第5話 バスケットボール部マネージャー

選手とは違う立場でバスケットボールに関わることを決意

佐藤 敏郎(法・4)

 「マネージャーにならないか」。佐藤敏郎(法・4)はバスケットボール部の先輩に入部早々こう言われた。その先輩は同じ高校のバスケ部出身。大学ではマネージャーとして活動していた。チームをまとめて良い成績をあげるのに、競技や選手のことを熟知した良いマネージャーが必要なのは分かる。「でも、なぜ自分が……」。佐藤は戸惑いを隠せなかった。

 高校時代の成績は全国ベスト16。さらにレベルの高い環境を求め、地元宮城を離れて、関西への進学を決めた。選手として挑戦を続けたい気持ちが無いといえば嘘になる。送り出してくれた両親や高校の顧問の期待に応えたい思いもあった。

 だが一方で、マネージャーの仕事が、誰でも務まるわけでないことも分かっていた。自分を指名してくれた先輩の思いも大事にしたかった。

 「自分が選手として活動できるのはおそらく大学まで。だとすれば、選手を支える裏方としてバスケに関わってみるのも、将来に生かせる良い経験になるかもしれない」。佐藤はマネージャーへの転向を決意した。

 高校では、司令塔であるポイントガードのポジションを務めた。マネージャーは、監督・コーチら指導陣と選手とのパイプ役。チーム全体の司令塔とも言える。佐藤の新たなポジションへの挑戦が始まった。

選手をつなぐチームの貴重な「要」として

 バスケットボール部で、選手からマネージャーに転向した佐藤敏郎(法・4)は、チームの「要」として欠かせない存在になっていった。

 チームが勝利するためには、選手がプレーに専念できる環境づくりが大事になる。会計事務、合宿や試合などの交通手配、保護者への案内など多くの仕事をこなすだけでなく、日々の練習では、選手の小さな変化を見逃さないように努めた。

 佐藤には、高校時代、ケガや不調で試合に出られなかったことが何度かあった。そのたびに、落ち込む自分を支えてくれたのは、大学でのマネージャー転向を勧めた先輩だった。

 「次は自分の番だ」。佐藤は、練習で元気がなかった選手には積極的に声をかけ、スランプの選手は食事に誘って悩みを聞いた。マネージャーは選手と同じ学生。監督やコーチよりもっと、気持ちに寄り添える存在を目指した。今では、選手が活躍した時の喜びや、試合出場メンバーに選ばれなかった時の歯がゆさを自分のことのように感じると言う。

 「マネージャーを経験して視野が広がった」と4年間を振り返る佐藤。卒業後はこの経験を生かし、「地元宮城で大好きなバスケットボールに関わりたい」と夢を抱いている。小学校1年生から始まった16年のバスケットボール人生は、まだまだこれからも続いていく。

読売新聞朝刊 2010年11月21・22日 掲載

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