京都産業大学キャンパスマガジン サギタリウス 2016 Apr. Vol.71

愛 自由 俳優 米本学仁サン 2003年 外国語学部 卒 卒業後に渡米し、映画「47RONIN」でハリウッドデビューを果たす。ロサンゼルスを拠点に、映画やドラマ、CM、コメディ番組など、幅広いジャンルで活動中。

米本さんの挑戦ヒストリ 在学中 「フォークトレイン」に所属し、音楽活動を行うかたわら、小津安二郎監督作品など数々の映画を鑑賞。バンド活動では、ソウルやファンクなどのジャンルを中心に扱っていた。 卒業後 映画を製作したいと考え、プロデューサーを志す。2007年、ハリウッドのあるロサンゼルスへ移住。語学学校では講義開始30分前に着席。夢の実現に向けて必死に学びました。現在 「47RONIN」への出演をきっかけに俳優の道へ。映画や舞台、コメディ番組など、幅広いジャンルで活動中。

今回の後継者候補 文化学部 3年次生 西田 岳さん(大阪府立渋谷高校出身) 経営学部 3年次生 田村 宙輝さん(大阪府立西寝屋川高校出身) 映画研究部の私たちも質問しました!

なぜハリウッド俳優を目指されたのですか? 実は、もともとは俳優ではなくプロデューサー志望でした。

映画製作に携わりたいと思ったのは2006年。非人道的な国際ニュースを見た後に、「見知らぬ誰かへの思いやり、その元になる想像力」を持つ難しさを痛感しました。自分を省みると、私の場合は映画から思いやりや想像力を学んだなと。それで始めは、大好きな映画監督を手伝いたいとプロデューサーを志望しました。映画のことならハリウッドに行くべきと考え、約1年後にはロサンゼルスへ。そこで「絶対に夢を実現する」と覚悟を決めてさらに必死に英語を学んでいたのですが、ある日突然「君、演技に興味ない?」とスカウトマンに声をかけられました。その頃はまさか役者になるとは思っていませんでしたが、何事も経験とオーディションを受けたところ、数週間後にはハンガリーへ飛ぶことに。それが「47RONIN」の現場でした。クランクイン日は忘れもしない震災の日、2011年3月11日。「今できることをやろう」。他の日本人俳優の方々と、この作品で被災地の皆さんを元気づけようと誓い合い、初めての撮影がスタートしました。

米本さんの今後の挑戦を教えてください! アメリカ人が持つ日本人のイメージを変えることです。

「47RONIN」で名優たちに学び、演技の奥深さを知ったことで、「役者を続けたい」と思うようになりました。そのために、普段から「何でそう思った?」と自分自身に問いかけることを心がけています。感じ方には人それぞれ"癖"があると思うので、今はそれを把握することで自分への理解を深め、演技力を高めているところです。今後は特に、コメディに注力していきたいと考えています。実は動画配信サイト「Netflix」で放送されている「LOVE」というコメディ番組に、レジ係として出演しています。一般的にアメリカ人には日本人がレジ係として働いているイメージはありませんし、そもそもコメディに出演する日本人俳優も珍しい。だからこそ、私はアメリカの人々に「こんな日本人もいるんだ」と思ってもらいたい。そうすることで自分のキャラを確立できますし、その周りに存在する人たち、役なども広がれば嬉しいです。もし、アメリカのコメディに「関西人」が出てきたら、きっと面白いですよね。

米本さんから、バトンタッチ! まずは好奇心のままに飛び込んでみるというのも大切。その先で出合うものを吸収し、せっかくの機会を最大限活かしてください。また、製作に携わる方には「自分にウソをつかない」ことを約束してほしいですね。お互い、良い作品を作りましょう。 自分が良いと思うことを貫く姿勢に共感しました。私は今後も映画を撮り続けるつもりなので、「負けてられない」と映画製作へのモチベーションが高まりました!行く先々で出会った監督や役者とのつながりを、とても大切にしている米本さんは素敵です!私もご縁を大切に、自分にウソをつかずにこれから頑張っていこうと思います。

トップページに戻る
PAGE TOP