったりつないだりしないで、伸ばしたり縮めたりの連続的な変形で移りあえるような、同じ種類の図形であるという意味です。これでポアンカレ予想を読み解くことができました。分かりやすく言い換えてみると
すべてのループが1点に縮められるような3次元多様体は、3次元球面(とその同じ種類のもの)以外にあるのだろうか?
となります。

 それでは、3次元球面とはどのような多様体なのでしょうか。私たちが日常的に思い浮かべる球面(ボールの表面、地球の表面など)は、見てきたように2次元の球面です。3次元球面とは、2次元球面の特徴を備えつつ次元が1つ多いもの、ということができます。

 いきなり3次元球面の形を思い浮かべるのは難しいため、次元を1つ落として2次元球面から考えましょう。2次元球面を3次元空間に描く場合、原点から等距離(たとえば1)にある(すなわち x2+y2+z2=1となる)点の集合が2次元球面になります。

 3次元球面を描く場合は、2次元球面の場合から次元を1つ上げ、4次元空間内で原点から等距離にある点の集合として描きます。x、y、zの3次元に加え、wを4つ目の座標軸とすると、x2+y2+z2+w2=1となる点の集合が3次元球面なのです。

 「w軸?そんなものこの世界にないから想像できない」という苦情があるかもしれません。確かに私たちが住んでいるこの空間は3次元しかありませんが、4次元を想像する方法はあります。私たちにも馴染みが深い「時間」を4つ目の座標として考えると想像しやすくなります。

 時間なのでwの代わりにtと記しましょう。時刻tが-1から1まで動く間、3次元ユークリッド空間を思い浮かべ、そのなかにある原点中心で半径が の2次元球面を想像します。その式はx2+y2+z2=1-t2ですから、先ほどと同じx2+y2+z2+t2=1となります。t=0のとき半径1の2次元球面になり、t=±1のときには、半径0の2次元球面(つまり点)になります。連続的に見ると、時間が-1から0まではだんだんと球面が大きくなり、時間0で最大になり、時間が0から1まではだんだんと小さくなります(図3)。このt=-1からt=1までの2次元球面をすべて足し合わせたものが3次元球面です。

図3

 すべて足し合わせる≠ニいうのが想像しにくいかもしれません。想像しにくいときには次元を1つ落として考えます。1次元の円周を足し合わせて2次元球面を作るのは想像しやすいと思います(図4)。

 もう1つの3次元球面の作り方は、中身がつまった球(球面ではない)を2つ用意し、それらの球面同士を貼り合わせるという方法です。「球面を貼り合わせる」のが3次元空間では不可能なので想像しにくいかもしれません。ここでも次元を下げて考えます。中身がつまった円盤を2つ用意し、それらの円周同士を貼り合わせます。円周を貼り合わせるためには、円盤の中身を3次元方向に曲げてお椀のような形にする必要があります。そうして、2つのお椀の縁(円周部分)同士を貼り合わせると2次元球面ができあがります(図5)。同様にして、2つの球の球面同士を貼り合わせるためには、球の中身を4次元方向に曲げる必要があります。中身が4次元方向に曲げられた球は、元の3次元空間から見ると球面だけが残っているように見えます(お椀も元の2次元空間から見ると円周だけが残っているように見えます)。その球面同士を貼り合わせるのです。

図4

宇宙はどんな形をしているのか?

  ポアンカレ予想は7つあるミレニアム懸賞問題のなかで初めて解かれた問題です。解いたのはロシアの数学者グリゴリー・ペレルマン(Grigory Yakovlevich Perelman,1966-)です。彼はその功績で2006年にフィールズ賞を授与されていますが、受賞は辞退しました。ミレニアム懸賞の賞金100万ドルにも興味を示していないそうです。

 しかし、ポアンカレ予想の証明が人類にとって大きな知的進歩であることは間違いありません。私たちの宇宙がビッグバンによって生まれたものであれば、宇宙の大きさは有限である可能性が高く、かといって「宇宙の果て」は無さそうなので、3次元多様体を用いて宇宙の形を説明できるかもしれません。ちょうど、有限だけれど「地の果て」が無い地球が2次元球面であったのと同じように。ポアンカレ予想が証明されたことで、宇宙の形についての理論にさらなる発展が期待されます。

トーラスクエスト

マップ

 みなさんはRPG(ロールプレイングゲーム)など、画面の中の世界を冒険するゲームで遊んだことがあるでしょうか

 それらの多くは1つの方向にずっと進むと、画面がスクロールして、やがて元の位置に戻って来ます。東にずっと進むとマップの東の端から西の端へ出てきます。これは、私たちが住む地球と同じなのですが、北にずっと進むとマップの北の端から南の端へ出る場合が多く見られます。東西方向に進んで出発点に戻ってくる道筋と、南北方向に進んで出発点に戻ってくる道筋とが、出発点以外で交わらないのです。少し考えると、これは私たちの地球とは違っています。地球では、南北方向に進んで一回りする道筋と、東西方向に一回りする道筋とは、必ず2回交わるからです。

 それでは、東西にも南北にもマップが続くとき、そのマップはどんな形をした天体を表わしているのでしょうか。まず、マップの北の端と南の端が同じと見なせるので、これらを貼り合わせます。すると、筒のような形になります。さらに筒の東の端と西の端が同じなので貼り合わせると……トーラスが出来上がりました。多くのRPGの主人公たちはトーラスの上を冒険しているのです。

理学部 数理科学科 山田 修司 教授

プロフィール

理学博士。専門は結び目理論、3次元多様体論。結び目理論とは、輪になっている紐が解けるのかどうかを数学的に証明しようとする学問分野。元来、数学者の知的好奇心だけで始まった分野だが、現在ではDNAの構造や宇宙論などへの応用が期待される注目の分野。山田先生はコンピュータを使った結び目理論の研究にも詳しい。位相幾何学の分野に重要な勉強をたずねると「微積分は意味ぐらいを知っていればいいけれど、ベクトルと立体図形はしっかり理解しておいてください」とのこと。愛媛県立松山東高校OB。

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