うつ・不安症モデルマウスにおいて、情動行動と連動する尿中代謝産物を発見—マウスの心が尿でわかる—

図0

生命科学研究科 加藤 啓子 教授と藤田 明子 研究助教らのグループは、うつ・不安症モデルマウスにおいて、尿に排出される代謝産物が情動行動に反映されることを発見しました。
なかでも、情動行動の一種である社会性行動(雄の「雌との出会い」)が、尿に排出されるフェロモンの一種である「ファルネセン」という代謝産物の分泌量に影響を与えることを示しています。



本研究の成果は、2020年2月21日付で、国際学術論文誌であるPLOS ONE に公開されました。『ページ下のビデオにある行動実験は、奥野貴哉氏(2019年3月生命科学研究科修了)と織田弥伽氏(2017年3月生命科学研究科修了)が行いました。』

研究の背景

精神疾患に含まれる「うつ・不安症」は、近年世界的に患者が増加し、精神疾患を発症する分子機構の解明は重要な課題となっています。これまで研究グループは、糖鎖を合成するシアル酸転移酵素St3gal4を欠失させたマウスが、うつや不安障害を示すことを明らかにしてきました(J. Neurochem., 2014年12月)。
St3gal4は、α2-3結合で糖鎖のガラクトース上にシアル酸を付加する6つの酵素の一つです。また、このマウスを使った別の研究では、食事に含まれる油脂の種類(飽和脂肪酸・不飽和脂肪酸など)が変わると、不安行動や恐怖記憶も変わることを見出しています(PLOS ONE, 2015年3月)。
不安行動や恐怖記憶は、情動の神経回路を介して、自律神経やホルモンバランスを含む生理機能や、さらなる行動反応に影響します。しかし、情動行動が生体の最終代謝産物に与える影響は明らかではありませんでした。
研究グループは、生体の代謝変化を反映し、生体を傷つけずに得られる尿に着目し、様々な化学物質の種類を含む揮発性有機化合物(VOCs)を解析しました。その結果、情動行動の一つである社会性行動(雄マウスの雌マウスとの出会い)と尿中に排出する代謝産物である「ファルネセン」というフェロモンの量が連動すること、つまり情動行動が生体の代謝に影響をおよぼすことを明らかにしました。これは、尿中の代謝産物を測定すると、“マウスの心がわかる”ことを示しています。

研究概要

本研究では、『正常なマウス(WT)』と『うつ・不安症を示すマウス(KO)』から、ヘッドスペース固相マイクロ抽出(SPME)法とガスクロマトグラフ質量分析法(GC-MS)により尿中揮発性有機化合物(VOCs)を解析しました。18種のVOCsが抽出され、主成分分析で10VOCsから成る主要なグループを同定し(図1 A)、クラスター分析により、2つのグループ(6VOCsと2VOCs)が抽出されました(図1 B)。
未知のVOCs 2種を含む6VOCsグループ(ペンタン酸, 4-メチル-, エチルエステル; 3-ヘプタノン, 6-メチル; ベンズアルデヒド; 5,9-ウンデカジエン-2-オル, 6,10-ジメチル)は、驚愕反応試験と相関を示し(ピアソンの相関係数, r = 0.620)、不安が強いことと関連付けられることがわかりました。
もう一方の2VOCsグループは、マウスフェロモンとして知られるファルネセン(β-ファルネセン; α-ファルネセン)であることが分かりましたが、このファルネセンは、『うつ・不安症を示す雄マウス』で多く検出されました。(ちなみに、このファルネセンは、古くからフェロモンとして知られていて、雌の方が多く出すという説もあります。雄の場合は、ボスが多く分泌して尿中に排泄し、他のオスを蹴散らすのに使っているのではないかと考えられています。)
『正常な雄マウス』は、発情期の雌マウスに接触を繰り返すのに対し、『うつ・不安症を示す雄マウス』は、発情期の雌マウスに出会っても、接触を試みることはありません(図2 A)。さらに、『正常な雄マウス』の尿中ファルネセン量は雌マウスとの出会い後に増加しましたが、『うつ・不安症を示す雄マウス』のファルネセン量は出会い前から高い値を示し、出会い後も高い値のままでした(図2 B)。また、最初に抽出された18種のVOCsうち、14種のVOCs(*)を用いて主成分分析をおこなったところ、尿中の14VOCs量により、『正常な雄マウス』が発情期メスと出会う前()と出会った後()、『うつ・不安症を示す雄マウス』が発情期メスと出会う前()と出会った後()の、4グループに分かれました(図1 C)。これは、雄マウスの、雌への嗜好性や雌との出会い経験が、尿中の代謝産物の量で判別できることを示しています。
以上により、マウスの情動行動(オスの社会性行動や驚愕反応)が、最終代謝産物(尿中のVOCs量)に影響することを発見しました。これは、尿中の代謝産物を測定すると、“マウスの心がわかる”ことを示しています。さらに、St3gal4が尿中VOC量に影響していることがわかりました。つまり、St3gal4は“心”と末梢の代謝産物をつなぐ重要な酵素であることが示されました。

図1
図1. VOCsの主成分分析、クラスター解析と雄マウスの発情期の雌マウスに対する社会性行動の前後のVOC量によるグループ化。A. St3gal4WTマウスとKOマウスの比較解析から抽出された17VOCsの主成分分析。主要なグループとして、11VOCsが抽出された。B. 図1Bで抽出されたVOCsのクラスター解析。2つのグループ(6VOCsと2VOCs)が抽出された。C. 発情期の雌マウスとの出会い前後の尿中VOCsによる、各マウスの主成分分析。尿中VOCs量から、WTマウスとKOマウス、および出会いの前後の4グループに分けられた。
図2. 雄マウスの発情期/非発情期の雌マウスに対する社会性行動と行動前後の尿中ファルネセン量の変化。A. オープンフィールド内で発情期(P/E)、非発情期(D)のddy雌マウスに出会った最初の10分間の接触回数。B. C. 発情期のddy雌マウスに出会う行動の前後の尿中β-ファルネセン量。
『正常な雄マウス(黒)』と発情期雌マウス(白)
『正常な雄マウス(黒)』が生まれて初めて発情期の雌マウス(白)と出会ったときの様子(A)。
オスマウスがメスマウスに接触する様子が観察できます。
出会った後、『正常な雄マウス(黒)』はファルネセンを尿中に出します(B)。
『うつ・不安症を示す雄マウス(黒)』と発情期雌マウス(白)
『うつ・不安症を示す雄マウス(黒)』が生まれて初めて発情期の雌マウス(白)と出会ったときの様子(A)。
オスマウスもメスマウスもお互い離れようとしている様子が観察できます。『うつ・不安症を示す雄マウス(黒)』は雌に出会う前からファルネセンを尿中に出しています。『うつ・不安症を示す雄マウス(黒)』では、ファルネセンの分泌と社会行動が協調しないことがわかりました(B)。

用語の説明

シアル酸

細胞膜上の糖タンパク質、糖脂質の糖鎖の非還元末端に位置する糖の一種。炭素1位にカルボキシル基を持つ9炭糖である。

シアル酸転移酵素

CMP-シアル酸をドナーとして、シアル酸を糖鎖に付加する酵素。ヒトやマウスでは20種が知られており、シアル酸の転移様式により、ST3Gal、ST6Gal、ST6GalNAc、ST8Siaの4つのファミリーに分類される。

固相マイクロ抽出(SPME)法

マイクロシリンジのような装置の針部分のコーティングファイバーに試料中の化学物質を吸着させ(捕集)、針をGC-MSの注入口に挿入して化学物質を脱着させることにより測定を行う。

驚愕反応試験

突発的に大きな音刺激をマウスに呈示したときに生じる反射による体動を加速度計で測定する試験。

14VOCs(*)

メチルアミン, N,N-ジメチル; 3-ペンテン, 2-ワン; ペンタン酸, 4-メチル-, エチルエステル; 3-ヘプタノン, 6-メチル; スチレン; ベンズアルデヒド; β-ファルネセン;α-ファルネセン; テキサノール; テキサノール異性体; 未知化合物4VOCs。

掲載論文

論文タイトル Urinary volatilome analysis in a mouse model of anxiety and depression
掲載誌 PLOS ONE,(2020)
DOI https://doi.org/10.1371/journal.pone.0229269
著者 Akiko Fujita, Takaya Okuno, Mika Oda, Keiko Kato

謝辞

本研究は、JSPS科研費(JP15K07774)、水谷糖質科学振興財団(Z1601N)、PMAC若手研究者奨励金(GK1701)の支援を受けて実施しました。

PAGE TOP