喫煙を科学するータバコがなぜ体に悪いのか、細胞、遺伝子レベルで解明するー

工学部・生物工学科 竹内 実教授

 「タバコは健康に悪い」とか「ガンになる」などと言われ、また周囲の環境への配慮もあって禁煙運動が行われています。学校でも会社でも、駅のホームでも街の喫茶店でも、喫煙スペースはどんどん狭まり、喫煙者は片隅へ片隅へと追いやられています。では、タバコの何がどう悪いのでしょうか。
 このことを免疫細胞学からアプローチしているのが竹内 実先生です。
 タバコは肺の「免疫系」に悪影響を及ぼします。免疫系とは自己と非自己を識別し生体を防御する一連の細胞の働きによるシステムのことです。もしタバコのためにこのシステムがうまく働かなくなるとしたら…たしかにこれは大変なことなのです。

タバコは肺の何に影響を与える?

 人は常に呼吸していて、その間ずっと肺を働かせています。たとえ周りには排気ガスがあふれていても、タバコの煙がもうもうとしていても、休むことなく呼吸しています。しかし、このような汚れた空気を吸っているからといって、病気になる人はあまり見受けられません。また風邪などの病気に罹っても、たいていの場合はいつか必ず治ります。これは「免疫系」が働いて肺が悪くなるのを防御しているからです。

 肺の免疫系の中で中心となって働いているのは、「肺胞マクロファージ」と呼ばれる細胞です。マクロファージは大型食細胞とも呼ばれる白血球の一種です。肺胞マクロファージは肺の中に有害物質や異物、また細菌やウィルスなどの抗原が侵入してくると、まずそれを取り込みます。そしてそれを他の免疫系の細胞に知らせます(この働きのことを抗原提示機能といいます)。この情報はT細胞と呼ばれるリンパ球に受け取られ、その中でも免疫反応を促進するヘルパーT細胞を活性化させます。次にヘルパーT細胞は、B細胞と呼ばれるリンパ球に働きかけ抗原に対応する抗体を産生させます。抗体は、鍵と鍵穴の関係のように抗原にくっつき、抗原を無毒化するのです。これが肺における大よその免疫反応の仕組みです。
 ところで、タバコを吸う人では肺の病気にかかる人の割合が高くなっています。だとすれば、喫煙が「肺の防御機能」に何らかの影響を及ぼしていることが考えられます。そこで私は、タバコを吸うことが、免疫系の中心となる肺胞マクロファージに悪影響を与えるのではないかという仮説を立ててみたのです。


マウスを使って実験

 では、それを証明するにはどうしたらいいのでしょうか。人間をモデルに実験できたら一番いいのですが、同じ喫煙者といっても、肺の中の環境は人それぞれです。まず1日に吸うタバコの本数や喫煙年数によって違いが出ます。また吸っている銘柄によって、ニコチンやタールの含有量が違います。住んでいる場所によっては、大気そのものが汚染されているという場合もあります。さらに、肺炎などの疾患を、患ったか患っていないか、また患った場合はその程度によっても、肺の中の環境は違ってきます。つまり、人間をモデルにした場合、さまざまな要因が入ってきて、喫煙の影響というものを正確に評価できないのです。  そこで、マウスを使って実験を始めることにしました。餌と飼育環境を同一条件に保ち、毎日20本ずつタバコを吸わせるのです。マウスははじめ嫌がりますが、しばらくすると人と同じように抵抗なく「喫煙」するようになります。喫煙条件は一定ですから、マウスの肺の中の環境は同一のはずです。
 一定期間を経て、喫煙マウスの肺胞マクロファージを見てみました。するとどうでしょう、それは通常のものとは明らかに違って、かなり傷んだ状態になっていて、免疫機能が低下していました。また、もっと詳しく調べてみるとDNAレベルでも影響が出ることもわかりました。DNAのあちこちが切断されているのです。

免疫システムの機能が低下し、肺ガンの恐れも。

 マクロファージは、取り込んだ異物を殺すために活性酸素を使います。喫煙によってタバコに含まれる有害な粒子が侵入してくると肺胞マクロファージはそれを取り込むことで活性酸素を大量に発生させます。また肺は酸素を取り入れる場所ということもあって活性酸素が発生しやすく、しかもタバコの煙の中にも活性酸素がある程度含まれていると考えられます。喫煙によって活性酸素が大量に発生するのです。活性酸素はDNAを切断します。DNAは細胞の機能をコントロールするものですから、それが損傷を受けることは細胞にとって決定的なダメージとなります。
 このように肺胞マクロファージが損傷を受けると抗原提示機能は著しく低下します。免疫反応は連鎖的なものですから、肺胞マクロファージの機能低下によって免疫システム全体がうまく機能しなくなってしまいます。そうなると、少しのことで風邪を引いたり、またいったん引いた風邪がなかなか治らなかったりするわけです。
 それだけではありません。もっと恐ろしいことが起こる可能性も出てきます。DNAは4種類の「塩基」と呼ばれるものがたくさん結合してできています。DNAは切断されると元へ修復しようとしますが、この過程で塩基の配列が変わってしまうことがあります。そうなると異常細胞が発生します。異常細胞は将来ガン細胞に変わる可能性を持っています。
 このように喫煙は肺胞マクロファージに損傷を与え、肺の免疫システムの機能を低下させ、肺ガンの原因にもなります。またそれだけでなく、心臓など他の臓器にも悪い影響を与えると言われています。まさに“百害あって一利なし”というわけですね。

大きな可能性を秘めた免疫細胞学

 現代病の多くは「免疫システムの異常」によって引き起こされると言われています。「ガン」もそのうちの一つです。異常が起こる原因としては、食生活の乱れ、添加物の多量摂取、精神的・肉体的ストレスなどが考えられています。喫煙もそのうちの一つと言えるかもしれません。
 現在、この免疫システムや免疫細胞についての研究は急速に進められています。「ガン」に対しても、免疫療法という新たな治療法に期待が寄せられています。これは「ガン」を抑える免疫を担当するリンパ球やマクロファージなどの働きを強化し、「ガン」を治療しようというものです。
 「免疫システム」の完全解明には、この先まだまだ時間がかかるかもしれません。しかし、少しずつでも解明が進めば、医療や医薬品の分野での新たな進展につながっていきます。今後はさらに、多くの人類を救うような研究や発見が生まれるかもしれませんから、将来性豊かで人類に大きな幸福をもたらすことのできる研究分野だと言えるでしょう。

工学部・生物工学科 竹内 実教授

プロフィール

 子どもの頃は野生児そのもの。昆虫採集をしたり、琵琶湖に魚釣りに行ったり、近所の犬を追い掛け回したり、自然に親しみ動物が大好きでした。好奇心が強く、蜂の巣にちょっかいを出して刺されてしまったこともしばしばあります。
 大学では最初、獣医学を専攻しました。そして大学院時代にはすでに、獣医師として付属家畜病院で実際に動物を診察していました。犬や猫が中心でしたが、馬や牛といった大きな動物も診ました。現在の専門では動物を診察することはありませんが、獣医時代の経験はいろいろな場面で役に立っています。もちろん、今でも動物が大好きです。

 京都大学医学博士・山口大学博士(獣医学)取得。専攻は免疫細胞学。喫煙を例に取り上げ、免疫機構に関する研究を進めている。

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