Associations of Asian Studies (AAS)学会に参加して

2012年3月26日
世界問題研究所所長 東郷 和彦

 3月15日から18日まで、カナダのトロントで開催されたAssociations of Asian Studies (AAS)に参加してきました。去年のハワイ、一昨年のフィラデルフィアに続いて三年めの参加となりました。
 毎年参加して思うのですが、とにかく、その巨大さに圧倒されます。申請をして受け付けられた「パネル」で構成されるこの会議は、一つのパネルが2時間、おおむね一日を五つに区分して同時並行的に20から30のパネルを走らせます。一つのパネルの登壇者は平均5人、一人の人は、一つのパネルにしか登壇できません。それ以外の時間は、「聴衆」として、興味のあるテーマについて開かれているパネルを聞いて回るわけです。
 今年の場合は、総計380のパネルができていましたので、少なくとも、1900人が参加し、これに、パネルに登録せずに関心のあるテーマについて聴衆として参加する人たちや、ここでよい「書き手」をみつけようと必死になっている出版関係の人たちが来てきて、2000人を大幅に上回る人たちが参加していたと思います。
 取り上げられるテーマは、社会科学と人文科学の最も広い範囲で、可能な限り学際的Inter-disciplinaryなパネルが奨励されているようです。分析の対象となる国は、中国が一番で、そのあとは、日本、韓国、それに東南アジアとインドが続くと言った感じですが、ここでも一国内の分析だけではなく、地域分析や複数の国の国際比較分析といった手法が奨励されているようです。

 アメリカに事務局がある、アメリカ中心の会議なので、参加者の相当数がアメリカ人であることは、自然な流れで、そこに一見見分けがたくヨーロッパと豪州、ニュージーランドからの参加者が多数入っていたと思います。
 初参加以来の私の関心は、アジアからの参加者の状況でした。詳しく統計をとったわけではない単純な印象ではありますが、世界の関心が中国に向いている分だけ、やはり、中国の参加者がいたるところで目につきました。
 その次に目についたのが韓国からの参加者で、今年は、特にKorean Economic Institute (KEI)という、韓国政府から巨額(と私には感じられる)の出資をうけている財団が、AASと共催の形で参加、そこがスポンサーする四つのパネルが開催されたほか、プログラム冊子の裏面もオバマ大統領とイミュンバク大統領の顔写真が大きくのったKEIの宣伝で、ちょっと威容を誇っている感じがありました。KEI主催の四つのパネルでは、アメリカ人の研究者に加えて、韓国人、ないしは韓国系アメリカ人がバリバリと登場していたのは言うまでもありません。
 肝心の日本ですが、なにしろ20年くらい前までは、アジアと言えば日本の独断場だったわけですから、いまだに参加者の数やとりあげられているテーマにも多義的に食い込んでいる感じはありました。去年は、「3・11」の直後でしたから、その関連のパネルも多く、北岡伸一先生が数名の基調講演者に名をつらねていました。
 そういうわけで、それほど「日本が見えない」わけではなかったのですが、それでも、AASに参加して考えさせられたことを、三点ほど述べてみたいと思います。

 第一に、日本からの参加者の質の問題です。自分のことを棚に上げて、こういう大層な問題提起をすることは憚られますし、私が、「聴衆」として参加したパネルは極めて限られていますから、場合によっては、とてもかたよった見方になっているのかもしれませんが、それでも、気になる点を述べざるをえません。
 すでに述べたように参加者の数は、全体として少なくはないように思いますが、私が関心をもつ広義の国際政治に参加しておられる研究者で、英語を十分に使いこなして、質量ともに活気を持って議論に参加している方が少ない、キラッと光る方におめにかかると、かなりの方が海外の大学で教鞭をとっておられて、それはそれで素晴らしいことなのですが、日本の大学を起点にして積極的に参加しておられる方の数が、あまり多くないと感ぜられました。
 ゆくゆくは、毎年、京産大の研究者が中心になって主催するパネルが、広い範囲のテーマの中から開かれるような形になればという気持ちを抑えることができませんでした。

 第二に、とりあげられているテーマが、少しずつ、確実に深化しているのではないかということです。今年は特に、歴史問題についての興味ある出会いがいくつもありました。
 そうなのです。今年のテーマで、なぜか「歴史認識」に関するパネルがとても多かったように思います。去年のパネルでは、「領土問題」についてのパネル、特に、竹島を取り上げたパネルがいくつもあったのと対照的な変化でした。
 「戦時における日本のリベラリズム」というパネルにフロアから参加したところ、ハーバード大学のアメリカ人若手研究者が「太平洋戦争における矢部貞治の新世界秩序」という題名で発表し、当時の矢部貞治東大教授と海軍調査会の役割を分析した後に、重光葵外務大臣の登場により、「よりリベラルで普遍性をもつ大東亜共栄圏の理念が登場した」と述べました。
 重光葵と大東亜共栄圏の理念はかねてから私の関心事でしたので、思わず、「重光葵は、大東亜共同宣言のなかで、『道義に基づく共存共栄』という理念を提起し、1956年の日本の国連参加の時に再び外務大臣をつとめ、敗戦国から立ち直った国の演説としては、極めて雄渾なる「東西の架け橋」演説を行った。その現代的意義は、2009年鳩山総理の国連演説でこの「東西の架け橋」が再び言及されることになったことにある。外務大臣としての重光葵をどう思うか」と質問してしまいました。
 答えは、「彼は自分が最も尊敬する日本の外交官である」というものでした。「大東亜共栄圏」は日本帝国主義と軍国主義の自己正当化でしかないという戦後一時期特徴的な理解とは、隔世の感がある出会いでありました。
 私が主催した「1995年の村山談話とその意義について」というパネルも、歴史問題についてのパネルの一つとして、早朝からの開催にもかかわらず、思いのほかの聴衆を集め、時間切れになる熱心な質問をうけ、かかる流れの一環として、大変有り難いことでした。

 第三に、もう一つ思いがけない展開がありました。冒頭にも述べたように、この会議には、各国の出版社がブースを作ってそれぞれの本の販売と著者の発掘につとめているのですが、その中の有力な一社から、その社の新しい企画とに「1995年の村山談話とその意義について」を今夏の出版に入れて検討する可能性が示唆されました。
 ただし、一つ条件があるようで、今回のパネルを踏まえた修正原稿の提出期限がこれまで企画していたより2〜3か月早まることになりました。
 ところで、とりあげているテーマについては、2011年12月に京産大で最初のワークショップを行い、トロントでも、パネル自体は固より、その前後に会合を開いて様々に議論したのですが、まだつめきれていないかなり複雑な問題が残っています。
 その時、はたと思いました。四月の半ばころに、きちんとした、関係の5名が参加するテレビ会議がやれたらなあと!
 世界問題研究所は、2012年4月1日をもって、壬生の「むすびわざ館」にその拠点を移すことになっています。
 国際会議の一部が、マルチのテレビ会議時代に移行する時期はもうすぐ目の前に来ています。
 新しい研究所施設が、関西で、日本で、アジアで、そういう機能を完備する先陣をきることとなるよう、全力を尽くして努力したいと思います

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