[詞書]

















賀茂祭は卯月中酉元明天皇和銅七年に山城国□
検察して年ことの祭たるへきよし鳳詔をくたさる
嵯峨天皇弘仁十年に鴨御祖の社別雷二神の祭を
中祀とさためられて後まさしく近衛使次第の供奉
官をひきくして一條大路をわたる事はその年こそ

はしめなれなと見たることはあきらかならねとも仁明天皇
承和四年に天皇紫宸殿にして使の馬鞍已下を御覧せ
らるゝよしは記録もあるにやそれよりこのかた松柏の搆の
前蘋?の礼の中一日の壮観この祭にすきたる事
なし年々例をまもることなれはめつらしかるへきにあ

らねとも月にいりぬれは禁中も御神事灌仏を
おこなはるゝ年は九日より斎をいたさる前一日に上卿
陣に参て内のくらつかさの請奏をくたし諸司諸衛に
めしおほせられて警固のありさまわかき衛府の公卿
殿上人なとは興あるわさにおもひけすらひたるめり雲の

上よりはしめてあやしのしつかいた屋まてもけふのかさ
しのあふひ草を月のかつらのくもりなき御代のためし
にひきかけて文永十一年こそ我君仙洞萬歳の
はしめなりしかやこの一両年はたえたりつる御桟敷の
御幸の儀もまためてたくかたしけなかりしに花山院前右

大臣けいめいして参まうけらる殿上人一人実俊卿いまた中将
にてつかまつる北面御随身御壺の召次御牛かひまても先院の
御ゆきのありさま露もかはらす涙おもかけにうかみておかみ
たてまつる事のいのちなかさもうれしのあまりに末の代の

もてあそひにもとてむかし物かたりにもつねのりかゑ道風
がこと葉なと書つたへたれはなましひにそのあとをた尋ねて
けふのわらはれくさにはなりはへるへし

大宮院も間道より御幸ありなにことも二たひあらたまる椿の
かけいはひこともかくやと刻限に花つみとて道俗男女てに花
をちらしひちにあしかをかけくちに弥陀仏の名を
となへていくらといふことをしらすむれつゝきてまことになり
たかくのゝしりゆく内証の御ちかひもたのもしくこそ

空也上人無極道心をあらはされんとてわたりそめら
れたりけるそこれかはしめに申つたへたる看督長ねり
つゝきたり大理のつかはれ人はわしの羽のやを二さしたり
廷尉佐のはしろき羽を四さすそのほかのはたゝしろき羽
を二つゝさしをいたるゆへ/\しくもみゆ検非違使の

別当廷尉佐なとさしきもたえてひさしくなけれは看督
長の礼儀もなしことしは検非違使も六位五位あまたありし
かともせう〃〃をかきうつすなり廷尉佐殿上検非違使なとも
車わたして供奉しけるとかやちかくはまた其事をきかす
内蔵山城のすけはくた/\しけれは書もらしつ山城介はたち

をはき内蔵助は官幣をさきたてたり馬助も略してかゝす
使は中将隆良朝臣いまた少将にてわたられけりかの家には
舞楽の具を風流につけたり餝車はさたまりて楽屋
につくり弘長制符のゝちは近衛舎人も略せられて馬副は
かりなりゐかひ御まやとねり御うしかひなとはたゝ例のことし

女使も命婦蔵人はかきのこしつ斎院おはしますおりは禊斎
弁一條の大路をわたり典侍神舘に参りて紫野のかへりあそ
ひなともありしかは祭の儀式もはへ/\しかりしを元久
のゝちはそのあと久しくたえたり諸宮のつかひもなきとし
にてさひしきやうなりしかとも大明神の霊威をあら

はしていよ/\敬神の心をすゝめむかためなりみむ人
ゆめ/\あさけることをあるへからすとなん


























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































[奥書]

此絵 亀山院御絵合之時経業卿所調進也云々画為信卿詞定成朝臣書之
元徳二年閏六月中旬之比令写之絵々所預隆兼朝臣詞入道内蔵権頭季
邦朝臣写之



寛保三年五月念謄写畢

明和七年五月借医玄髢{写之






           明治十八年春 後逸氏より
           譲受之  岡田紫郊
                    蔵