今、さまざまなニュースで世界の注目を集める沖縄で、NHKの報道カメラマンとして活躍されている本学卒業生の川アさん。去年までは和歌山局の所属でしたが、自ら希望して沖縄に赴任。それ以来、時が経つのも忘れるくらい忙しく取材現場を駆け回る日々を送っているそうです。「出口の見えない尖閣諸島問題や、米軍のオスプレイ配備、繰り返される米兵犯罪など、沖縄は今もなお、本土では見えないW戦後Wが続いている地域。米国と中国という二つの大国の狭間で揺れ動く、いわば現在の日本の象徴なんです」。それほどセンシティブで重要性の高いニュースが多いだけに、取材も容易ではありません。例えば、まったく情報を開示しない米軍を取材するため、早朝から張り込むことも。また取材の移動中に、ほかの現場で動きがあり、急きょスケジュールを変更することも少なくないとか。それでも報道マンとして正確な情報を、いち早く視聴者に届けたいという強い思いを持って取材に臨んでいます。しかしその一方で川アさんは、「今」を伝えることだけが報道の役割ではないといいます。「報道は事実をそのまま伝えるだけと考えられがちですが、私は『ストーリー』がないと人の心には響かないと思っています。例えば大きな災害が起きると、多くの場合、報道内容は概要を繰り返すことに終始します。でも、災害は一つの大きな出来事ではなく、被災した一人一人の『自分事』の集まり。そこまで伝えないと、視聴者には『どこか遠くで起きたこと』にとどまってしまうと思うんです」。そのため、カメラマンだけでなく自らリポートや番組を提案し、取材にも力を入れている川アさん。東日本大震災後、避難所に移り住まず、自給自足の集団生活を続けながら漁村に留まって暮らす、南三陸町のある集落の現状を伝えるため何度も被災地に足を運びました。「取材当初はマスコミへの不信感から、なかなか受け入れてもらえませんでした。しかし何度も現地を訪れ、お話を伺ううちに、次第に震災ですべてを失った悔しさや復興に向けた想いを、カメラの前で語っていただけるようになったんです」。現地のリアルな今を伝えるこの報道が一つのきっかけとなり、視聴者からも支援物資が集まり、国会でも集落の現状が議論されるように。人の心を動かす結果につながったこの企画取材は、この仕事を続ける原動力になったと振り返ります。
熱い思いを胸に、現場に立つ川アさん。しかし昔からマスコミ志望というわけではなく、学生時代は映画制作や音楽活動などの創作活動に注力していました。そんな川アさんがジャーナリズムに関心を持つきっかけとなったのが、2001年に米国で起きた『9・11』。「テロ直後、米軍や多国籍軍がアフガニスタンに無差別空爆を開始しましたが、『国際社会の正当性』に焦点が当てられる一方で、尊い命を奪われるアフガンの人々の現状は見えてこない。こうした報道の矛盾に疑問を感じたんです。そして自分にできることは何かを考えたとき、映画制作や音楽活動などを通じて培った『伝える力』を世界のために活かしたいと思いました」。それと同時に、日本のメディアの情報だけでは国際的な有事の際に正しい判断ができないと考え、英語を猛勉強。TOEICRのスコアを一年間で400点台から900点台にまで伸ばしました。その後、勤務先の英字新聞社で先輩記者に薦められ、フルブライト奨学金大学院留学プログラムの選考に応募。百倍近い倍率を通過、見事奨学金を手にしてニューヨーク大学ジャーナリズム大学院へ留学し、リサーチから取材、撮影、編集に至るまで、放送ジャーナリストとして武器となる実践的なスキルを習得しました。在学中に制作した、ガーナのコミュニティ・ラジオ局に密着したドキュメンタリー作品が、国連ドキュメンタリー映画祭の特別招待作品として上映されるなど、質実ともに大きな成果を挙げて帰国し、NHKへの入社へ。以来、報道の最前線で活躍されていますが、世の中に伝え切れていないことが山積みだといいます。「海に潜って自然環境の現状などを伝える『潜水班』としての取材にも力を入れていきます。また、将来的には海外特派員として世界各地から『物語』を伝え続けていきたいですね」。常に新たな目標に挑み続ける川アさんに学生時代について伺うと、「大学を一年間休学して世界一周の旅に出たり、映画や音楽など、興味あることを追求していました。4年間で何かを達成しようと力まなくていい。でも、自分だけの目標を見つけて全力投球してほしいですね」。