経済学部 教授 並松 信久

政治経済の混迷と自然災害… 今、改めて二宮尊徳「報徳思想」に光を当てる。

 幕末の日本、政治の混乱とききんなどで疲弊した農村の復興に役立ったのが二宮尊徳の「報徳思想」でした。21世紀の現在、政治・経済の混迷、自然災害の発生など、幕末と似た状況に直面、今改めて報徳思想が東アジアで注目されています。

誤解されている二宮尊徳の本当の姿 成人以降の農村復興活動こそ真骨頂!

 二宮尊徳。この名前は、今や日本では忘れ去られようとしている。かつて日本中の小学校に必ずといっていいほど設置されていた「薪を背負い、歩きながら本を読んでいる二宮金次郎としての銅像」…親孝行と勤勉、まじめに勉強に励む子供のシンボルとして広がりました。
 しかし、これは子供たちに親孝行の心を植え付けようとした戦前・戦後の親たちによってつくられた“二宮尊徳像“であり、本当の彼の偉大さとはほとんど関係ありません。
 二宮尊徳の偉大さは幼少期ではなく、成人した後にあります。封建制度がゆらいだ幕末期、厳しい年貢や天災や飢饉もあって多くの農村では人口が減り、崩壊の危機に瀕していました。そんなとき、領主たちの要請を受けて農村復興に貢献したのが、二宮尊徳だったのです。彼の考え方と手法は極めてユニークで、後年「報徳思想」と呼ばれ、日本だけでなく中国をはじめとする海外でも大いに注目されるようになりました。
 私が研究対象としているのはこの「報徳思想」。農学部農林経済学科と大学院で農学史(科学としての農学の歴史)を修め、農業経済史を研究している中で出会った思想です。京都産業大学では2001年までは国土利用開発研究所において、現在は経済学部に所属して研究を進めています。
 報徳思想の骨子は次の4つです。

  1. 至誠=誠実に活動すること。
  2. 勤労=積極的に働くこと。
  3. 分度=分をわきまえ、身の丈に合った生活をして余剰を蓄積すること。
  4. 推譲(すいじょう)=蓄積したものを困っている人に譲り、それを地域内の生産につなげること。

 この原則のもと、本人だけでなく弟子によるものも含めると、関東や北関東、東北地方南部を中心に、なんと約500カ所もの農村の復興を果たしました。

桜町での農村復興にみる 二宮尊徳の科学的合理性

 例えば、栃木県・桜町領での農村復興の場合。
 最初にやったのは、それまで住んでいた家を売り払い、その資金を持って「復興しようとする農村」へ移り住むこと。彼は自分も現地の住人になることを重要視しており、彼が手がけた農村復興すべてのケースで実践しています。
 次に徹底したデータの収集です。現在の農村の実態を詳しく調べると同時に、そこに至った経緯も徹底調査しました。村中の古文書をもってこさせ、桜町では200年前までさかのぼって人口や収穫高の変遷などを洗い出しています。いかに彼の調査が徹底していたかは、民家の台所の壁に知らない間に小さな穴が空けられていた事実からも分かります。本当の生活レベルを知るには、住民が普段食べている物を見るのが近道だからです。
 調査の目的は2つ。1つは「どのレベルまで復興させるか」「その地域の暮らしのスタンダードはどのレベルか」を決めることと、あくまでもデータや事実を重視して、「現場にそくした復興」をするためです。
 例えば、過去は人口が倍もあり収穫高も多かったが、今は人口が減り収穫高も落ち込んでいるとします。しかし、当時の基準の年貢が今も続いている。そこで過去の一番好調のときと不調のときを調査してその「平均」を出し、これを復興のベースとして年貢もそのレベルに変更する計画を立てます。
 そして領主に数字や図表を示して精神論ではなくデータ(数字)で年貢を平均レベルにすることを迫ります。今で言う「プレゼンテーション」です。それを受け入れた領主も偉いと言えば偉いのですが、それだけ領主、農民とも逼迫しており、受け入れざるを得なかったとも言えます。
 報徳思想でいう「分度」とは「平均」をわきまえて限度内で生活することであり、豊作など平均以上の収穫があったときは、余剰を地域で蓄積することを意味しています。こうして蓄積したものを地域へ還元(困っている人に貸す)して、将来の生産に結びつけるのが「推譲」なのです。
 もっとも、年貢を減らしても、その効果が出るのは先のこと。別途、当座の復興資金が必要となります。桜町領のケースでは彼は領主から復興の元手となる支援金を引き出しています。もちろん、彼自身の所持金も復興に使います。
 ただ、桜町領の復興では10年ほどで壁に突き当たりました。困っている人に渡した金が生活費に消えて生産に結び付かなかったのです。復興のために地域に還元した資金を、いかにして生産に結ぶ付くようにするかが課題となりました。
 彼が考え出したのは「五常講」という独自の仕組み。昔から地域にあった「講」(相互扶助の融資制度)を利用して、「困っている人にはできるだけ利子を付けない」「誰に金を貸すかは地域の人たちの投票で決める」とのルールを定めたものです。
 投票にしたのは誰が意欲的に働くかを一番よく知っているのは、地元の人だからです。意欲的に働く人なら貸した金が生産につながります。投票で選ばれた人を表彰しています。モチベーションを上げるためです。困っている人ほど低金利で貸し付けます。それまでの「講」では高利で入札した人が資金を得られたのに対して、困っている人(ただし、まじめに働いて生産に結び付ける人)ほど低利で借りられるので、逆転の発想ともいえる手法でした。
 こうした対策の結果、桜町領は20年足らずで当初の目標を達成しました。

松下幸之助や豊田佐吉の経済活動の基本 最近では海外でも注目され学会も誕生

 一般には「報徳思想」の名称はあまり知られていませんが、経済界などでは信奉者が多く、一代でパナソニック(旧松下電器)を築き上げた松下幸之助やトヨタ自動車のルーツともいえる豊田自動織機製作所を設立した豊田佐吉、元・経団連会長の土光敏夫など、そうそうたる人たちが「報徳思想」を経済活動のベースとしました。
 アフリカのジャスミン革命やユーロ圏でのギリシアの問題など世界的に政治・経済が混迷、東日本大震災やタイの洪水などの自然災害が続く今の時代は、報徳思想が奏功した幕末と驚くほど似ています。個人ではなく地域として復興していくことが急務で、そのための分かち合いが注目されている今こそ、報徳思想の出番です。
 二宮尊徳は自身の思想を「神儒仏正味一粒丸」と呼んでいました。儒教、仏教、神道の精神を混ぜ合わせたものとの意味で、わが国独自の思想ともいえます。しかし、最近では国内にとどまらず海外、特に中国で関心が高まってきており、約8年前には「国際二宮尊徳思想学会」が北京で誕生、現在、私が会長を務めています。

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