ポーランド 国立アダム ミツキェヴィチ大学

外国語学部 国際関係学科 オリバレス ラファエラ ヨシイ

留学先 国立アダム ミツキェヴィチ大学 民族言語学科
留学期間 2014年10月~2015年6月
留学アドバイザー 外国語学部 横山 史生教授
出身高校 滋賀県立 水口高等学校出身

留学のきっかけ

私は、小学校高学年くらいから外国語に興味をもつようになり、中学生のころに英語の弁論大会に出場したことをきっかけに、高校ではE.S.S.部に入部し、スピーチ力を向上させていきました。2年生のときに挑戦した、全国高校生スペイン語スピーチコンテストで最優秀賞に選ばれ、副賞として2週間の短期語学留学に行きました。同じく2年生のときに出場したIPC全国高校生英語スピーチコンテストでも最優秀賞を受賞し、副賞としてニュージーランドに1週間の短期留学をしました。短期留学をすればするほど、長期留学に行きたいという気持ちが強くなっていき、大学受験の傍らで留学についていろいろと調べていました。大学に入学後は早速留学の説明会などに積極的に参加し、情報収集に努めました。他にも、バディ制度を通してさまざまな国から京都産業大学に留学してきている留学生と交流したり、フラメンコ部を通して異文化体験をしたりするうちにもっと多くの文化や価値観に触れてみたいと思うようになり、さらに、授業やバディ活動などを通して、留学がバックパックなどで行かれていた先輩方の経験談を聞きながら留学している自分を想像していくうちに時が流れていき、あっという間に大学の一年目が過ぎて行きました。
スペイン語スピーチコンテストの様子
バディの中国からの留学生とフラメンコの舞台発表

留学に向けて

 当たり前のことかもしれませんが、私が留学前に一番力を入れていたことは語学力、特に英語力の向上です。私は国際関係学科に所属しているため、普段からインテンシブ英米語の授業で英語に触れる機会はたくさんあったのですが、海外の大学の授業スタイルに慣れるために、GJPの科目を1年生のときから受講し、留学生を含むクラスメートとのディスカッションやグループワークに積極的に取り組みました。また、特別英語の授業も履修し、英語の資格取得にも励みました。留学先の大学を決めるために国際交流センターに頻繁に通い先輩方の報告書を読んで情報収集をしたり、学科の留学アドバイザーの先生に相談に乗っていただいたりもしました。そして、家族も含め周囲の人に留学の意志を伝えることでモチベーションを維持していました。

トビタテ!留学JAPAN 日本代表プロジェクト

トビタテ!留学JAPANの壮行会にて下村博文文部科学大臣とのショット
ことのはじまりは海外フィールドリサーチの出発を間近に控えた1年次の末のある日、国際交流センターからかかってきた一本の電話でした。それは、文部科学省と民間企業がコラボしたプロジェクトに参加しないか、という内容でした。今回が一期生の募集で、具体的な留学計画がなければいけない、さらには採用人数が少ないことから応募しようか少し悩みましたが、とりあえずダメもとでも計画書を書いてみようという気持ちで募集要項を読み始めました。海外フィールドリサーチから帰国後に大阪府で開かれた説明会に参加した際に、詳しいプログラム内容をきいたり、強い意志を持った他大学の学生たちと意見交換したりするうちに、受かりたいという想いが強くなっていきました。

私の留学計画

正直、私は留学計画を組まなければいけないとなる段階まで、とくに留学に対する目標はありませんでした。単純に留学したい、でも4年で卒業したい、こんなことくらいしか考えていませんでした。しかし、上記で述べましたトビタテ!留学JAPANの応募にあたり、自分が留学を通して学びたいことは何かと考えなければいけなくなりました。そんなとき、今まで自分が大学で学んだことや、課外活動などで取り組んできたことを振り返っていくうちに、自分がやってみたいことが定まっていきました。私は、自身が日系のブラジル人であることから、同じような境遇にある人たちの支援活動に様々な形でかかわってきました。それらの現場で、日本の移民教育の実態や課題を目の当たりにすることが多くあり、自分にもっとできることはないかと考えさせられることもたくさんありました。そこで、留学を通して日本の移民社会をよりよくするには何が必要かを学ぶために留学計画を移民研究に絞って書きだしました。国際交流センターや大学の先生などに協力していただきながら、着々と計画書を書き進めていき、短い応募期間の中で、もともと私が留学を希望していた国立アダム・ミツキェヴィチ大学附属の移民研究センターへの受け入れも決まりました。厳しい選考も努力の甲斐あって通過することができ、合格通知が来たときには嬉しくて自然と涙がこぼれました。

ポーランドでの生活

留学する前から、大学にチューターがいると知らされていたので、不安なことは特になく出発の日を迎えました。ポーランドに着いて早速チューターが出迎えてくれ、寮まで送迎してもらいました。寮は大学のすぐそば、街の中心地にあり、駅やショッピングセンターも近く抜群のロケーションでした。チューターの人たちが入寮手続きや、入学手続きを手伝ってくれたり、街案内をしたりもしてくれたのですぐにポズナンの生活に慣れることができました。私は留学計画にそって、移民に関する講義を積極的に履修するとともに、ポーランド語や英語の授業も履修していました。留学先が国立大学ということもあり、学生たちの意識は高く、授業中に先生への質問が常に飛び交っていましたし、ディスカッションなども活発に行われていました。課外活動として、民族言語学科の日本語専攻の学生たちが主体となって運営している茶道部の活動に参加し、トビタテ!留学JAPAN派遣学生のミッションでもある日本発信をしたり、また日本ではじめたフラメンコも現地で教室に通いながら続けたりもしました。街では英語が通じないことも多々あって不便なこともあり、困ったときはチューターの力を借りることがほとんどでしたが、だんだん自分でも拙いポーランド語ながらもなんとかコミュニケーションをとれるようになっていき、意思疎通できたときの達成感はポーランド語の勉強のモチベーションとなっていました。
チューターのご家族との一枚
ポズナンのオールドマーケット

移民計画

現地についてすぐに留学先の大学の教授でもあり、大学附属の移民研究センターの所長でもある統計学者のミハウ・ブホヴスキ教授のもとへ行きました。そこで研究内容の説明をしたり、ポズナンにあるMigrant Info Point(MIP)について教えていただいたりもしました。まずは、ポーランドを含めたヨーロッパや世界の移民事情をしるためにSocial Mobility(社会的流動)、グローバリゼーション、多文化主義に関する授業などを履修しました。のちにMIPの所長とお会いする機会があり、そこからMIPに勤めていらっしゃる移民教育について研究されている方をご紹介いただきました。その方から、ポズナンにある外国籍児童が在籍している公立小学校のリストから各学校の連絡先などを教えていただきました。また、ポーランドの移民教育に関する論文などの資料も紹介していただきました。留学前の計画はアンケートを実施するというものでしたが、時間の関係や、移民ひとりひとりのバックグラウンドや生活状況が違うことから計画をアンケートからインタビューに変更しました。まずはインビュー事項を英語で考え、それをチューターにポーランド語に訳してもらいそれをもって小学校を訪ねました。児童にインタビューを実施するということで、保護者の許可証が必要と言われましたが、チューターのお母様が中学校教師であることから許可証の作成にご協力いただき、無事に子どもたちにインタビューを実施することができました。インタビューは、韓国、ブルガリア、ジョージアからの移民の児童5人、保護者、各児童の担任の先生、また校長や副校長先生にもお答えいただきました。また、留学先の大学に在学しているリターンマイグラント(ポーランド人で、一定期間の移民を終えポーランドに帰国した人のこと)の学生2人にもご協力いただきました。ポーランド語でインタビューを行う際はチューターに一緒に学校に足を運んでいただき通訳をしてもらいながらインタビューを遂行しました。帰国後は同じように日本でもアンケートを実施し、日本とポーランドのインタビュー結果をもとに比較論文を発表したいと考えています。

研究を通して学んだこと~授業編

移民研究がメインで留学するということで、私は日頃からポーランドへの一移民として常にアンテナを張りながら生活をしていました。留学や、奨学金の選考の面接官に、なぜ移民研究の舞台としてポーランドを選んだのかと問われました。上記でも述べましたように私は日系のブラジル人です。よく私の名前がカタカナ表記であることから、日本語を話せないと思われることが多いのですが、私は2歳で来日したこともあり、日本語はポルトガル語と同じく私の母国語です。交換留学に行く前にスペインとニュージーランドに短期留学をしましたが、どちらの国の公用語もある程度話せるレベルでの留学だったため本当の街に出てもそれほど言語の壁にぶち当たることはありませんでした。確かに、移民研究で有名なのは、イギリスのオックスフォード大学や、アメリカ合衆国のイエール大学などですが、いずれも英語圏なので、私の両親のように全く言葉が通じない環境で暮らすという体験ができないのではないかと思い、あえてポーランドという場所を選びました。そして、実際にその決断が私の移民教育に対する考え方を大きく変えるきっかけになりました。私は英語を長期留学することなく、勉強をはじめて数年で流暢に話せるようになったため、語学は本気で勉強すれば習得できるだろうと思い込んでいました。しかしながら、実際に留学して、移民の立場になってポーランド語を勉強してみるとその考えは一変しました。日本を出国する前にポーランド語のあいさつなどを学んだりしていました。ポーランドについてすぐのころは、あいさつを返してもらったりするだけで嬉しかったのですが、徐々にポーランド語に挑まなければいけないことが増えていくにつれ、ポーランド語を学ぶことを負担に感じることも多くなっていきました。本当に困ったときはチューターの人に手伝ってもらうこともありましたが、いつもいつも頼るわけにはいかなかったので、別の人にお願いしたりもするのですが、迷惑をかけてしまってはいけないという気持ちから遠慮することもあり、もっと自分でポーランド語を話せるようになろうと思うのですが、結局は他の授業の勉強に追われ…というサイクルが続き、思うようにポーランド語を習得することができませんでした。こういった経験を通して学んだことは、移民が新しく移り住むことになった国の言語を学ぶうえで、言語スキルのサポートだけでなく、生活面でのサポートやモチベーションの面でのサポートが必要不可欠であるということです。また、講義を通しては、ポーランドを含んだヨーロッパ諸国の移民事情を知り、日本ではあまり取り上げられることの少ない難民問題や、不法滞在者の問題などの実態や、各国の対応をも学び、今後の日本が移民に関する法整備などを進めていくためのヒントもたくさん得られたと思います。

研究を通して学んだこと~インタビュー編

研究過程においてMigrant Info Pointの方にいくつか文献を紹介していただきました。そこにはさまざまなバックグランドをもった移民の子どもたちのインタビューの内容が取り上げられていました。私は留学前の計画ではポーランドの大学に通う移民の学生にインタビューをする予定でした。しかし、実際に現地にいってみて、授業を受けたり、文献を読み進めたりしていくにあたり、移民ひとりひとりの生活状況や経済状況が違うことからアンケートを実施するのは厳しいと思いながらも、私は留学計画にそって研究を進めなければいけないと思っていたため、研究が滞ってしまったことがありました。そんなときに、トビタテ!留学JAPANのカウンセリングがはじまり、私も半信半疑で受けてみることにしました。私のカウンセリングを担当してくださった方は日立の人事部にお勤めの方で、学生時代に留学を何度か経験された方でした。カウンセリングを通して、アンケートは研究の一手段であって、研究をするにあたり、別の有効な手段がみつかれば研究計画に縛られずに柔軟に対応すれば良いとアドバイスをいただきました。正直、留学するまで研究をしたことがなかった私は、研究に関する知識が乏しく、学ぶべきことがまだまだあるなぁと痛感させられました。カウンセリングを受けたあと、アンケートからインタビューに研究方法を変え、準備を進めていきました。いよいよインタビューを実施することになり、ポーランド語が話せないことから不安なこともたくさんありましたが、学校側もとても親切・丁寧に対応してくださり、スムーズに調査を進めることができました。公立小学校を2校訪問し、1校目では、韓国からの移民の三姉妹にインタビューに答えていただきました。三人とも幼いころからポーランドに住んでいることから、ポーランド語が堪能で、学校ではそれほど困っている様子は感じられませんでした。三姉妹の末っ子はまだ小学一年生ということもあって自分の意見をはきはきと主張することはありませんでしたが、上の二人は将来のことを意識した発言をしてくれたためしっかりしているなという印象でした。また、三人とも家庭では韓国語を話し、ポーランド語のほかに学校では英語を習っており、上の二人に関しては英語以外にドイツ語も勉強して、小さいころから多言語の世界で暮らしており、大変なのかと思いきや三人とも当たり前のことかのような反応で大変感心しました。2校目でインタビューに協力していただいたブルガリアとジョージアの児童も多言語に囲まれて生活していますが、それにより他の科目に支障が出ているという感じは見受けられませんでした。外国にルーツをもつ子どもたちだけでなくポーランド人の児童も小学1年生のころからポーランド語と英語の両立を図っていたため、移民の子どもたちも自分たちを特別扱いする様子はありませんでした。インタビューを実施した児童の担任の先生のほとんどがポーランド語以外に2か国語以上話せる方がほとんどで、そのこともあって、多文化への対応力があるという印象でした。インタビュー中に児童の担任の方に言われたことばの中で一番衝撃的だったのが、「あなたは日本にいる先生たちにインタビューをする感覚でインタビュー項目を考えたかもしれないけど、あなたが私たちに聞いていることは、正直言うと私たちにとっては当たり前のことで、改めて聞かれるようなことではない。私たちはグローバル化が進む社会で暮らしていて、『移民』ということばも耳にすることが多く馴染みもある。だから、子どもたちも同じで、外国にルーツがあるからと特別扱いすることはなく、もしも授業に対する不安などがあるのであれば、『外国にルーツがある子』ではなく『教え子の一人』として対応するのは当然のことである。」というものでした。その言葉を聞いて、ひとりひとりの生徒に平等に向き合う姿勢の大切さに気づかされました。また、リターンマイグラントの学生たちのインタビューを通しては、他国に移民をしている間も、母国に帰る予定があるかないかは別にして、とにかく母国語も学ぶことの重要性を学びました。そして、数学や世界史などの世界共通科目にも力をいれるべきだなと思いました。そうすることで、将来的に母国に帰ったり、再びほかの国に移民したりすることになったときも学習面で適応しやすいのではないかと考えたからです。これら以外にも学んだことはたくさんありますが、それは論文にまとめて発表する予定なので、ひとりでも多くの方にそれを読んでいただいて移民問題に関心をもっていただければと思います。
現地の小学校のクラス 
左からチューターと移民の児童

まとめ

帰国当日に京都大学で開催されたトビタテ!留学JAPANの説明会の様子
留学中は、2年次のこの時期に留学するという判断は正しかったのかと考えたことも何度かありました。もう一年在学大学で専門科目を学んで知識を増やしたり、ポーランド語をしっかり習得したりしてから留学に行っていたほうが学びが大きかったのではないかと思うこともありました。しかし、今考えてみれば、その決断は間違ってなかったなと思います。あのときに留学したからこそ得られた経験や、出会えた人たちがいるわけで、もしも別の時期に留学をしていたら今自分が持っている夢とは別の夢を抱いていたのではないかと思うと、あのときに留学を決意した自分はよくやったなと思います。そしてなによりも、私が今回留学するにあたり全面的に協力してくださった、家族や友人、大学職員、トビタテ!留学JAPAN関係者にも大いに感謝したいと思います。留学はひとりでしているようで実は違う、そう痛感させられた10カ月でした。これからも、ひとりでも多くの方が私のように留学を通して人生が変わる経験をしていただけるように、留学エヴァンジェリストとして活躍していきたいと思います。
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