法学部 法政策学科 新 恵里 准教授

誰の身にも起こりうる犯罪被害の現実と向き合いすべての被害者が支援を受けられる社会に

これまで後手に回されてきた日本の犯罪被害者支援策。
数々の凶悪事件を教訓とし、
ようやく法案やそれに基づく組織が生まれたものの、
未だ多くの課題があり、発展途上と言わざるを得ない。
この黎明期の乗り越え方によって未来の明るさが決まる。

法学部 法政策学科 新 恵里 准教授

「犯罪被害者等基本法」成立から5年。日本の支援政策は、これからが正念場です。
日本で、犯罪被害者の権利は、たった一つ。
基本法の3条にしかありません。

 日本において「被害者支援」の取り組みが本格化したのは2000年以降、最近のことです。70年代に、犯罪被害者遺族が経済的補償を求めた運動が起こり、国からの給付制度(犯罪被害者等給付金支給法)ができましたが、90年代半ばに起きた地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災などで、肉体的・精神的・経済的ダメージを負った人々の悲痛な声が世論を動かし、それに後押しされる形で行政や司法の現場でも必要性が論じられるようになったのです。

 2004年に成立した「犯罪被害者等基本法」は、諸外国に比べてはるかに立ち遅れていた日本の被害者支援の構造を変える契機になりました。以来、官・民を含めて犯罪被害者等への支援政策を図るための各種機関が発足した点は一定の評価に値します。

 しかし、法的な制度や、基本法の運用が、被害者のニーズに合ったものになっているかといえば決してそうではありません。

 まず、日本では、犯罪被害者の権利が、法的に保障されていません。基本法ができて、ようやく、「尊厳をもって扱われる権利」が明文化されました(第3条)。しかし、具体的な刑事司法システムのなかでの権利は何一つ明記されていません。被害者の参加制度や意見陳述も、配慮規定のなかで運用されているものです。この点、アメリカでは、すべての州が「犯罪被害者権利章典」をもち、様々な条文の中で、被害者の権利を明文化しています。また、アメリカのような被害者政策先進国では、犯罪被害者支援を事件直後から、ほぼ100%民間の支援者団体に委ねており、民間団体は警察の情報提供を受けて、事件発生直後に被害者やその家族らのケアにあたるのが日常になっています。もちろん365日24時間体制です。日本にも、民間の支援機関が近年、次々に誕生し、私もこのような民間団体の活動にも携わっていますが、アメリカのそれには及びません。サービスできる時間と内容に限りがあります。官と民の独立性や連携が十分に保たれていないことも、問題の一つです。現在、日本にも事件直後の被害者や遺族を警察からの情報提供を受けてサポートする早期援助団体という民間の組織がありますが、情報が寄せられるのは公安委員会の指定を受けた団体に限られています。また、民間の組織に、十分な運営資金がないのです。

※犯罪被害者等基本法では、犯罪被害にあった人を、「犯罪被害者等」とし、犯罪やこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす行為の被害者及びその家族または遺族と規定しています。本文では、これらすべてを含めて、「犯罪被害者」とします。

  • 被害者支援ボランティア講座
    ■被害者支援ボランティア講座

    (社)広島被害者支援センターでの、支援活動員養成講座の様子。理事、採用研修委員長として、ボランティアの養成を行っている。

  • 奈良少年刑務所に参観
    ■奈良少年刑務所に参観

    ゼミのフィールドワークでは、さまざまな機関に見学・参観に行く(写真は奈良少年刑務所にて)

足らぬ財源、消えぬ偏見、減らぬ犯罪。あらゆる課題を直視した改革が急務です。

 民間の被害者支援団体の財源不足も大きな課題の一つと言えます。仮に警察が、すべての事件に対して支援要請を行ったとしても、民間団体のほうが、それに対応できる人員やシステムが整っていません。日本の場合は国からの直接的な助成が行われておらず、各都道府県の予算からのわずかな割り当てや、期限付きの助成金や、企業・法人の寄付を頼りにするほかない状況です。基本法では、民間支援機関への助成がうたわれているのですから、国は、早急に被害者支援への助成を予算化すべきです。

 国が、被害者政策としてやってきたのは、1980年から施行された犯罪被害者等給付金支給法に基づく給付金で、唯一のものでしたが、見舞金的なもので、20年近く、年間わずか6億円程度のものでした。国は治安を守る責任を果たせなかった以上、被害者に対し何らかの救済措置を行わなければならないはずですが…。

 被害者やその家族らは、犯罪そのものによる被害のみならず、事件後に生じる社会の偏見や刑事司法手続きにおいて二次被害を受けるケースが少なくありません。未だに「先祖の供養が足りなかったからだ」「縁起が悪い」などという偏見や心ないうわさがばら撒かれることも少なくありません。犯罪は、突然襲いかかります。どんなに善良な市民でも、まじめに暮らしていても、誰もが被害にあう可能性があります。犯罪とは理不尽なものです。しかし、悲惨な事件を耳にしたとき、「被害にあった人は、何かしら被害にあう理由があったのだ」と思うことで、「自分はこんな犯罪とは関係ない」と安心したいのかもしれません。

 また、二次被害としては、警察の捜査や刑事司法手続きのなかで、司法関係者の不用意な言動で二重三重の苦しみを負わされる被害も目立ちます。
 このような被害をなくすためには、一般市民ならびに刑事・司法の専門家の意識改革も必要不可欠です。現場でも、とかく注目されるのは、何の「落ち度」もない善良な市民を襲った犯罪です。しかし、実際は、殺傷事件の6割は身内間で起きていますし、犯罪の背景はそんなに単純なものでなく、複雑な人間関係が背景にあることも多いのです。犯罪に対しては、どのような背景、いきさつがあったものにしろ、支援としてはすべてきっちり行う、支援に「格差」をつくらない、というスタンスは重要です。

 一方、加害者のバックグラウンドに目を向けると、過去にドメスティック・バイオレンス(DV)の家庭で育ったり、子ども時代に虐待の被害にあっていたり、深刻ないじめ経験がある人が多く、その傷が癒されぬまま攻撃的になったり、自分や他者を大切にできなくなったりした結果、犯罪を起こしてしまうパターンも多く見受けられます。もちろん、そのような境遇を、犯罪の言い訳にすることはできませんが、犯罪被害の問題は、善良な市民対凶悪な加害者という単純な構図だけで説明することはできないのです。被害者支援とは別のことですが、新たな被害を生まない、被害の連鎖を断つという意味では、加害の中の「被害」にも目を向けなければならないことも事実です。

  • 犯罪被害者支援 アメリカ最前線の支援システム
  • 韓国で出版された翻訳本

アメリカ・ペンシルバニア州の犯罪被害者センターで目の当たりにした、アメリカの犯罪被害者援助の実態を報告した著書『犯罪被害者支援 アメリカ最前線の支援システム』(2000年/径書房)は、欧米に比べ二十年遅れているという日本の対策の甘さを浮き彫りにした。(右は韓国で出版された翻訳本)

被害者支援の根幹にあるテーマは、「私たちはどんな社会で生きたいか?」

 犯罪被害者学は確立されて三十年余りの比較的新しい学問です。「人はなぜ犯罪を犯すのか?」について研究する犯罪学を前身とし、ちょうどその逆の「なぜ人は被害にあうのか?」が、初期の被害者学者の大きなテーマでした。しかし、結局、被害者の有責性を追究していくこととなり、様々な批判を浴びて、著しく衰退しました。こうした反省のもとに、政策論を用いて社会の仕組みを変え、犯罪や犯罪被害そのものの減少を目指す流れが生まれ、私もそれを専門としています。

 私は、犯罪被害者学を一言で表すなら「立て直しの学問」だと思っています。被害者・加害者間にいかなる事情があるにせよ、被害者やその家族が受けた傷は生涯消えることはありません。とくに殺人事件の被害者遺族にとっては被害者が生きて還って来ない限り、たとえ裁判の判決が確定しようとも、事件が終結する日は二度と訪れません。

 犯罪被害者や遺族が、事件後の人生を生きるということは、すべてが崩壊した後に、新たなものを一から構築するということです。大きな喪失体験(大切な人、ものをなくす体験)の後ですから、大変なことです。しかも、その崩壊は、社会で受けたものですから、当然、人や社会への信頼感は大きく損ねられています。理不尽な現実がありながらも、それでも私たち社会に良心があること、社会への信頼をもう一度取り戻してもらうこと、そして新たな一歩を踏み出すための支えとなること。それが被害者支援の本質であり、そのために必要なのが、法制度とそれが適切に運用される環境です。 

 被害者支援の根幹にあるのは、「私たちはどんな社会で生きたいのか?」という問いかけです。誰しも事件の被害にあった人がまったく救われないような世の中には生きたくないはずです。それならば、事件の大小、被害者の「落ち度」などとは関係なく、すべての被害者がきちんとサポートされる世の中を、いまこの社会で生きている人々の力で築き上げていくべきではないでしょうか。

 日本の犯罪被害者支援の取り組みはようやく双葉が出たような状態です。

 裁判員裁判が始まって、犯罪被害者問題はどう変わりますか?という質問をよく受けます。前述したように、周囲の関わり方によっては、被害者が二次被害を受けるリスクはあります。しかし、今まで、刑事司法が一般市民とはあまりにもかけ離れたものであったゆえに、市民にもわからなかった問題点は多々あります。また、市民が「被害者は手厚く対応されているだろう」と抱いていた期待がそうでない現実を知ったり、裁判所が新たに配慮やケアを考えていくきっかけになると思っています。

 今後も海外の被害者支援の事例検証や、民間支援団体への参画、法学の分野を横断した調査研究などを重ねたうえで提言を続け、いずれたくさんの枝葉を生い茂らせたいと考えています。

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