総合生命科学部 生命資源環境学科 野村 哲郎 教授

「遺伝的多様性」をキーワードに、黒毛和牛の品種改良からナミテントウの野外集団にいたるまで、統計的手法やコンピュータシミュレーションで、5世代、10世代先を読む。
研究成果でトキのような絶滅危惧種の再生にも貢献する。

遺伝学を応用した研究は、家畜の品種改良や保全に役立っています。とくに「遺伝的多様性」をキーワードにした研究を行っておられるとお聞きしました。

総合生命科学部 生命資源環境学科 野村 哲郎 教授

  品種改良や保全に遺伝的多様性が重要であることは、キリンの首がなぜ長くなったのかを、ダーウィンの進化論にしたがって考えれば、お分かりいただけます。祖先のキリンたちは、首の長さについて、いろいろな遺伝子を持っていました。つまり、祖先のキリンたちには首の長さについて遺伝的多様性があり、首の短いものから長いものまでいろいろなものがいました。木の上にある葉を食べるためには首の長いキリンが有利となり、首の短いキリンは徐々に死滅し、首を短くする遺伝子は長い年月をかけて、ふるい落とされて現在のように長い首だけを持ったキリンたちができあがったというのがダーウィンの説です。この例からお分かりいただけるように、進化が起こるためには遺伝的多様性が不可欠です。これと同じように、動物とくに家畜の品種を消費者のニーズや環境の変化に対応できるように改良するためには、遺伝的多様性が非常に重要な要素となります。
 動物の品種改良は、集団内の遺伝的多様性を利用して、目的にかなった遺伝子を持った個体を選び出し、それらの間で子どもを作り、子どもたちの中から再び親を選び出す−これを繰り返すことによって行われます。これを実際の動物でやろうとすれば、数世代先の品種改良の成果を見るには、何十年もかかってしまいます。そこで、コンピューターの中に仮想的な動物の群を作って、何世代(何十年)先の品種改良の成果をシミュレーションによって評価します。こうした品種改良に活用できるプログラムを開発することで、何世代もの間の変化をわずか数秒から数十秒で見ることができます。実際に牛やブタ、ニワトリなどの選抜・交配計画に利用しています。

 いま遺伝学的に問題になっているのが、黒毛和牛(黒毛和種)です。黒毛和牛の生産者は、牛肉の輸入自由化以降、安い輸入牛肉に対抗するために、高級な霜降り肉の生産を強く志向するようになりました。黒毛和牛は全国でおよそ60万頭の雌牛が飼われていますが、驚くべきことに、これらの雌牛が毎年生産する肉牛の約50%は、わずか5頭の種雄牛によって得られています。これらの種雄牛は、もちろん霜降り肉について優れた遺伝子をたくさん持った牛たちです。これによって黒毛和牛の霜降りは急激に改良されましたが、品種全体として見ると、どの牛も血統的に良く似たものになってしまいました。つまり、遺伝的多様性が急激に低下したのです。黒毛和牛は他品種からの遺伝子導入をしないのが原則ですから、このままの遺伝的多様性の低下が進めば、今後の品種改良に深刻な支障をきたすことになりかねません。そこで、全国和牛登録協会をはじめとする関係機関と協力して、遺伝的多様性を維持拡大し、改良のすそ野を広げるために、全国に残る遺伝的に特徴を持つ系統を掘り起こし、その特色を評価していく活動を行っています。

ナミテントウやトキにも研究の幅が広がっています。遺伝的多様性の観点から、どのようなことがわかりましたか。

 動物の品種改良、おもに家畜について遺伝学を応用した研究がメインのテーマですが、最近では身近な昆虫を材料とした野外調査も行っています。例えばテントウムシの中に、ナミテントウという種類がいます。このテントウムシの斑紋(背中の模様)には、4つの遺伝子によって決まる二紋型、四紋型、班型、紅型の4つの型があります。これらの型は、ちょうど人間の血液型と同じように、相互に交配できて子孫を残します。全国どこにでも見られるテントウムシですが、二紋型は暖地適応で、紅型は寒地適応と考えられており、日本列島を南へ行けば二紋型が多く、北へ行けば紅型が増えていきます。じつは、50年以上前(1956年)に全国約50カ所でナミテントウの分布を調べた結果が残っています。その同じ場所でもう一度、分布を調べれば、半世紀たったいま、環境の変化によってどのような変化が起きているかがわかります。現地へ行って、200〜300匹を確保するのですが、すでに前調査を上回る100カ所で、約4万匹を採集しました。
 調査の結果は、全体的に二紋型が増加、紅型が減少しています。つまり、暖地適応の二紋型が増えている背景には、地球温暖化の影響があると思われます。この半世紀で、日本列島全体の気温が上昇し、これに適応した進化が起こったと考えています。
 家畜と昆虫の研究は、かけ離れているようですが、遺伝的多様性を調べる上では共通しています。それが絶滅危惧種、例えばかつては日本中にいたトキなどの人工繁殖にも応用できます。日本では2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、トキが生き残っているのは中国のみとなりました。その中国から1999年と2000年に合わせて3羽を譲り受けて、人工繁殖で100羽以上にまで増えています。佐渡トキ保護センターでは、まもなく野生に復帰させる計画を持っていますが、野外に放したトキが様々な環境に適応していくためには、やはり遺伝的多様性が必要になります。 こうした遺伝的多様性の研究の応用としては、実験動物の系統をつくるとか、製薬会社などでの統計学的な研究にも役立つものと思います。家畜の品種改良はすでにライフワークとなっていますが、これからは野生の絶滅危惧種についても、さらに目を向けていきたいと思っています。

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