京都産業大学日本文化研究所 特別客員研究員が「蛤御門の名前の由来について」従来の定説を覆す新説を発表

2016.04.26

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メディア掲載プレスリリース

京都産業大学では京都の活性化に貢献するため、京都商工会議所と協力し2006年から「京都・観光文化検定試験(以下、京都検定)」1 級合格者を本学日本文化研究所の特別客員研究員として受け入れています。

平成 27 年度は12人の特別客員研究員が研究活動を行い、長谷 桂氏が「蛤御門の名前の由来について」従来の歴史界の定説を覆す、新たな発見を明らかにされました。


〈発表内容についての説明〉
「蛤(はまぐり)御門」とは、京都が大火に見舞われた時には、朝廷が業火に逃げ惑う京の民を思いやり、内裏の惣御門を開放し、皇室、公家が住まう禁裏御所周辺を避難所として解放したとされています。その惣御門の一つに「新在家御門」があります。禁裏御所の南西側に所在したこの門が、火災に際して、ハマグリが焼かれると貝殻を開くことに例えて、通称「蛤御門」と呼ばれてきました。

これまで、この門は普段は閉じられていると解され、これが開かれたのは、天明8年(1788)、天明の大火の折とされてきました。『京都観光・文化検定試験 公式テキストブック』(2004年)、同書改訂版(2005年)においても同様の説明がなされてきました。

その後に、湯口 誠一氏が、すでに宝永6年(1709)刊行の「内裏之図」に「はまくり門」と明記されていること、嘉永7年(1854)に作成された「親町要用亀鑑録」には、宝永の大火(宝永5年)の後に、「蛤御門」と命名されたと明記されていることを根拠に、天明の大火は誤りで、これをさかのぼる宝永の大火によって、「蛤御門」と呼ばれたのだという新説を提出されました。

湯口氏の説は、京都市歴史資料館のお墨付きも得て定説とされ、蛤御門の駒札解説文は「天明の大火」から「宝永の大火」へと書き替えられ、『京都観光・文化検定試験 公式テキストブック』も増補版(2010年)では、「宝永の大火」と訂正され、確実な説として今日に至っています。

ところが、長谷 桂特別客員研究員は、宝永の大火以前から「蛤門」の名称が使われていたことを突き止めました。さらに、宝永をさかのぼる、延宝5(1677)年に、「蛤門」が開いている状態で描かれている事実も突き止めました。
 

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