上海フォーラム報告

世界問題研究所所長 東郷 和彦

 5月27日から30日まで、上海フォーラムに出席しました。

 上海フォーラムは、上海のフーダン大学が主催し、主に中国の急速な経済成長、世界経済への統合、社会問題などを討議しており、毎年約30カ国、400名ほどの学者、実業家、政治家、個人の資格で参加している官僚ほかが集まっています。

 冒頭と最後に「演説」を中心とした全体会議、その間は、七つから八つほどのサブグループに分かれ、そこでは、一人15分ほどの発表のあと、時には激しい議論が行われます。サブグループの一つが、東アジアを中心とする国際政治問題をあつかっており、私は、このサブグループに今年で三回目の参加でした。

 毎年参加する度に、圧倒される気持ちになります。一つは、運営の規模です。400名からの参加者、もちろん七割くらいは中国人ですが、かれらをみなフーダン大学の横の大学直系の立派なホテルに泊め、受付から会場の案内までみな大学の学生があたり、大学の先生たちがあい協力して相当に質の高い議論をリードし、代表論文は、経済と政治の二分冊にして出版している。しかも、どこからそれだけの会合を運営する資金がでているかというと、なんと韓国のKS財閥が全額出資をしている様子なのです。全体会合の初めのところでは、KS財閥の高級幹部が、見事な英語で簡潔明瞭に、会合のテーマをユーモアを混じえながら毎年述べています。

 日本からの参加者はといえば、中国と韓国のこの猛烈なプレゼンスに比較すれば、「控え目」と言わざるを得ません。毎年10名ほどの参加者はいるようなので、中国以外の「主要国」の中で格別に人数が少ないというわけではないのですが、それでも、アジアの中の比較でいえば、中韓の後塵を拝している感は否めません。もちろん、上海フォーラムだけが勝負の場ではないのですが、それでも、いま日本でこのようなセミナーを定期的に開催する実力を持った大学がどのくらいあるか、そういうマインドを持った企業がどのくらいあるかと考えると、ちょっと心が寒くなります。

 40名以上が参加した国際政治問題をあつかう今年のサブグループのテーマは、『アジアにおける協力と統治』というもので、実際には、アジアにおける有効な地域主義の形をさぐる議論が中心となりました。例年よりも参加者が多かったせいか、インドを含むアジア全体での地域主義を考えるグループと、東アジアの地域主義を考えるグループの二つのサブ・サブグループに分かれて議論が行われました。

 日本からは、アジアのサブ・サブグループに私が、東アジアのサブ・サブグループに防衛大学校の神谷万丈先生と国際交流基金・青山学院大学の福島安紀子先生が参加しました。

 私の参加したアジア・サブ・サブグループでは、議論の大枠は、アジア共同体の中でのインドの在り方、欧州とアジアの地域主義の比較、アジア地域主義の下でのアメリカの役割などについてでしたが、参加者は、この共通テーマを念頭に置きつつ、皆自分の研究テーマを発展させた発表を行っているというふうで、そのぶんだけ、幅の広い刺激的な議論をきくことができたと思います。

 私は、北東アジアの三つの領土問題についてのペーパーを提出、ボン大学で教鞭をとっているGu Xuewu先生が南シナ海の領土問題について議論、この二つはかみ合った内容になっていました。

 領土問題について当事国の研究者が学問的に議論しようとすることには、少しの勇気を必要とするのではないかと思います。いずれの政府も、自国の立場は100パーセント正しい、相手国の議論は100パーセント間違っている(少なくとも、自国に不利なことには一切言及しない)という立場をとっていますから、それと少しでも違うことを言うことは、場合によってはそれぞれの国において「非国民」あつかいされかねません。しかし、このような会議の場で、自国政府の立場を再説するためだけの議論をすることは、結局いかなる尊敬もかちえられません。Gu先生も私も、それぞれの立場から、研究者としての客観的な分析と提言をめざしたということであったと思います。

 今回の会議で、ちょっと思いがけないことが起きたのは、チベット問題についてでした。四川大学のLi Tao先生が中国語で「ダライラマ問題」についての詳細な分析を発表したのです。同時通訳を介してしか理解できなった私は、Li先生の発表の論旨がどこにあるのか、必ずしもよくわかりませんでした。たぶん、最近の政策の成功によって在外チベット人が本国にもどりつつあるということをふまえた、問題の政治的側面についての実証的な研究だったと思います。ここ数年私は、一度中国人を前に、日本の研究者として言っておきたいことがあると考えてきました。それは「チベット人の文化(宗教・言語・生活習慣など)を尊重してほしい。日本の韓国統治の最大の失敗は、韓国の文化的アイデンティティを抹殺しようとしたことにある。そのことを深く反省すればするほど、中国にはこの過ちをくりかえしてほしくない」ということでした。学生を含む中国人数十人を前にこの発言をする機会は、そう簡単にめぐってくるわけではありません。思い切って発言してみました。

 議場では直ちに「日本の韓国統治と中国のチベット統治はちがう」との反論がでました。これについては、コーヒーブレークでこの発言をした先生を捕まえて、「私の発言は、中国人が日本人から一番聞きたくないものだということはよくわかっているけれども、植民統治に反省の念あれば、友人としてどうしても言わざるを得ない」と言って、少なくとも、表面上は円満にお別れしました。しかし、一番ほっとしたのは、会議を通じて一回も発言しなかった韓国の先生がやってきて「あなたの発言はよかった」と言ってくれたことでした。

 この種の大会議での楽しみは、新しい友達をつくるとともに、思いがけない古い友達に再会することです。今回の会議では、私のサブ・サブグループにグレゴリー・クラーク・コロンビア大学教授がいて、ほとんどの点で意見が一致しました。

 また、もう一つのサブ・サブグループには、90年代の初めブッシュ政権の最後の年にホワイトハウスのアジア部長をしていて、当時私が在ワシントン大使館で勤務していたときに時々あいにいっていたダグラス・パール・カーネギー基金副理事長と、プリンストン大学にいた時に中国学のてほどきをしてくれたトム・クリステンセン先生がいて、旧交をあたためることができました。

 とにかく、上海フォーラムのような大きな渦の中に入ると、自分の存在は、誠に小さな一つの点でしかないと感じます。しかし、自分にできる範囲で、日本人として、できる限り鋭角に切り込む努力をすることが大切だと、改めて思った次第です。
(了)

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